イリヤの空、UFOの夏 その1

 今時の手慣れたSF読みにとって、およそ大半の設定はどこかで見たことがあるか、あるいは想像の範囲内に留まっているもので、これは驚いたとか、これは凄いとかいったストレートな感動に、打ち震えることなんてなかなかない。

 見るものすべてが新しく感動できるものだった時代は過ぎ去った。基本的には前のなになにと同じだけれど、どこそこの部分だけがすこし違うといった設定面の差異に喜んだり、あの設定とこの設定を組み合わせて、迫力を増そうとした合わせ技の妙に感嘆したり、突拍子もないキャラクター造型に、萌えたり惚れ込んだりといった、バリエーションの範囲で新しい要素を探しては感動している。

 あるいは設定は過去に類例があっても、見せ方の部分での工夫に感銘を受ける、といった具合。こうなると「SF」の核になる「センス・オブ・ワンダー」に喜んでいるのか、文章的なテクニックなりキャラクターの造形力といった”文学的”な要素に喜んでいるのかが分からなくなって来る。

 もっとも、山ほどの本が出版される昨今、微妙な差異でも”文学的”な要素すらないものだって結構ある。微妙な差異なり”文学的”な要素をひとつの突破口に、バリエーションの範囲を踏み越えた新しい「センス・オブ・ワンダー」を作り出そうとする意欲がそこに見られれば、そこは素直に感銘を受け、感動に打ち震えるのが筋なのかもしれない。

  秋山瑞人の「イリアの空、UFOの夏1」(メディワークス、円)もこれまでのところ、描かれている物語世界の構造そのものに、驚天動地させられるタイプのSFではない、ように見える。1巻を終えた段階で明らかにされている、日本を舞台にしながらも、今、こうして現実の人たちが生きている日本とは違った状況に置かれていそうな感じとか、そんな状況の上で繰り広げられる、現実の世界では実現の難しい技術や兵器を使った戦いの様相とか、それ自体が極めつけの「センス・オブ・ワンダー」を喚起するものではない。

 ただ、世界の構造を見せていく語り口がとてつもなく巧妙で、読んでいるうちにだんだんと、そして気が着いたときには奥深くまで、驚きの世界へと引っ張り込まれている。過去にある似た類例の作品たち、それを説明するのはこれから読む人の興を殺ぐ恐れもあるから深くは触れずにおくけれど、挙げるなら矢作俊彦の近作のひとつとか、小松左京、筒井康隆といった日本SFの先人たちでも比較的初期の作品群に属するパラレルワールドもの、疑似イベントものに比べても、世界を扱う手触りに独特の味があって楽しめる。

 物語は現代とさほど違いのない日常から始まる。夏休み、主人公で中学生の浅羽直之は、入っている新聞部の先輩で、熱烈な超常現象マニアという水前寺邦博に引っ張られて山にこもり、裏山に出現するというUFOの観測を行っていた。もっとも休み中を費やしても収穫は一切なく、明日から二学期が始まるという日になってしまった。

 せっかくの夏休みのせめてもの思い出にと、直之は山ごもりから帰宅する途中、プールに入って水遊びをしようと夜中の学校へと忍び込んだ。そこで直之が出会ったのは、スクール水着に身を包み、手首に不思議な金属の球をつけた、なぜか時々鼻血を出す美少女、伊里野加奈だった。

 至極真っ当なボーイ・ミーツ・ガールのエピソード。ところが程なくして現れた黒い服の男たちに連れられて少女はどこかに帰って行き、直之は翌朝、なぜか途切れている前夜の記憶に頭を悩ませながら、新学期の学校へと向かった。あれは夢だったんだろうか。いったい何を見たんだろうか。そんな考えに囚われていた直之の前に転校生として現れたのが、昨日プールで出会った伊里野加奈だった。

 絶世の美少女。なのに伊里野にはどこか協調性に欠けたところがあって、近寄ってきた同級生の女子たちに「うるさい、あっちいけ」といってのけ、たちまちのうちに逆の意味での”人気者”になってしまう。鞄の中に携帯型のゲーム機と見たことのないゲームを入れ、これまた見たことのないカードを使って電話でコード表のような不思議な言葉を聞いている伊里野の姿に、直之はもしかすると彼女は宇宙人なのか、UFOにのってやって来たエージェントなのかと疑いを持ち始める。

 そして訪れた「避難訓練」の日。訓練との予告もないまま鳴り響く警報のサイレンに、いつもどおり廊下へと出てカメのように丸まった生徒たちに向かって、それまで冷静なところしか見せなかった伊里野が大声で叫ぶのを直之は聞いた。「何をしているのか」「そんなことをして何の役に立つのか」「立ち上がって走れ、死にたくなかったら自分の後に続け」、と。

 ヒントはすでに散りばめられていた。「北への空爆」「学校にシェルター」「月に一度の避難訓練」。そして「空襲警報」。単なるボーイ・ミーツ・ガールだと思っていた話が、よしんば非日常的な部分があってもボーイとガールの立場に差がある程度だと思っていた話が、ここに来て一気にシリアスな様相を帯びてくる。「イリアの空、UFOの夏」の登場人物たちが置かれている世界の、現実とは大きく違った日常が目の前にパッと開け、とんでもない場所に知らず連れてこられたということに気付かされる。またに巧妙というより他にない。

 とてつもなくハードな世界。おそろしくシリアスな日常。なのに直之も、水前寺も伊里野もそんな世界のそんな日常をそれぞれの感性の上で当然として受け止め、世界に対する違和感のそぶりも見せずに日々を営々と過ごしていく。今この現実に生きている人間にとっては想像上でしかない生活を、言動を、思考を、想像上の世界の上で当たり前のように繰り広げさせる、作者の筆の冴えにひたすら驚く。

 そして圧倒的なキャラクター造型。伊里屋は言うに及ばずCIAへの就職が希望で超常現象のためなら何でもする行動力を持ち思考能力も抜群のマッド部長・水前寺、プールで泳ぐ伊里野を連れ戻しに現れた、飄々として軽薄そうに見えてその実、写真を撮られたことすら1度としてないという謎の男・榎本、ある時は直之の通う保健室の先生で、ある時は金属バットをふるって群がる新聞勧誘員に連戦連勝を続ける美女、椎名真由美といった面子が織りなす、ドタバタしつつもスラップスティックに寸止めのリアルさ保った振る舞いに、描かれているハードな世界のシリアスな日常を納得させられてしまう。

 おそらくはとてつもない状況下でのボーイ・ミーツ・ガールだった「イリアの空、UFOの夏」が、果たして向かう先はさらにとてつもない状況なのか。それともそれぞれのひと夏の経験として重なりやがて離れ、伊里野は伊里野の、直之は直之の「現実」をそれとして生きていくことになるのか。続く「その2」以降の物語で、もしかすると有り体の「センス・オブ・ワンダー」すら越えた驚きをもたらしてくれるかもしれないけれど、そうでなくても巧妙にして軽快な文章と、圧倒的なキャラクター造型によってつづられる、物語だけで充分に驚きと感動は得られるだろう。とにかく今は「その2」を、「その3」を「その4」を、この手に、早く、確実に。


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