異人画廊 盗まれた絵と謎を読む少女

 絵が人を感動させるなら、絵が人を殺すことだってあり得るか。

 美しかったり喜びを与えてくれそうだったり、卑俗だけれど情動を誘ってくれそうな絵を見て人が心を動かすことは理解できる。醜かったり恐ろしかったりしてもやっぱり心は動くだろう。でも死ぬところまで行くのかというと、それはやっぱり考えづらい。人の心はそこまで弱くはない。

 そう思いたいものの、一方で人は甘言や讒言に騙され導かれて道を誤ったりもする。言葉に弱い心があるなら、見たものに揺れ動く心もあるかもしれない。そんな心に巧みに誘いかける絵があれば、死への道を自分で選んでしまうこともあるかもしれない。

 ならば、いったいどな絵が人を追い込むのか。集英社コバルト文庫で「伯爵と妖精」のシリーズを出して人気の谷瑞恵による「異人館画廊 盗まれた絵と謎を読む少女」(集英社、560円)という小説に、絵に仕込まれて人を揺さぶる”図像術”というものが登場する。

 日本を離れて英国に行き、飛び級で大学を出て図像学でも特殊な図像術という学問を修めた此花千景という少女が、面倒をみてくれた祖父の死去もあって日本に帰国し、神戸にある祖父母が暮らしていた画廊兼ティーサロンに戻ると、そこに幼い頃に何度か会ってその度に悪態をついてきた西ノ宮透磨という青年がやって来た。

 若くして死んだ父親の画廊を継ぎ、どうにか建て直した才覚の持ち主であり、そしてキューブという曰くありげな隠れた名作を集める不思議な集団を組織している不思議な青年。彼は欧州で盗まれたゴヤとそしてもう一枚の絵が日本にあるらしく、それを買い取り盗まれた場所に戻す手伝いをするよう保険会社に頼まれ動いていて、千景が持つ図像術の知識を貸してほしいと持ちかけてくる。

 もっとも、態度は相変わらず横柄というか辛辣というか千景に対して容赦なく、千景も子供のころに散々いじめられ描いた絵をけなされた記憶もよぎってどうにも納得できない。それでも、祖母が好み祖父も愛した青年で、なおかつ自分自身も図像術の知識を使った仕事ができることに興味を抱いて、透磨についてゴヤともう1枚の絵を探すことにする。

 ゴヤならゴヤで別に美術鑑定を立てれば贋作かどうかすぐに分かるのに、どうしてまだ若い千景が頼りにされたのか、というところがこの小説の大きな鍵。というのも盗まれた絵は2枚あって、1枚はゴヤだけれどももう1枚は誰かわからない人の絵で、なおかつそんな2枚のうちのどちらかが危険な絵らしかった。

 見れば不幸に見回れるという絵。それは図像術というかつて隆盛しながらも異端ということで闇に葬られたテクニックが施されていて、そこかしこにちりばめられた図像なりが見る人に作用して、心を動かすなり行動に踏み切らせるなりするという。

 そうした図像術を学んだ千景は危険性をよく知っていて、誰かが見るのは危険だからという思いも働いて、嫌いだけれど透磨といっしょに絵を探そうとする。時に現在の持ち主らしい男の娘だと騙って、図像術のせいか何かで怪我をして入院した男の所に行って絵の在処を聞き出そうとし、時にどうやらそれが対象の絵らしい1枚を持っていった男から奪い返すためにホテルのサロンへと出かけていく。

 占い師の槌島彰に、現役の女優という此花瑠衣といったメンバーも交えて遂行されるプロジェクトが、うまくハマって目当ての品に近づいていく過程を追っていく形のストーリー。どこにあるかを探り当て、どうやって手に入れるか策を巡らせ実行に移してうまくいえば喝采、失敗すれば再挑戦といった展開を楽しめる。

 その一方で、千景が子供の頃に誘拐された過去を持っていて、それがトラウマのように彼女の両親への不信、昔の自分への嫌気につながっていることがあって、そのことを透磨が知ってか知らずか、表向きでは辛辣な言葉をなげつけながらも、裏では千景をい慈しみたわるようにサポートしていくけなげさが可愛らしい。素直になれない男の子の純情さといったところか。

 絵に心理的に作用する図像を仕込むことで、人を本当に動かせるのかどうなのか。そもそもが海外の神話なり、宗教なりに依った図像を仕込んでも、それがまったく違う文化を持った日本人なりに作用するのか。そこが図像術の信憑性を判断する上で迷う部分だろう。

 とはいえ、神話なり伝承は人間がこの世に生まれ、知恵を育み文明を発達していった過程で共通に生まれ得るもので、だからまるで違う地域でも、似た神話が伝わることがある。図像術もそうした原初で根元の神話に迫るものだからこそ、人を動かし得るのかもしれない。

 果たして千景たちが追っていた絵には、何がどのように描かれていて、それだどう人間に作用したのか。言葉では説明されていても、実際の絵をみないと感覚はつかめない。とはいえ見たら最後、絵によって動かされてしまう。千景のように訓練すれば図像が仕込まれた絵でも見られるのか、透磨のようにすでに強烈な図像を心に植え付けられていれば、何を見ても動じないでいられるのか。

 前者は勉強が大変そうだけれど、後者はどうやら身近に試すことができそう。そのことを千景が知って、透磨が何を心に強く刻んでいるかを聞かされた時に、彼女がどう反応するのかをいつか見たい。何より次はどんな絵にまつわるミステリーに出会えるのか楽しみで仕方がない。続いていって欲しいと願おう、心から。


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