イン・ザ・プール

 「人のふりみて我がふり直せ」とはよくいったもので、用例にはちょっとそぐわないかもしれないけれど、最悪にはまりこんでいても最低に落ち込んでいても、より最悪だったりより最低だったりする人を見ていると、同情とか憐憫とか自己嫌悪とか反発のあまりに、はまりこんでいたり落ち込んでいたりするのがばかばかしくなって、気持ちもケロリを回復してしまう。もしも自ら意識して、最悪最低を演じることができたとしたら、他人の心の悩みを聞いて、その悩みを取り除く手助けをする優秀な精神科医なり、カウンセラーになれるかもしれない。

 現実には、他人に我がふりをなおさせるくらいに最悪最低の人物が、意識して最悪最低を演じられるとは思えないけれど、もしかしたらあるかもしれないことを書いて、人に興味をもたせるのが小説の役割であり醍醐味。という訳で、奥田英朗が書いた連作短編集の「イン・ザ・プール」(文藝春秋、1238円)に登場する精神科医が、心にもやもやを抱いて診療に訪れる患者の誰にも増して支離滅裂な性格づけだったとしても、「こんな奴いねえ」なんて思わず読むに限る。もっとももしかして本当に、「そんな奴」がいるのかもしれないけれど。

 単行本に収録された連作は5本。どれもがやっかいな心の病を負った人が、「伊良部総合病院」という病院にある神経科を訪ねて行って、伊良部一郎という医学博士の先生に診療を受けるという内容だけど、その伊良部という医者が実に独特のキャラクターを持っていて、訪ねていった患者はほとんど全員が全員、ひとめ見るなりヤバいと感じ、自分は果たして直してもらえるんだろうかと不安に陥る。

 表題作に登場する大森和雄は、ずっと原因不明の腹痛に悩まされていて、仕事の途中にトイレにかけ込む羽目になったり、通勤すらもおぼつかない時も出てくるなど、生活に影響が出始めている。調べても内蔵に異常はなく、原因不明ということで病院内をたらい回しにされた挙げ句にたどり着いたのが神経科。そこに現れたのが伊良部一郎は、体型に自由度があり過ぎる上にマザコンで、おまけに人が注射をされている場面を見るのが何より興奮するっという人物で、そんな姿を見るにつけ、大森和雄は激しい不安を抱く。

 2話目の「勃ちっ放し」に出てくる、ペニスが勃ちっ放しになってしまった男性も、3話目の「コンパニオン」に出てくる、自意識過剰で誰もが自分に注目しているんだと思い込んでいる女性も、自分たちの症状を超えて異様なところを見せる伊良部に、激しく戸惑い心配になる。表題作だったら主人公がリハビリがてら始めたプール通いに付き合うようになった挙げ句、真夜中のプールに侵入して目一杯泳ごうと誘いかける伊良部。「勃ちっ放し」ではパーティーで知り合った女性が実はランパブ嬢だったと知って、結婚詐欺だスベタだママに言いつけてやるってな感じで診療室でわめき散らし、患者を唖然とさせる伊良部。どちらもとても冷静さが身上の精神科医の取るべき態度には思えない。

 「コンパニオン」では診察に来た女性が応募していた映画スターコンテストの男子部門に、親のコネを使い年齢も体型も一切気にせず応募しては、自分がコンテストに受かるのは当然とばかりに主張し、落ちたら落ちたで何かの間違いだと主張して、無理に予選を通ろうとしてしまう。そんな支離滅裂な伊良部一郎の姿に接して、どの患者も悩んでいた自分の気持ちを棚に上げて、呆然としてしまう。

 患者について分析をするとか、上っ面だけの美辞麗句を並べて安心感を与えようとして勘ぐられたりとかいった、よくあるパターンに落とし込まれることなしにエスカレートしていく展開の中、翻弄され、いつしか自己を快復してしまう患者たち。それが医学的見地であり得ることなのかどうかは分からないけれど、伊良部の爆裂ぶりが見て我がふりを思い出したくなるくらいに微妙なポイントをついていて、笑いの中にもハッとさせられる。

 自身のない自己を大きく見せるため、新しいCDを買い込んでは他人に貸すことで認めてもらおうとあがき、相手が自分をさほど重要視していないことにあるいは薄々感づきつつも、それを認めるおとはすなわち自分を否定してしまうことだと恐れ、携帯メールをのべつまくなし送り続ける若者を描いた「フレンズ」が示す、つながっているようでその実孤独な現代人の様に我が身が重なり、落ち込む若い人も結構いそう。けれども同じように他愛のないメールを送り続ける伊良部の姿に幻滅し、伊良部の下で働く看護婦の自分は自分という態度に触れた後では、落ち込んでいるのが間抜けに思えてくる。読むクスリ、とはこういう本を言うのかもしれない。

 精神科医といったらどちらかと言えば、吉野朔実のコミック「恋愛的瞬間」に出てくる森依四月のように、美形で人に安心感を与えるタイプの人が真っ先に浮かぶ。けれども「イン・ザ・プール」を読み終えた今、精神科医なりカウンセラーには人を羨望させるような美形より、反面教師として人に自覚を与え自立させるような人物の方が、あるいは適しているのかもしれないと思えてしまう。

 とりあえず5本の連作を通して、仕事に悩みストレスに猛り、過剰な自意識に苛まれ友人関係に溺れ強迫観念に脅える人々は救われた。けれども世の中にはまだまださまざまな悩みがある。もしも可能性があるならば、そんな多種多様な悩みにもだえのたうち回っている現代人に、伊良部のさらなる暴走を通して、快復の道を与えて欲しいものだと、ここに強く願おう。


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