いとみち 三の糸

 これで完結してしまうのは少し寂しいけれど、これで完結だからこそ浮かぶ自分への問いかけがあり、未来への希望がある。だからこれで完結でやっぱり良いのかもしれない。

 第1巻の「いとみち」(新潮文庫、590円)で幕を開けた越谷オサムのシリーズは、高校に入って一念発起、引っ込み思案の自分を直したいとメイド喫茶で働き始めた女子高生の相馬いとが主人公。濃い津軽弁がなかなか抜けず、接客の時もおどおどしっぱなしだったいとが、年上で子持ちの幸子と、漫画家志望の智美の2人の先輩メイドに引っ張られ、祖母譲りの三味線にも支えられて次第に居場所を見つけ、自分自身をつかんで成長していく。

 2年生になって写真部の活動も始め、そこに入ってきた元相撲部の鯉太郎という巨漢の後輩にちょっぴり気を向けたりもした第2巻の「いとみち 二の糸」(新潮社)に続き、受験を控えた三年生になって起こった出来事が綴られたのが、第3巻であり完結編となるこの「いとみち 三の糸」(新潮社、1400円)だ。

 そこでいとは進路に悩み、恋心に迷い、メイド喫茶に入ってきた後輩に手を焼くものの、後輩には当たって砕けないでどうにか導くことに成功し、進路の方も自分のやりたいことを見つけていく。恋心についてももやもやとした中に筋道を付け、さあ受験といったところでいろいろ壁が立ちふさがる。

 まずは学力の。そして風邪が。さあどうなる? といったあたりからの大逆転ぶりは奇跡的で感動的。普段の頑張りの大切さはもちろんのこと、他人の親切が身に染みて感じられるようになる。似た経験がある人なら笑って振り返り、今なお壁にぶつかり悩んでいる人には突破口を与え、これから壁に向かって突き進む人には大丈夫だという自信をもたらす。

 いとに限らず、相撲ではなく自分がなりたかったものへと向かう鯉太郎がいて、漫画家になると決断し、メイド喫茶を辞めて東京に出て、アシスタントやアルバイトをしながらペンをとる智美がいて、再婚した店長とともに新しいメイド喫茶を弘前に開くため、寂しがる娘を諭し歯を食いしばる幸子がいてと、誰もが自分のやりたい道を進もうとしてあがき、しっかりと前に進んでいく。その誰に心を寄せても、立ち止まり後ろを向いて逃げ出したくなんてならない。なっている暇はない。そう感じさせられる。

 そして物語は、いと同じように三味線が得意で、引っ込み思案な一戸こまという名の少女が登場して、その成長に興味を残してエンディングへと向かう。いとの人生がこまの人生へと円環のように受け継がれていく流れは、そのまま読者にも受け継がれて染みていく。そして思う。引っ込み思案でも良いじゃないか。まずは頑張ってみよう。迷っていたってそれも人生。何でもやりたいものをやってみるのが、すべてにつながる道の始まりなのだと。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災を経て、著者の目に映り心に浮かんだだろう事柄も、登場人物たちを通して語られ示される。そんな物語からは東北の、そして日本の力にひとりひとりがなっていければと思わされる。3月11日が来ていなかったら、いとや同級生の早苗はどんな道を進んだのだろう。そんな疑問も浮かぶけれど、起こってしまったことは変えられないし、彼女たちが選んだ道に間違いはない。だから認めたいし、応援したい。

 物語は終わってしまったけれど、劇中のフィクションとして登場したのが漫画「いとみち」だという設定が面白い。フィクションに終わらず本当に漫画になってくれたら、あるいはドラマにアニメになってくれたら、喜ぶ人も多いだろう。とはいえドラマでは三味線が大変だ。ただでさえ超名人級の腕前で、加えてヴァン・ヘイレンだのビーチボーイズだのを織り交ぜ津軽三味線を弾くいとの祖母を、いったい誰が演じられるのか? 記号にしか聞こえない言葉を、誰がどうやって発するのか?

 何より「三の糸」のあのシーンをいったい誰に頼めば良いのか? 当人にか? もしも実現したらだれもが胸を熱くするシーンになるに違いない。流石にあり得ないだろうけれど。そもそもがいとのキャラクターや三味線の演奏も再現するのは大変そう。女子高生で引っ込み思案で濃い津軽弁で喋って三味線はジュニアながらもトップクラス。そんな少女を演じられる女優がいたら見てみたい。きっと素晴らしい人だろうから。

 同じように高校の3年間を3冊で描いた誉田哲也の「武士道シックスティーン」からの3部作も、映画になったものの最初の1本で終わってしまい、残念だった。それだけに、こちらは3作をしっかりと並べて映画化なりドラマ化なり漫画化なりアニメ化されれば嬉しい限り。むしろすべきだろうと断言したいけれど、動く企画屋はいるのか、満足な映像にできる映像屋はいるのか。腕と知恵の見せどころだ。


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