左ききのエレン1

 1990年の夏に幕張メッセで「ファルマコン’90」という現代美術の展覧会が開かれいてて、その1年前に東京モーターショーを見に来た時には所狭しと車が並び、動くのも困難なくらいに人が密集していた巨大なホールが、パーティションで仕切られてそこに現代アートの絵だとか彫刻だとかがゴロンと置かれているのを、ほとんど観客もいない中で見ていくという不思議な経験をした。

 そこで見た草間彌生というアーティストの、ペニスが生え繁った椅子だったかゴムボートだったかの作品に見ほれ、当時はまだ河田町にあったフジテレビギャラリーに個展を見に行った。ほかにはたしかフランク・ステラも出ていたか。展覧会のカタログを見返せばもっと多くの現代アーティストが作品を寄せていたことが分かるだろう。

 そうした中に1人、アートともイラストとも落書きともとれそうな乱暴な絵を描いているアーティストがいたことを、なぜかくっきりと覚えている。ジャン=ミシェル・バスキア。ポップなタッチがすでに有名だったキース・ヘリングのようなグラフィティ系のアーティストとして認識させたのかもしれない。高校大学と読んでいた雑誌「POP−EYE」で名前を見かけていたのかもしれない。

 ただしバスキア自身は、2年前の1988年に薬のオーバードーズによって世を去っていて、新作も出ないままこれからは埋もれていく可能性も皆無ではなかった。にも関わらず逆にどんどんと名を高め、作品もどんどんと値上がりをして遂には123億円といった値段で取引されるものまで出てしまった。

 どうしてそれほどまでに有名になってしまったのか。アーティストの精神がそのまま映し出されたような激しさがあり、かといってサイケのようにおどろおどろしくはなく、乱暴だけれどまっすぐな感じが漂っていて、見る人の心を滾らせ燃え上がらせたのかもしれない。若くしてオーバードーズで世を去ったという経歴も、音楽でいうところのシド・ビシャスでありジミ・ヘンドリックスでありジャニス・ジョプリンであったりといった夭折の天才たちの系譜に名を連ねさせ、象徴として位置づけさせたのかもしれない。

 ゴッホとはまた違った天才にして先駆者。そうしたバスキアの生き様を、そして作品を似たようにパッションで描くひとりのアーティストの代名詞にした漫画が登場した。かっぴー原作でnifuni漫画の「左ききのエレン1」(集英社、400円)だ。

 朝倉光一という26歳の青年がいて、目黒広告社というところで駆け出しのデザイナーをしている。先輩に活躍しているクリエイターもいて、その下でプレゼン用のデザインを必死に作ってそれがコンペを通ったら、部長から経験不足だからとプロジェクトを外されたりもして、不満を感じながらもそれでも自分の才能を半ば信じつつ、半ば疑いもしながら次の仕事へと取り組んでいる。

 そんな会社での日々に、混ざるように描かれるのが光一の高校時代の日々。美術部に所属しながらも幽霊部員としてあまり描こうとはせず、それでも自分には才能があると信じて美大に行き、広告代理店に入って格好いいデザイナーになるといった夢をそれなりな自信とともに持っていた。そんな光一のどこか浮ついた考えを1枚の落書きが打ち砕く。

 「横浜のバスキア」。横浜にある美術館の壁にスプレーによって落書きされた、バスキアを思わせる激しいグラフィティアートを見て、光一は自分などとてもかなわない天才がいると気付く。というよりその絵を天才と気付いてしまったところに、光一のある種の才能が感じ取れたりもする。見る目があるだけに、自分の才能はまだまだ達していないと分かってしまうのは、人生において最大の苦しみかもしれない。

 いったい誰が描いたのか。どうやら同じ学校の生徒らしいと感じ取った光一たちは、「横浜のバスキア」を誘い出そうと学園祭でライブペインティングの展示を行う。もっともその正体を、光一に関心を抱いている同級生のさゆりは感づいていた。山岸エレン。さゆりとは幼馴染みで、画家の父親がいて自身もずっと絵を描いていた。

 もっともそうした活動が、美術部に入って絵描きになるといった王道には乗らなかった。挫折したのか父親が自殺し、彼の才能を信じていたエレンの心に傷を残す。目に映る他の多くの絵など父親に比べたらはるかに下手なものに見えてしまう。それでも描こうとする凡庸さにエレンの天才が爆発し暴走する。

 心の赴くまま、手の動くままに描かれたグラフィティが見た光一を打ち振るわせる。いつかそこまで近づきたいと思わせる。学園祭でついに出会ったエレンから罵倒されても、「オレはオレが諦めるまで諦めない」と啖呵を切る。そんな光一の吐き出すような思いは、けれどもエレンの軌跡と交わることはなく、光一は美大に行きデザイナーとなって広告会社でクリエイティブの職に就き、現実との軋轢や才能の限界といった苦難にあえいでいる。

 美大に行った誰もがクリエイティブな職に就けるとは限らない社会で、すんなりと広告代理店に就職してデザイナーとなり、仕事もまかされている光一は十分に幸運な立場にいると言える。高校時代にさゆりは、上位1000人に入れるような才能で十分といった考えで光一の行方を見守っていた。それにはピッタリとはまっている。今は苦悩していても、やがて会社の組織の中でそれなりのポジションに就ける可能性だってある。悩むことなどないと言える。

 エレンは違う。今という時代に語らられるだろう10人のアーティストに入れなければ意味はないといった考えを持っている。というより自分が自分を出せなければ意味がないと感じている。だから妥協はしない。おもねりもしない。そんな2人、ある意味で商業デザインの秀才でもある光一と、アートというジャンルに括ることすら当人にとっては迷惑かもしれない天才のエレンとの、まるで交錯せず、対比すら困難な生き方が綴られる作品に、どちらが自分に近いのだろうかと考えてみたくなる。

 もちろん天才ではあり得ない。職種はまったく違っても、日々を決まり事の中で精一杯に自分の能力を出して生きている光一に、誰もが自分を重ねて見てしまう。そして同時に、秘められているかもしれない、秘められていたと思いたかった才能だけを誰にはばかることなく溢れさせて生きていける天才への憧れも覚える。

 音楽のジャケットを頼まれ、描いた絵に不満を言われても、それは絵が彼等を選ばなかっただけだと言い放てる天才になりたい。だったらと絵に会わせて音楽を変えさせる天才になってみたい。それはどんな境地だろうか。嬉しいのだろうか。誇らしいのだろうか。経験してみたい境地だ。

 もっとも、天才にはそうした感情すら存在しないのかもしれない。ただ描き、ひたすらに描いて描くことでしか自分を保てないのが天才というもの。逆に自分という存在のどこかを切り崩して毎日を埋めていくのが、天才ではないその他大勢の人間たちなのだ。そうした差異を描いていく中で、今はまだ自分を諦めようとしない光一の精一杯のあがきを描いているのが、「左ききのエレン」の第1巻のストーリーだと言える。

 時折現れる今のエレンは、傍目には傲慢なアーティスト然とした態度を見せて世界と対峙する。それでも天才だからと世界は彼女を認めている。そんなエレンを逆説的な意味での引き立て役にして、光一の日々が綴られていく。もっとも、いつまでもそうした立場にエレンがいるはずはない。いつか爆発的な才能を迸らせ、暴力的な振る舞いによって光一たちを襲うはずだ。

 その時、光一にいったい何が起こるのか。ああはなれないと絶望に沈むか。ああはなりたくないと羽ばたくことをやめて日常に足をつけるのか。刺激され超えていく姿が見られるのか。すでに原作者による漫画がネットには上げられているけれど、見ずにnifuniを描き手に選んで商業媒体で綴られているこちらの作品で展開を見守りたい。


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