秘密の花園

 お姫さま、と聞けば浮かぶ典型があって、それは美人で頭はそれほど働かなくて、前向きに行動するなんてこともせずに、ひたすらに王子様を待っている、といったものだったりする。

 けれども実際、過去から今へと至る童話とかに登場するお姫さまを見ると、100年寝たきりのお姫さまもいれば、自ら魔女へと闘いを挑んで勝利するお姫さまだっていたりと結構さまざま。人が典型と思っているのは実はそれほど典型ではなくて、むしろそういった典型に押しこめようとする人の(お姫さまの場合は男の)意識が無理矢理に作り出した幻想でしかない。世の中はいろいろな人たちに溢れていて、決して典型には収まらない。

 女子高小説や女子高マンガ、と聞けば思い浮かぶ典型がある。友情があって嫉妬があって同級生との恋があって教師との愛があって……といった学園生活によくあるエピソードの中から、醸成され深まる仲間たちとの絆に読んで納得してしまう、といった内容がそれ。読む方もそんな典型が生むカタルシスに、気持ちをホッとさせようとするところがある。

 三浦しをんの長編「秘密の花園」(マガジンハウス)は、見かけこそ女子高小説や女子高マンガにありがちな、同級生の3人組を中心に据えて繰り広げられる友情と反発、恋愛と破局の物語のように取れる。いろいろあって、ばらばらになって、それでも再びひとつになって、ちょっとだけ成長していく物語が繰り広げられるんだろう、そしてそんな物語に自分を重ねて、ちょっとだけ成長した気持ちになれるんだろうと、誰もが読む前から思って安心している。

 けれども読み始めて間もなく、キャラクターもストーリーも八方破れで混沌に満ちていて、決して典型に収まらないことに気付く。得られるだろう安心感にゆるめていた気持ちが途端に不安になって、どこに連れていかれるんだろうかと戸惑う。けれども、というよりだからこそ、複雑だけどだからこそ面白い人間たちの生き様が浮かび上がって来るもの。どこへ連れていかれるのか分からない不安は、何が飛び出すか分からない興奮に変わり、次へ、次へとページをめくらされる。

 3部構成の冒頭は、マガジンハウスの文芸系誌「鳩よ」に分載された「あふれる」を改題した「洪水のあとに」。仲良し3人娘のうちの1人で、お嬢様たちが幼稚園からエスカーレーターで上がって来る学園に途中から入ってきた那由多という名の少女を主人公にして進んでいく。外から転入して来た優等生、といった設定は、女子高マンガの大傑作、川原泉原作の「笑う大天使」に登場するケンシロウこと司城史緒に少し重なる。

 友だちを得て、学校ではそれなりにやっているように見えて、実は過去に心と、そして体にも深刻な”傷”を負っていた那由田は、それ故にときどき気持ちが激情におさえられなくなることがあって、学校帰りの電車の中で、遂にそれが爆発してしまう。寂しさを包み隠して優等生然として生きる史緒とは、この部分が決定的に違っている。異端ではあってもマンガには違いない「笑う大天使」のマンガ的な典型に収まらない、小説ならではの特色がここにすでに出ている。

 典型からのズレ方では、3人娘のうちではお嬢様っぽさが色濃いタイプ、「笑う大天使」でなぞらえるなら、お嬢様っぽさの部分で少しずれが出るものの、位置関係ではコロボックルと慕われる柚子に重なる坊家淑子も同様。3部あるうちの中間の「地下を照らす光」で描かれている彼女の日常は、自分と同じ内進組の名家の出身者とは相容れず、かといって3人組を形成している那由多と翠との関係でも、那由多と翠との強い結びつきの埒外に置かれているような疎外感を受けていて、苛立ちと嫉妬の気持ちから、心に大きな闇を飼っている。

 そんな闇を埋めるため、だったのだろうか。通う学校の教師と付き合い愛とか恋といった感情とは無関係に、唇を貪り合い体を重ね合う。けれどもそんな薄っぺらな関係があっけなく崩壊する時が来て、淑子の体にある闇はさらに広がりを増して彼女のすべてを喰い尽くす。「地下を照らす光」のまるで救いのない結末に、大団円を期待していた気持ちは中空へと放り出され、激しい不安にかられいったいどこに連れていかれるのかとページをめくる手に加速がかかる。

 登場人物が3人組で物語が3部構成なら、ラスト・エピソードの「廃園の花守りは唄う」の主役は当然、寡黙でニヒリストのような雰囲気をまとった翠。「笑う大天使」ならオスカルに例えられる和音に重なる立場にある。ただし、「洪水のあとに」でくじけた那由多、「地下を照らす光」で折れた淑子といった、沈黙したり逃走してしまった人たちのエピソードを受け継いでしまった関係で、彼女を主としたドラマがあまり繰り広げられず、最初のうちは正体が掴み辛い。

 それでも読み進むに連れて、前のエピソードでくじけてしまった那由多、折れてしまった淑子の2人に対する翠の立ち位置が見えて来る。それは一種の要として、四方八方に飛び散ろうとしている那由多と淑子を引き留め、引き寄せようとしている役割で、那由多の過去の傷、淑子の今の闇を果たしてどうやって癒し埋めるんだろうか、といった部分からキャラクターへの興味が増して来る。

 性に関する決して淫靡でもなければ猥雑でもない描写を混ぜ込み、年頃にある少女たちの好奇心をほのかに煽りつつ、引っ張りつつも「援助交際」的なものを扱う現代小説の典型に陥るようなことはせず、不安定な状況へと導いて、読む人にいろいろなことを考えさせる。エンディングも、女子高マンガの典型のようなハッピーエンドにはなっておらず、千尋の谷へと子供を突き落とすような感じになっていて、はっきりとしたカタルシスは得られない。けれども、含みを残し余韻を与えつつページを閉じさせられることで、気持ちは強く刺激される。

 那由多は立ち直ったのか、淑子は帰って来るのか、翠は自分を解放できるのか。予定調和へと陥らず典型にも流れず、けれども実験臭さはまるでない、読んで面白くそれでいて深く考えさせられる物語。選び抜かれ磨かれ尽くされた言葉が巧妙な筆さばきで紡がれた絶妙な物語。確かで画期的な三浦しおんんワールドに、身を投じ心委ねてみては如何。


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