百神百年大戦

 強いとはどういうことあろう。すべての場所を支配下に治め、あらゆる人たちを傅かせることは確かに強さを表しているかもしれないけれど、そうした立場になることを拒んだからといって強くないとは限らない。たとえ狭く小さな場所でも、そして部下などほとんどいなくても、自分がいたい場所に自分がいたい誰かとずっと居続けられることるもまた、強さの表れなのではないか。

 百年ほど前、百柱の神々がタイクーンと呼ばれる地上へと降臨しては土地を支配し、人々を支配しつつ勢力を争うようになった。そう聞くと、大森藤ノによる人気シリーズ「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」が思い出されるが、あわむら赤光の「百神百年大戦」(GA文庫、630円)は神様たちが信徒を囲って集団を作ったその上で、神様としての力を振るうことを禁じられた「ダンまち」とは違い、神様たちがフルパワーで戦っては、地上にある<龍脈>をより多く奪おうとしのぎを削っている。

 そんな神様の中にあって剣を司るリクドーは、見かけこそ少年のようでありながらも降臨した最古の神のひとりとしてそれなりの力を誇っていた。もっとも、なぜか<龍脈>を奪い合う神様どうしの戦いで、雨の神オードランに敗れて従属神という立場に収まりつつ、オードランには合わないからという理由で、以前ら持っていた<龍脈>のひとつ、ヴェステル火山を保持して面倒を見る日々を送っている。

 オードランに挑み返して従属神の立場から抜け出そうとはしない。他の<龍脈>を取り返したりもしないで、<龍脈>から力を引き出すのに必要な巫女を愛でつつ、毎日をのんべんだらりと送っている。そんなリクドーの元から30歳くらいになったと言って巫女が去り、次の巫女を選ばなければならなくなったリクドーは、新しい巫女を選ぶために矢を放った。

 それが届いた相手が、一帯をかつて治めていた王族の姫ミリアルージュ。人間から実権を奪って単なる地域の代官めいた地位に押し下げた神様たちへの恨みを抱いてた彼女は、リクドーからの巫女就任への要請を当然にように断ったが、周辺からの侵攻も始まりそうな中で領地を守るためには神様の力が必要と感じ、1年の猶予でリクドーの巫女見習いのような立場に収まった。ところが。

 リクドーが使えるオードランの娘で、結構な強さを誇るエクレアという女神がちょっかいをかけてきたからもう大変。かつては強大な力を誇りながらも今はヴェステル火山の<龍脈>を持つだけで、それすらも巫女と契ってないため力を引き出せないリクドーはエクレアに敗れてしまう。さらに大陸の外から襲ってきたミヒャエルという軍神を相手に戦う羽目となって大ピンチに陥る。

 そこで、昼行灯にしか見えなかったリクドーの秘められた力がほのめかされてくるのは一種のお約束。とてつもない強さを誇り、策略をもってリクドーのいる地に侵攻してきたミヒャエルですら警戒するリクドーが、どうして日々を中間管理職的な地位に甘んじているのか。神様が情愛ではなく支配の意図を抱いた場合にどれだけの恐ろしいことが起こるのか。いろいろな疑問があり、展開があった先、少しだけ見直されたリクドーはいつか本当の力を発揮して世界をその手中に収めるのか、それともいたい場所にいたい誰かと居続けるのかが今はとても気になっている。

 読みやすくメリハリがきいて面白いライトノベルらしいライトノベル。関心を持って展開を見守っていこう。


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