はちぶんのご
5/8


 1000点満点の共通一次試験で8分の5を取ったら625点になる。1000万円の年収の8分の5を確保でたら年収は625万円だ。共通一次で満点を取って超が山と付く難関大学へと進み、全優の成績で卒業して銀行とか商社とか大手のマスコミに入って社会人生活10年と少しのエリートが、稼ぎ出す年収が1000万円くらいと見ると我が人生、まさに「8分の5」の人生を地で行っていると言えなくもない。

 半分でもないけれど4分の3でもないその中間にあたる「8分の5」を、人が感じて言葉に例えるとしたら「そこそこ」「ほどほど」「まあまあ」といった、極端に良くもないけれどさりとて悪いという程でもない、まあいいんじゃないか程度の位置付けとして見るだろう。翻って我が人生、勉強にも生活にも死ぬほどに苦労した訳じゃなく、だからといって決して楽をした訳でもなくまあ「ほどほど」に勉強をして、「そこそこ」の成績をあげて「まあまあ」な会社に入って今へと至っている。感覚的にもやっぱり「8分の5」の人生なんだろう。

 誰もが頂点を目指し最前線を突っ走っていた時代には、「8分の5」の行き方は別に悪くなんかないのに「遅れている」だの「落ちこぼれている」だのと非難を受けた。親にはもっと勉強しろと言われもっといい会社に就職しろと言われもっと綺麗なお嫁さんを……とまでは流石に言われなかったが。流石に人の美醜は好みの部分が大きなウエートを占めているから、100点満点でどこいらあたりが62・5点なのかを定義することは難しいし。

 しかし頂点を突っ走った人たちの集団とも言えるエリート官僚にドカドカと腐敗が指摘され、エリートの社会人の頂点とも言える銀行のトップがバタバタと辞任し逮捕され自殺をし、一流企業がボンボンと潰れていく様を見ると人生「8分の8」の満点でいるよりも、ほどほどにそこそこにまあまあな「8分の5」で行くのが気楽で楽しく面白い、最も正しい行き方なんじゃないかと、これは何も自虐や自慢の意志を込めずとも思えてくる。

 タイトルもそのままに登場した野村正樹の「8/5(はちぶんのご)」(マイストロ、1500円)という小説は、頂点を先頭を最前線を突っ走るよりも、ほどほどでそこそこでまあまあに行く事こそが正しい姿じゃないんだろうか、という命題をミステリー仕立て書いた本。舞台となるのは大手とは言えない食品会社で主人公となるのはエリートとは言えない女性社員。広報部という花形部署に配属されながらも担当しているのはさして面白くもない社内報で、不満じゃないが満足でもない会社員生活を送っている。

 そんな彼女が巡り会った事件は、社員がそろって飲み会を催した夜に勃発した。大阪から単身赴任をしていた広報部の課長が、住居にしていた社員寮のベランダらしき高さから落ち、庭を仕切る鉄柵に突き刺さった格好で死体となって発見された。事故なのか事件なのかは不明。ただ普段身に着けていた万歩計がはずれて、目標としていた1万歩にあと少しの段階で止まっているのが発見され、同じく身に付けていた懐中時計も鎖が切れて午前0時を少し回った時点で止まっているのが見つかった。

 主人公の女性こと松原里美は、課長が転落して死に時計が壊れた時間には、課長と同じ寮に住むT大卒のエリートながら会社に不満で小説家を目指して習作を書き続ける北山慎一を寮から呼び出して一緒に飲んでいたため犯人ではありえない。実は課長は里見と同期ながら早く出世し主任となっていた女性・寺沢麻衣と関係していて、彼女が犯人なのかもという声も起こった。だが間もなく麻衣も部屋で死体となって発見されてしまった。

 自殺なのか他殺なのか。怨恨なのか痴情のもつれなのか。広報部を舞台にしたリストラとの家計も浮かぶなかで、里美は女探偵よろしく事件の謎に挑みそして、ほどほどでそこそこでまあまあな、良いようによっては実にバランスの取れた人生の維持が難しくなった時に人が、心を惑わし乱れる様を暴き読者に突きつける。

 ほどほどでそこそこでまあまあな、永遠に浸かり続けられるぬるま湯の音頭が上がっても下がっても人は困惑する。自分はもっと熱いお湯にだって浸かれるんだと威張りながらも一緒にぬるま湯に入られたって楽しくない。かといってお湯が冷めるのを恐れるあまりに迷惑を省みずお湯を足されて迷惑だ。

 エリートの尻尾を引きずりながらも仕方なく「8分の5」に甘んじながら、それすらも維持できない可能性に脅える、バランスの取り方が下手な人間の陥った心の空隙が巻き起こした悲劇。こう見るとほどほどでそこそこでまあまあも、気楽そうで案外難しい生き方なのかもしれない。自然にやっている、あるいは自分はとてつもなく凄い人間なのか? なんて思った時点でもはやバランスが崩れ初めているのだが。

 著者はサントリーで広報部長を務めた経験を持つ元サラリーマン。どちらかと言えば学歴的にも職歴的にもエリートに属する人物だが、有能でありかつ男性でありながらどうしてなかなか「8分の5」の会社の様や、「8分の5」の人間の気持ちがよく分かっていらっしゃる。出生に保身にやっきとなる上司たちを愚痴るOLたちの生態やら、給料日の後は誰も来なくなるからと社員食堂に粗末なメニューが出る実体やらが描写され、欠乏感はなくとも満腹感もない、ほどほどでそこそこでまあまあな会社生活を見せてくれる。「8分の8」に近い著者がどうして描き得たのかは謎だがこれは、作家的想像力の賜(たまもの)と理解しよう。

 加えて造本から登場人物の頭数から章立て事件の舞台事件のヒント等など、あらゆる物が「8分の5」で統一された空前の書。惜しむらくはその「8分の8」の全てを読んで、初めて事件のあらましを理解し哀しくもおかい人間の性に触れて感動を覚える事が出来るのだが、そんな人間の性を見せられるのは辛いと思えば、読者も物語を「8分の5」で止め、披露された物語によって自由に推理し好みの結論を得られるのが宜しかろう。さすがにこればかりは謎の解決という誘惑を前に、いくら心を律しても難しいだろうと思うのだが。


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