カラサワ堂変書目録

 「創」に連載されていた「酔狂読書目録」を中心に、ちょっとヘンな本について話したコラムをまとめた唐沢俊一の「カラワサ堂変書目録」(ソルボンヌK子画、学陽書房、1600円)は、よくもまあこんな本が出版されていたものだと、真っ当な人なら感じる本のオンパレード。前作「カラサワ堂怪書目録」(学陽書房、1600円)と同様に、著者の飽くなき「B級本」探しにかける熱意が全編から立ち上る。

 本屋毎日通い歴20数年という人間であっても、本屋の隅から隅までずずいっと目にしている訳では決してなく、興味のないジャンルや関心のない作者の本は、目にしても手に取らず記憶にすら残らないもの。「変書目録」には意外や1980年代、90年代、中には99年という去年出たばかりの本もあるのに、それらをまったく知らなかった不明を恥じるより、何かしらに関心を持ったら曲げずに進む信念に、敬意を表すべきなのだろう。

 パンドラという出版社から99年に出た「処女懐胎の秘密」(マリアンネ・ヴェックス、伊藤明子訳)が、果たして今でも店頭に並んでいるのかは不明だが、この時代に堂々と「単性生殖」の実在を語ってしまえる筆者も筆者なら、この時代に堂々と翻訳・出版してしまえる出版社も出版社。ほかに何を刊行している出版社なのかと興味も湧いてくる。フェミニズムやジェンダーの本が並んでいたらちょっと怖いが、まさかそんなことはありますまい。

 原書房から98年刊行の「ヴィクトア珍事件簿」(レナード・ダヴリース、仁賀克雄訳)はさすがに見た記憶があるけれど、これも立派な「変書」だっとは気づかなかった。というより、一見普通のミステリー関連書に見える本の中に、「ヘン」さを感づける嗅覚が凄い。二見書房から90年に出た「怪奇 人面の呪い」(松田直樹)も、この時期に大流行した「人面犬」に「人面魚」のブームに乗っての刊行で、「恐怖の心霊写真集」と大差ない娯楽本と見過ごしてしまいがちだが、後年にこうして取り出すことで、見えてくるあの時代のあの空気というものがある。

 トンデモなものウラなもの、ヘンなものフシギなものを見つけてはその中身を笑い飛ばすという行為は決して嫌いではない。むしろ最初に珍奇なものの中に面白味を見出して紹介した人への賛意を惜しむ気はない。が、いったん提出されたそいった見方をただ真似して、ヘンで珍奇なものを笑い飛ばすためだけに探し出す風潮が正直苦手だ。

 その点で著者は、大量出版大量絶版の波間に沈んでしまう、ヘンだけれど時代の雰囲気を写していたり、出版業界の約束が垣間見えたりといった本への探求を、単に「珍しい本、古い本を持ってます」という自慢に留まらず、単純に笑い飛ばすだけでもなしに、「われわれが生活している社会の、もっと大きく言えば文明の、断面がそっくりそのまま詰まっている」(まえがき)との認識を持って続けている。

 とてもじゃないが、巻末のあとがきで紹介されているような、5部屋あるうちの4部屋が手狭になるくらい、本に場所もお金もかけられない身にとって、時代をどちらかといえば作り出すベクトルに働くベストセラーのリストからは見えない、逆に時代に作られた部分の色濃く見える「ヘンな本」を結節点にして、状況に目を配ろうとしているスタンスは有り難い。一般人はこれ以上、家を本で狭くする訳にはいかないのだから。

 古い本では、手紙の書き方について触れた2冊の本が興味深い。68年に刊行の「青年らしい手紙文の書き方」(山田秀嶺、日本文芸社)に紹介されている「まじめすぎる」ラブレターは、なるほどあまりにパターンにはまりすぎていて、恥ずかしいかと言われれば恥ずかしいのだが、これが「当時にしたって滑稽だった」と思われるくらいにはまりきったパターンなのだとしたら、果たして最先端であった時代もあったのだろうか。明治大正昭和の過程で「だからこそ、だからこそあなたを愛しています」が格好良いと信じられて来た、あるいは格好良いと信じる人が出てきたプロセスが知りたい。

 もう1冊、「”漾子リリック・レター”シリーズ」(佐藤漾子画、ベニバラ社)という、1935年ごろに出た少女向けの可愛いイラストを入れた便箋集には、ファンからの投書が収録されていたそうだけど、「どうぞよろしく/初投書ですの/でも之からどし々々お便り致しますわ」なんて、今時の少女漫画だと世間知らずお嬢様or脇役不思議少女くらいしか使いそうもない言葉遣いが、当時の「少女小説」文化の中では真っ当に正統なものとして認識されていたようで、当時を思うと胸が痛んでも、今読むとやはり明治大正を経てどうしてこれが正統となり、戦中戦後を経て今や異端になってしまったのか、といった認識の変遷に興味が及ぶ。こうなったら歴代の「手紙文例集」の歴史と傾向を分析しつつ、社会や風俗との連携を考察してみるのも面白いかもしれない。

 冒頭にある「印税がまた古本になるリサイクル」の川柳が、本をこよなく愛する人間の業をまさしく突いており頬が緩む。5部屋のマンションの4部屋を本の置場所に使うという、傍目には贅沢にしか見えない著者への嫉妬心が浮かばないでもないが、この本をこうして買うことで、印税でが更なる古本の山になるのだとしたら溜飲も下がる。もっとも1冊の本を買い足したことで、自分の部屋も同じように狭くなっているのも事実。「リサイクル古本もまた印税に」でもって、部屋の広さを増やす道を持って勝負の出来る著者には当面(いやいや永遠に)、適いそうもない。


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