舟を編む

 今、欲しい辞典があるとしたら、一般に諸橋大漢和と呼ばれる、大修館書店刊行の「大漢和辞典」か。たっぷりの漢字が、熟語とともに収録されたそれを、休日などにぺらり、ぺらりとめくって、好みの形をした漢字を見つけ、読んで熟語に面白そうな言葉を見つけ、それを構成している別の漢字へと飛んで、そこからさらに別の熟語へ、漢字へと飛んでいきながら、脈絡のない漢字の宇宙を漂い飛躍して、気が付くと日がとっぷりとくれている、という暮らしに、ゆとりと温もりを感じて羨望を覚える。

 実際にやって楽しいか、といわれるといささか不明。そもそもどうして大漢和なのかと言われれば、それは学生の頃に中国史を学んでいて、史書をはじめとした漢文を読む時に必要ではありながらも、当然のように高額で手元にはおけず、研究室にあったものを引っ張り出して使おうとして、文字の引き方の面倒くささに辟易とし、時間の足りなさに焦燥感を抱き、いつか時間があったら、そしてお金があったら大漢和を揃えて、自在に操りすらすらと、漢文を読んでいきたいものだと思ったから、かというと、当時はまったく思わなかった。

 むしろ、もう2度と漢文なんかを読むものか、というトラウマにさえなっていたものが、成長して懐にもゆとりが生まれて、神田神保町あたりの古書店で大漢和辞典が安価に出ているのを眺めるにつけ、今なら買えると思える心と財布の余裕が、リベンジもこめて大漢和辞典への感心を煽っている模様。もっとも、それだけの分量を置くスペースが家のどこにもないとう現実がのしかかって、未だ手元に置けずにいるのだけれど。

 それにしても、調べるとこの大漢和辞典、発端から補巻も含めた完結までに実に75年もの歳月がかかっていた様子。そもそもの依頼から、第1巻の刊行までにしてからが、戦争を挟んで30年の歳月がかかり、そこから全巻の刊行まで、さらに5年の都合35年がかかっている。校正を重ねた原板が失われ、組み直して校正をやり直していったというから、もはやそれは業をこえた念の世界だ。

 なおかつ、そこから縮写版の編集が始まり、修訂版の制作が始まり、増補巻の検討も始まってそして40年。人が一生を賭しても届かない年月が、ひとつの辞典の完成までに注ぎ込まれている。なおかつ辞典や辞書の編纂の現場では、そうした苦労話が他にもゴロゴロと転がっている。言葉にまみれ紙にまみれての一生。それでもやらなくてはいけないという執念を、描けば果てしなく熱血情熱歓喜落涙の世界へと至りそう。

 そこを、ひょろりとコミカルなタッチで描きつつ、背後にある言葉への、辞典作りへの強い意志を讃えてみせたのが、三浦しをんの「舟を編む」(光文社、1500円)とう小説だ。諸橋大漢和の75年とまではいかずとも、10余年をかけて1冊の国語辞典を作ろうとする人たちの思いのさまざまが、浮かび上がってきてそういう世界があるのかという驚きと、そういう世界に関わっていられる意義といったものを感じさせる。

 言葉に興味を持った荒木公平という少年の、辞書を引いて言葉の海を渡る日々から幕を開けた物語は、数ページで一気に37年もの時間を飛ばし、荒木が出版社で辞書を作り続けて、そろそろ退職も近くなっていることを紹介。そして、松本先生という辞書の編纂者を相手に、最後にして最高の辞書を作ろうと2人で意を固めるところから、本当の物語がスタートする。

 出れば安定的な売り上げを稼げる辞典や辞書だが、作るまでには時間がかかり、金もかかって出版社の経営の足を引っ張る。そんなところに人など回せないと、荒木の下には佐々木さんとう庶務的な仕事をこなす女性と、入社3年目でチャラい格好とそして性格までもチャラい西岡という青年がいただけ。辞書作りは一向に進まないまま、自分がいなくなっては大変。だからといって編集部内には、後を託すには役者が不足していると感じた荒木は、社内を探して歩いて、営業部で西岡と同期の青年を見つける。

 「まじめくん」。そう周囲から呼ばれる彼は、性格も真面目なら名字も馬締光也といった。言葉への感心は人並み以上。これは逸材と荒木は馬締を辞書編集部へと引っ張り、「大渡海」という新しい辞書の編集に挑もうとする。はじめのうちは他人と関わることが苦手で悩んでいた馬締も、下宿先の大家の老婆の励ましがあり、また新しくも羨まし出会いをきっかけにして、どうにか立ち直って仕事に入り込んでいく。

 真面目男が美人の板前に恋をして、どうやって口説き落としていい仲になっていくのかというラブストーリーがあれば、言葉をめぐって丁々発止のやりとりをかわす、コントのような展開もあって引きつけられる展開。ただ真面目なだけの馬締が、美人の板前といい仲になりながら、自分はそれほど美人ではなく、それでも気だてはとても良い女性といっしょにいることへの懐疑と安寧という、複雑な心境をかかえ迷う西岡の姿も、チャラいだけではない人間味が漂ってきて、捨てておけない気持ちになる。

 広告宣伝の部署へと移ることになって、もう関わらない辞書の仕事にかまけていられないと思うのが普通。同期に美人を持っていかれた敗北の心が、歪んで足をひっぱり場を混乱させかねないところを西岡は、それでもやっぱりどこかに辞書のことが好きで、馬締のことが放っておけない優しさがあった。友情めいた心理と、物作りにかける熱情。西岡にあったその気持ちが、馬締や荒木、そしてストーリーに現れる面々の誰にでもあって、諦め怠惰に逃げがちな現代人の心をえぐる。もっとやれと背中をせっつく。

 面白いのは、そんな馬締と西岡の物語が、さらに10数年飛んで新しい世代に入ること。荒木も退社して嘱託となり、佐々木さんと2人だけになった辞書編集部で馬締が、ゲーム発のキャラクターの辞典を作りながら、制作をストップされていた「大海渡」の準備をコツコツと進めていて、そこに女性ファッション誌にいた、入社3年目の女性編集者、岸辺みどりの参画を得て、一気に話が進み始める。

 荒木、馬締ときて3世代目ともいえる岸辺が登場しても、まだまだ苦難が待ち受けていた辞書作りの様子には、その道が半端ではないことが分かる。けれども、そうした労苦を共に乗り越え、目標に向かい同じ舟に乗って進む面々の姿に、やってさえいればいつかたどり着けるものだという力もわいてくる。

 75年もかかった先達がある世界。10年、20年なんてあっという間だ。そう言い切れるほどの達観はなくても、1月2月のことであくせくする必要なんてないんだと、何かに焦っていた胸のつかえもとれてくる。読み終えた時、何かを達成する喜びも当然として、何かをやり続けることの意味というものも感じられるようになるだろう。止まってさえいなければ、いつか何かがやってくる。さあ進め。進のだ。


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