緋色のスプーク

 これは静かな物語だ。そして激しい物語だ。

 ササクラ、という人の「緋色のスプーク」(講談社BOX、1000円)は、国土を奪ったり奪われたりする戦いが繰り広げられている国で、“赤の死神”とあだ名されるくらいに凄い腕を持つ、ニケという名のクールな少女の戦闘機乗りと、彼女の専属のようになっている、アガヅマという名の腕の良い整備士との間に繰り広げられる、ドラマをたどった物語。

 といっても、ニケとアガヅマとが互いに愛し合い、求め合うような激情の恋愛ストーリーへとはまるで向かわない。ニケはアガヅマの整備を認めてすべてを預け、アガヅマはニケが戦いに向かっても必ず戻ってくるよう心で思うくらい、それぞれに互いを認めている。愛おしく思っている節すらある。けれども、そうした情動を1枚向いた下では、奥にうごめいている真意を探るような行為や心情が見え隠れする。信頼と疑惑、愛情と憎悪の交錯する展開が、読む者の緊張感を誘ってページを見る目を逸らさせない。

 ニケとアガツマだけではなく、パイロットの学校でニケと同期だったらしい、ハジメという男の戦闘機乗りが現れても、アガヅマと故郷が同じながら、戦火の中で暮らす別れ別れになってしまったセラという女性が、どういうつてを使ってか整備士となって、アガヅマやニケが所属する基地にやって来ても、もつれあった恋愛のドラマには至らない。そうした面も決して皆無ではないけれど、もっと別の要素がどこかから、彼ら彼女たちの手足に繋がっていて、愛と憎しみの行き交う裏側で、静かな策動を見せて人心を操る。

 ニケの義理の父親で、彼女を戦場から遠ざけようとしている監察官が見せるのは、果たして優しさなのか、それとも己の身分への執着なのか。アガツマたちの良き相談相手になっているように見える軍医の快活さは、本当に純粋な親切心から出ているものなのか。出てくる人々の誰もが純粋で真っ直ぐな人間とは言い切れない何かを、衣の下に、腹の奥底に持っていて探り合い、刺し合うような関係にあったりするから居たたまれない。

 誰がいったいどこの所属で、何を目的にしてそこにいて、そして誰に命じられて動き誰を裏切っていのか。一筋縄ではいかない関係性に驚かされ、単純なドラマとは違って帰結する先、予定調和の姿が見えないまま、ページを繰る手に戸惑いが浮かび、手探りのような感情を覚えさせる。ミステリアスでサスペンスフル。表はクールなニケと冷静なアガツマによる関係性を淡々と描きつつ、裏では激しい諜報の繰り広げられる。とても静かで、とても激しい物語だ。

 先のまるで見えない展開の果てに起こるエピソードの、何と切なくて愛おしくて狂おしく痛ましいことか。そこに至ってようやく浮かび上がってきた、純粋な愛の発露に誰もが戦慄し、屹立して喝采を贈りたくなる。けれどもすべては終わったあと。誰もが裏に気付いたあと。もはや知らない顔をして愛し合えない2人の関係が、そうなってしまうのも仕方がない。彼は果たして安心して眠れたか。彼女は果たして安寧の地平へと至れたか。そう思いながらページを閉じて祈る。ニケとアガヅマの永遠の幸福を。あるいは永劫の懊悩を。

 いつ果てることもなく続く戦闘機同士の空戦や、爆撃機による襲撃の描写のスピーディーで迫力のある描写は、同じライトノベル系なら犬村小六の「とある飛空士への追憶」にも重なって、飛ぶことへの憧憬を感じさせる。一方で、親しい人が明日には死んでいたりする戦争の狂おしさ、長くそれに関わってきた者たちに特有の倦んだ精神のもの悲しさの描写は、数多ある戦争の物語に負けず、そうしたものへの様々な思いを募らせる。

 それでも空に上がれば、敵機を見れば手に操縦桿を握って戦う戦闘機乗りのどうしようもない習性を描ている部分は、淡々とした描写とも相まって、森博嗣の「スカイ・クロラ」を思わせたりもする。押井守の手でアニメーション映画化されたら、どんな雰囲気になるだろうか。あるいは戦闘機乗りとスパイという意味では、時雨沢恵一の「アリソン」にも通じるところがある。とはいえ「アリソン」よりも殺伐とした感じは、やはり「スカイ・クロラ」に近いかもしれない。もしくは荻野目悠紀の「撃墜魔女ヒミカ」か。

 いずれにしても、数多あるライトノベルのように全体が見えやすい構図ではいし、読み終えてカタルシスを得られるような顛末でもない。愛が欺瞞に満ち、信頼が虚実にあふれた関係に、感情を添えて読むのも難しい。それでも、それだからこそむしろ今、「緋色のスプーク」は読まれる価値がある。読み込む意味がある。飽和状態にあるライトノベルから生まれ得る可能性のひとつなのかもしれないし、もっと別の小説ジャンルかもしれない。そんな規定の枠組みなんてもはや無関係だと思わせ、戦慄させて頷かせる物語として、迷わず読んで考えよう、今を、そして明日を。


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