ジュリエットの卵

 読み返すたびに、切なくて哀しくなる話がある。

 読み返すたびに、辛く苦しい思いを味わう話がある。

 辛い。苦しい。切ない。哀しい。けれども読み返さずにはいられない。昨日という過去を捨て、今日という現在を生き、明日という未来にむかって飛翔するために、僕は吉野朔実さんの「ジュリエットの卵」(集英社)を読み返す。

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 飴屋螢は千葉にある東京美術大学に通っている。金沢でブティックを経営する母親のもとを離れて、千葉のアパートで1人暮らしをしながら、漫然とした大学生活を送っている。モデルをしている夜貴子、男まさりの美少女小夏に囲まれながらも、金沢に残してきた双子の兄の水(ミナト)を想って涙をこぼす。

 飴屋水は金沢大学に通っている。美少年で女性に不自由しない水だが、螢だけを愛して千葉にいる妹に思いを馳せる。けれどもブティックを経営する母親は、決して水を離そうとはしない。娘と同じ螢という名前の母親は、息子の水に死んでしまった父親の像を重ね合わせて思い出に浸る。

 愛し合っていた兄と妹が切り離されたその果てに、妹は新しい愛を見つけることに成功した。アパートの隣りに住んでいた彫刻家の卵、下田游一に生命の美しさを発見し、生きていることの確かさを得ることができた。けれども兄は、妹にしか世界を見出すことができず、想いのたけを螢にぶつけ、母にぶつけ、周囲を混乱と困惑の渦に巻き込んでいく。

 当然の帰結。つまりは悲劇的な結末。

 「水 世界は 美しいのよ」
 「生命は ただそれだけで 美しいの」
 「螢はそれを信じて 自分を信じて」
 「今しばらく 世界を見つめていたいの」
 「水 螢の声をきいて」
 「水 きこえてる?」

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 「生命を美しいと思ったの」と言って、自らの意志の赴くままに外部に愛を見つけた螢。

 「世界なんかなくてもいいんだ」と言って、父と母の代からの運命に身を委ねた水。

 どちらの生き様も正しいと思う。けれどもどちらかを選ぶとしたら、僕は螢の前向きな生き様を選ぶ。円環状に繰り返される哀しい兄妹の運命を、誰かが解放することが必要だった。多大な犠牲をともなったその解放を、すらりとやってのけた妹の強い生き様に、心からの感動を覚えた。

 孵ることのない卵を暖め続ける、哀しい双子の運命から解放されて、螢は己の意志の赴くままに、新しい生命を刻む旅を歩み始めた。3度目の悲劇はもう起こらない。切なく哀しい物語が終わり、辛く苦しい物語が終わって、人は雲間から射し込む一条の光、決して消えることのない天上からの救いの光をそこに見出す。

 「私達もう一度 生まれる事ができるわね?」

 もう一度、生まれる事ができた水が、運命でなく意志によって、水としての生命をまっとうできるであろうことを切に願う。

 「水 きこえてる?」

 ああ、きこえたよ。


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