怪獣工場ピギャース!

 「10回読んで10回泣ける」なんて嘘っぱちだ。1回読んでも10回泣ける。10回読んだら100回泣ける。それほどまでに楽しくって悲しくって面白くって胸に想いがジンと来る。出ているレーベルがあんまり知られていない所だけれど、おいしい食べ物に国境はないし、素晴らしい小説にメジャーもマイナーもない。ハンディがあるとしたらおかれている場所くらい。だから見つけたら逃さず手に取るべきだと、松山剛の「怪獣工場ピギャース」(新風舎文庫、848円)について断言する。

 舞台はいずこかの星で、隣国に怪獣たちが暮らすギャース怪獣共和国があって、こっちには人間たちのリベルタ国があって、しばらく前に戦争も起こったけれども今は停戦状態にあってギャースからは戦争に伴う経済の疲弊で職にあふれた怪獣たちが、リベルタへと大勢出稼ぎに来ていた。

 とはいえ少し前まで戦争をしていた相手で見た目も異形の怪獣たち。なかなか真っ当な職つけなず困っていた怪獣たちも多く、また戦争で捕らえられてリベルタに残った怪獣たちも大勢いて問題化していた時、そんな怪獣たちを養うべく作られたのが民間怪獣厚生施設「ギャース」だった。

 第一工場は「アンギャース」で、そこでは集められた怪獣をショーやイベントに派遣する仕事が行われていた。第二工場ピギャースは、本当に工場として怪獣をモデルにした玩具が毎日怪獣たちによって生産されていた。そのピギャースの工場長こそがクレアことクレアティフ・レイデル。あぶれた怪獣たちを救うべく工場をつくったバン・モンスタニア・レイデルの娘で、まだ見かけは子供ながらも工場長として怪獣たちを叱咤し働かせては工場をもり立てようと頑張っている。

 時に叱咤が行き過ぎることもあったけれども、そこは生産管理チーフのアレックスがしっかりフォロー。怪獣たちもクレアの日々の頑張りと、時に見せる優しさを知っていてサボタージュを起こしたりするようなことはない。クレアの幼なじみでライバルのフィオナ・イマジナルが工場長になっている、アンギャースとの間で行われるレクリエーションのドッジボールでクレアがアンギャースの怪獣に小馬鹿にされると、奮起して崖っぷちから逆転を成し遂げピギャースに勝利をもたらす。そんな気のいい奴ばかりの怪獣工場に影が迫る。

 突如勃発したギャース怪獣王国との戦争で、ピギャースの生産は止められ怪獣たちには人間たちからの激しい差別が行われる。さらに迫る陰謀。アレックスが過去を暴かれ連れ去られ、ピギャースの怪獣にも薬によって押さえ込まれていた巨大化して暴走する鍵を外す仕掛けが繰り出され、本能から大暴れしてしまった怪獣たちには人間たちから更なる反発が向けられる。

 板挟みとなって苦しむクレアにもその身に眠る力を求めた企みが迫る。もはや怪獣と人間は戦うよりほかにないのか。そこに響き渡る歌声は、第二工場ピギャースにいつからともなく歌い継がれている労働歌。未来に向かって希望をともすその歌声に怪獣たちは目覚め、クレアも心を取り戻して真の敵へと力を向ける。

 病気の娘を想い、自分の巨大化を抑えるために配布されていた貴重な薬を与えた挙げ句に自らは暴走してしまったイカ怪獣イカロスの末路に浮かぶ悲しみや、同様に妹を半ば人質にとられスパイを勤めながらも、最期は妹とどもと陰謀に巻き込まれ身を散らす女性など、肉親を想う気持ちの尊さと、それを利用しようとする者共の悪辣さが響いて胸打たれる。

 そして陰謀の根にあるものが、陰謀を画策した者が肉親への情愛を募らせ果てた挙げ句の暴走であったりするところに、怪獣であろうと人間であろうと、等しく誰かを想う心は同じなんだと教えられる。けれども、だからといって他を犠牲にして良いはずもなく、自らに仕掛けられ悲しみに沈んだことを、別の者へとやりかえす暴走ぶり憤りが浮かび、犠牲になって倒れていく怪獣たちの姿に涙がにじみ流れて落ちる。

 それ故にだからこそ、恨みとか怒りに走らずクレアを慕い続ける怪獣たちの心根の優しさと、そんな怪獣たちを慈しむクレアの情愛の深さが響く。ラストに迫る悲劇の予感にページを繰る手も止まりそうになるけれど、そこを受け入れ読むのが逝った怪獣の親子や姉妹や、その他大勢の者たちへの義務だ。わずかだけれど差し込む光明に猛る心を落ち着かせ、未来をもう2度とゆがめないためにすべき何かを想いそして実行せよ。


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