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ジャスト・ドゥ・イット


 高校生の頃に読んでいた「POPEYE」のグッズ特集には、必ずといっていいほど「NIKE」のスニーカーが掲載されていた。テニスのグランドスラムに出場していたジョン・マッケンローが履いていた靴は「NIKE」だった。だが、80年代なかごろのナイキは、決して今ほどの知名度や賞賛は得ていなかったように思う。

 ジョギングシューズにはブルックスやニューバランスがあったし、サッカーシューズはアディダスかプーマか国産のアシックスがあった。バスケットシューズは何といってもコンバース。ナイキなんて数ある靴メーカーの1つに過ぎなかった。

 今、本屋に行くとナイキのシューズを集めたカタログ雑誌が何冊もラックに刺さっている。コンバースやアディダスの本なんて影も形もない。バスケットボールやサッカーの雑誌を開けば、必ずといっていいほど「NIKE」の靴の広告が載っている。靴屋に行けば、陳列棚の一角を独特の形状をした「NIKE」の靴が占領し、高校生や大学生がその前で行きつ戻りつしながら、それらの靴をながめたり手にとったりしている。

 米国のジャーナリスト、ドナルド・カッツが書いた「ジャスト・ドゥ・イット」(梶原克教訳、早川書房、2200円)は、今や世界ナンバー1となった靴メーカー、ナイキの誕生から躍進までを描いた傑作ルポルタージュだ。創業者で最高経営責任者で大金持ちでありながら、マスコミ嫌いで業界団体の集まりにも国際的な見本市にも滅多に出席しない、フィル・ナイトという「生ける伝説」も、冒頭からエンディングまでふんだんに登場する。

 アシックスの代理店に始まって、ナイキアディダスやリーボックとの戦を経て、今日の地位を築き上げたナイキおよびフィル・ナイトの歩みを描いた本書を、企業に務める日本人はきっと、ビジネスで成功するための秘訣を見つけだす本として、手に取り読み始めることだろう。あるいは人気スポーツ選手を何人も起用した、派手な宣伝と広告によって幻想をふりまき、ピラピラチャラチャラした運動靴を売りまくるメーカーの秘密は何だろうといった、ヤジウマ的視点からながめるだろう。

 しかし、1読して私たちは、ナイキが展開するマーケティングや広告の派手さの裏に、スポーツおよびスポーツ選手への賞賛があることに気付かされる。ナイキが展開している宣伝・広告には、確かに人気スポーツ選手が何人も登場するが、彼らはみな、「人気」のあるスポーツ選手である以前に、「実力」のあるスポーツ選手なのだ。そしてナイキは、彼らがまだハイスクールやカレッジに在籍しえいる時期から、惜しみない援助をさしのべ、人気が下降線をたどりはじめても支援し続ける。「人気」という幻想(バーチャル)に「実力」という現実(リアル)が加わっているからこそ、ナイキの宣伝・広告は説得力を持ち、人々に醒めることとのない「夢」を与え続けることができるのだ。

 会社への「忠誠心」という言葉は、かつて日本のサラリーマンに独特のものだと思われていた。しかし「ジャスト・ドゥ・イット」に登場するナイキの社員たちは、現代の日本のサラリーマンなど比べ者にならないほど、会社への熱い忠誠心に燃えている。それはたぶん、虚飾に満ちたイメージだけの製品を与えられ続けて来たことに気がつき、それでも前に進まざるを得ない私たちと違って、本当に実力のある製品を送り出し続けているのだという自信を、ナイキの社員がみな、持っているからだ。なにせナイキでは、『まともな社員なら「たかがスニーカー」などとは決して言わないし、「スニーカー」などと言う単語を口にすることさえない』(131ページ)。宣伝・広告でも「イメージ」という単語は禁句だという。

 華やかな幻想をふりまいたバブルという悪夢から醒めた日本人が、今なすべきことはたぶん、「実力」という現実の持つ重みを再認識することだろう。幻想をふりまき大躍進を遂げた、同じアメリカのソフト会社を真似しようなんて、ゆめゆめ考えないことだね。


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