美学vs.実利
「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史

歯医者だか目医者だかの入っていた場所をリニューアルしたらしい新宿は「花園神社」裏手にあるギャラリーで、1998年に公開されたアニメーション映画「パーフェクトブルー」を監督した今敏の監督業10年を記念した展覧会が2008年3月1日から12日まで開かれた。

 その後に続いた「千年女優」や「東京ゴッドファーザーズ」「妄想代理人」「パプリカ」といった作品に関連したイラストが、美しく出力されて額装されて並んでいる中に今敏監督自身も立って、来場者にサインしたり質問に答えたりしていた。

 ちょうど「パーフェクトブルー」のブルーレイディスク版が発売されたこともあって、ブルーレイについて話しているのを横から聞くと、DVDでは潰れてしまう黒の濃淡がブルーレイならしっかると出て、暗い場面のシーンでもしっかりと作り手が意図したものが見えて来るらしい。

 思い返せばビデオカセットで見た「ブレードランナー最終版」をDVDで見て、暗いシーンの暗さにこれはダメだと思った過去もあって、それほどまでならブルーレイ、買っても良いかと思い気づいたのが「プレイステーション3」の存在だ。

 そう。すでに「プレイステーション3」が手元にあってブルーレイを再生できる環境は整っている。テレビとの接続も専用ケーブルがあれば簡単。それでハイビジョンの映像を見られるのならこれほど便利なことはない。おまけにゲームだって出来てしまう。まさに21世紀のゲーム機だという賛美の陰から、だったらどうしてこれほどまでに苦戦してしまったのかという疑問が浮かび上がる。

 もしも1年、いや半年ブルーレイへの新世代DVDの集約が早く行われていたら、これほどまでに「Wii」に差を付けられることはなかったのではないかとタイミングの不幸を他人事ながら嘆きたくなる。

 「パーフェクトブルー」が封切られた当時は「プレイステーション」が全盛で、「セガサターン」を凌駕しつつあり、続いて2000年に出た「プレイステーション2」で家庭用ゲーム機市場で圧倒的な存在へとのし上がった。そこで決め手になったのがDVDの再生機能だった。

 すでに市場に認知はされつつあったDVDが再生できるという「プレイステーション2」のメリットに飛びついた人が大勢いた。まさにドンピシャのタイミングで放り込まれたからこその成功。それなのに次の世代ではタイミングを外して伸び悩む。まさに栄枯盛衰を地でいくマシンだ。「プレイステーション」は。

 「美学vs.実利」(講談社、1500円)はそんな「プレイステーション」の、というより「プレイステーション」を創造した久夛良木健という人物の言動や哲学を、IT分野のジャーナリストとして長く活動を続ける西田宗千佳が綴った本だ。誕生以前から現在までを見てきた人だけに、刻まれている歴史は正確でそして深い。

 書かれてある内容を読むと、どうして「プレイステーション」が任天堂を打ち破ったか、セガをハードから撤退させるまで追い込んだかが分かる。そして「プレイステーションポータブル」が任天堂に及ばず、「プレイステーション3」では任天堂のはるか後塵を拝しているかも見えてくる。

 そのダイナミックな動きと、久夛良木健という人間のアグレッシブさは「美学vs実利」に書かれた数々のエピソードを読んで驚いて頂くとして、総じて言えるのは現在・過去・未来のテクノロジーを立体的に把握し、未来を見つめて世界を眺める視野の広さ、遠大さだ。

 その時点では夢物語に過ぎない技術なり、技術が可能とするビジョンであっても将来的にはは実用化されるはずだという可能性を勘案しつつ、それに向かって手を打ちマシンを作り上げていくのが久夛良木流。3次元CGの表現が持つ将来性に気づき、大容量メディアの持つメリットに気づき、ネットワークの持つ可能性に気づいて取り込んでいった。だからこそ未来を先取りして、21世紀の最初の覇者になった。

 思い出すのはDVDレコーダーが出始めた頃にインタビューした久夛良木健から聞かされた、ハードディスクドライブの有用性と将来性。DVDに逐次録画していく方式がもてはやされかけていた時期に、これからはどんどんと容量がアップするハードディスクドライブへの録画が主流になると断言した。

 2000年代初頭でテラバイト級のハードディスク装置が普通に安価で売られると、想像は出来ても現実味には乏しかった。そこで久夛良木健は、いずれ来るだろうハードディスクの大容量化とネットワーク回線の広帯域化によって、DVDに記録していくようなスタイルなど廃れると踏んで、ソニーから出ていたハードディスクドライブだけの録画装置を推奨した。

 2000年代も末期に入って見渡した世界は、音楽市場が配信へと移動し映像の配信すら始まっている。ブルーレイだHDDVDだと新生代メディアの競争が続いていたのを横目に、ネットワークからあらゆるコンテンツがダウンロードされて鑑賞されるようになって来ている。

 テクノロジーを知りビジョンを抱いて突き進む。その戦略は「プレイステーション」から「プレイステーション2」まで続く。幸いに大きな障害も生まれず天下を「プレイステーション」にもたらす。しかし「プレイステーション3」では、発想を具体的な商品に落とすだけの生産性や技術力の進歩が追いついて来なかった。

 その遠大な構想は理解できる。共感もしたい。けれども現実は足踏みしている。そこを嫌った心が反発へと向かった挙げ句、離反を招いて「プレイステーション3」は、というか「プレイステーション2」のブロードバンド接続構想あたりから、陰りが見え始めていた。久夛良木健が退いた後を、主に米国でマーケティングを担った人材が登用されたのは、現実を踏まえてどう売るかを考えてから作る体制へとシフトした現れだ。

 今はだから、残された「プレイステーション3」を核に、可能なことを早々に実現することが重要で、ブルーレイディスクへの統一という追い風もあって、ようやくのテイクオフは果たせそうだ。

 問題はその先、2015年から先の技術を、社会を、ライフスタイルを見据えて何かを作り出していけるのか。それだけのビジョンを描ける人材を持っているのか。いれば良し。いなくても大丈夫。久夛良木健は今もなおしっかりと健在なのだから。


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