本日の騎士ミロク1

 お姫様。という存在はやっぱり特別なもので、頂いてみてはじめてその存在感というものが分かってくる。

 決してお金持ちのお嬢様ではないし、偉い政治家のご息女という訳でもない。絶対でも立憲でも、君主すなわち国王なり天皇なりが君臨する国にあって、その一族に連なり血を引く女性がお姫様だ。

 生まれながらにしてその地位を我がものとしていて、育つ過程においてもそんな境遇が深く身に染みこんでいる。だから生活なり立ち居振る舞いには、いわゆるただのお嬢様とは違ったものが現れる。

 世界でも希に見る長さで君主を頂き続けている国に生まれて、間近という訳ではないけれども同じ社会の中でお姫様の存在に、報道等を通じて振れ続けることのできた人たちは、お姫様がやんごとない身の上だと直感的に感じ取れる。

 お姫様を物語に描く時も、そうした感覚を踏まえて高貴な存在として描くことが出来る。逆に高貴さを知るからこそ、その高貴さから外れた言動や振る舞いをした時に醸し出されるギャップを、物語の中に描いて楽しむことも出来る。

 こんなお姫様はあり得ない。そういった意外性方面から描かれたお姫様の物語として、新しく登場したのが「吉永さん家のガーゴイル」シリーズで知られる田口仙年堂の「本日の騎士ミロク1」(富士見ファンタジア文庫、600円)だ。

 何をやらせてもケンカっぱやくて、すぐに仕事を首になってしまう少年ミロク。けれども兄として妹や召使いを養う必要があって、遊んでいる訳にはいかないと、暮らしているジルサニア王国の騎士団に入る試験を受ける。

 冷静さには自信がなくても、剣を振るう仕事だったら大丈夫だと臨んだ試験で課題をこなし、無事に騎士として登用されたミロクだったが、配属されたのはジェルメーヌというお姫様に直属した部隊。国民に向かって笑顔で語りかけるジェルメーヌ姫の演説を手伝い、舞台装置を整え、姫の身の回りの世話をするという、騎士とはまるで縁遠い仕事だった。

 そもそもがジルサニア王国では、騎士というのは公務員とほぼ同義語。軍隊のように戦う騎士団もしっかりと抱えながら、城にあって庶務に総務に雑用その他まで受け持つのもやっぱり騎士。ミロクが任された仕事もどちらかといえば後者の方で、与えられるはずの剣も与えられないまま、部隊でも末席の使い走りとして雑用を押しつけられるハメとなった。

 これでは剣が振るえない。そもそも剣がもらえない。そうもどかしく思う以上に、外面はとても優しげなジェルメーヌ姫は、裏では乱暴で乱雑でずぼらで暴れん坊だったりしたからたまらない。ミロクはほとんどパシリと化して買い物に行かされ、身辺の世話をさせられて憤る。

 こんな騎士なんて辞めてやる。そう決意して飛び出したものの、妹と召使いが路頭に迷うと涙を呑んで戻ったところで明らかになった部隊の秘密。ウサギにしかみえない隊長に、優男のゴーレム使いに、口数の少ないジェルメーヌ姫の化粧係といった同僚たちの本当の力が明かされ、ミロク自身にもあった秘密が明かされて、王国が陥った危機に立ち向かう姿が描かれる。

 剣を持つとはすなわち剣を振るうということ。それにはとてつもなく深い意味があり、責任もあるのだということを、剣を持たせないことによって自覚させるエピソードも語られていて、単なるお姫様と騎士とのドタバタとした関係を描くだけではない、物語が持つ奥深さを感じさせる。

 さらに。ドタバタとした日常の緩さに騙されないで読み切ったところに見えてくる、お姫様という存在ならではのこれぞノブレス・オブリージュと言える振るまいが持つ強さと残酷さ。お嬢様でもご令嬢でもないからこそ描かれ得る展開なのだと教えられる。それだけの高貴さを、だから常に持ち得ていて欲しい、そうすれば永遠に国体は護持され、敬意は集められ続けるのだと願いたくもなってくる。

 剣士という職務の意義を感じ、落ちこぼれ部隊の逆転物にあるカタルシスを得て、そうした展開の先にあるだろう1人の少年の自立、そして恋の成就といったドラマを想像して楽しみたいシリーズだ。


積ん読パラダイスへ戻る