ハリー・ポッターと賢者の石
HARRY POTTER AND THE PHILOSOPHER’S STONE

 将軍の御落胤でもなければ伯爵家の遺児でも資産家の隠し子でもなく、超能力者の遺伝子も魔法使いの素養もどうやら持っていなさそうだと、ある程度歳を重ねるれば誰しもが感じる。それでも心の深い所には、未だ隠された能力を信じたがっている自分がいて、地球が滅亡しようとも宇宙が消滅しようとも自分だけは生き残れるはずだ、とか天啓のようにわき上がって来た言葉を紡いだ本がミリオンセラーになって巨万の富を成す、とかいった夢物語を捨てきれない。子供の頃に見せられた夢がどうにも抜けきらない。

 「いつか王子様が」「いつかお姫様が」「遠縁だった資産家の婆ちゃんが」「滅亡したアトランティスで共に暮らした魂の兄弟姉妹が」等々。数多ある空想と夢想の物語が見せる夢は、だったらいずれは大人になって現実と向き合う人間にとって不要か、有害かと言えば決してそうではない。100年保たない命、1000年保たない名声などに縛られて、セコセコと世間を生き抜いた挙げ句が死という永遠無限の虚無への旅立ちでは、生きていた意味がまるでない。それならば生きている間を永遠の夢に浸り続けて、死ぬその瞬間までも自分は特別なんだと信じていた方が、どれだけ楽しく有意義に人生を過ごせるだろうか。

 だからこそ、子供を対象にした作品でありながらも「9歳から108歳まで」のあらゆる世代の人間が、胸ときめかせて「ハリー・ポッター」シリーズを読むことが出来るのだ。「ハリー・ポッターと賢者の石」(J・K・ローリング作、松岡佑子訳、静山社、1900円)で幕を開けるこのシリーズの主人公はハリー・ポッターという男の子。息子を溺愛する伯母夫婦の家で訳あって育てられた少年だが、実は彼には生まれながらの秘密があった。類希なる才能を持った魔法使いと魔女の子供だったのだ。

 それだけではない。魔法使いの世界を混乱と恐怖の渦にたたき込んだ裏切り者、「あの人」と畏怖のために名前で呼ばれない闇の魔法使い、ヴォルデモートが両親を殺害した時に、まだ赤ん坊だったハリーだけが生き残り、あまつさえヴォルデモートを封印して魔法使いの世界を魔手から守ったのだ。伯母夫婦の家では納屋に押し込められてご馳走も与えられず暮らし、ご馳走は食べられず遊びにも行けず、学校では伯母夫婦の一人息子とその仲間たちに虐められる日々を耐え、必死に生きているハリー。だがその名前は、魔法使いの世界ではアイドルともヒーローとも言える畏敬の念を込められ呼ばれ伝わっていた。

 幸いにして屈託もなく虐められることを「やれやれ」といった気分で乗り切ったポハリーの元に、ある日手紙が届く。事情を知っているらしい伯母夫婦はハリーに手紙を見せまいとするが、業を煮やした手紙の送り主が乗り込んで来てハリーに出生の秘密を告げ、彼に魔法学校に入学するように求めたことから。ハリーの生活は一変した。ハリーは魔法学校に入って学園生活を始め、親友を得ていじめっ子も得て敵らしき教授の監視の目をくぐり抜け、魔法学校に眠る秘宝をねらうヴァルデモートと戦いを繰り広げつつ成長していく物語の幕が降りた。

 悲惨な境遇が一転して幸福に満ちた生活に変転するのは「小公子」「小公女」の時代から子供たちの夢を刺激してやまない。悲惨ではなく一般中流の家庭の子供までが「本当は僕は」「実は私は」といった夢を見る。ハリー物語はそんな幸福に溢れた生活に友情も加わって、閉塞し切った現代に暮らす子供たちの心を引きつける。人間の間では使う機会など皆無で自分にはあるとすら思っていなかった魔法の強い力が実はあって、箒に乗って空をかけまわりボールを奪い合ってゴールに入れたりするスポーツ「クィディッチ」のエースに選ばれ、期待どおりに大活躍をするハリーの様に、自分を重ねて夢みない子供がどこに居よう。

 大人になれば分かって来る。平凡な人間の家庭で平凡な両親といっしょに育ち才能は平凡で学力も平凡。平凡な結婚をして平凡な家庭を作り平凡のうちに死んでいくんだと思い始める。もう思うことすらないのかもしれない、それが当たり前だと無意識のうちにあきらめて暮らしていくのかもしれない。そう決めてかかれば夢いっぱいの「ハリー・ポッターと賢者の石」の、何と白々しい物語だと大人には思えて当然だろう。けれどもそれで楽しいかい、それで幸せかいと聞かれれば、苦い笑いが口をゆがめる。本当は信じたい気持ちが浮かび上がって胸を妬く。

 だったら信じれば良いじゃないか、と大人たちには言おう。どこの国に済んでいる誰かは知らないけれど、108歳になっても夢いっぱいの物語を楽しめる気持ちを分けてもらおうじゃないか。もちろん子供たちには信じる気持ちを生み育んで、永遠の少年少女として短い生を全うするための糧となる。才能への自信と友情のすばらしさ、そして普段は目立たない少年の勇気を振り絞った言葉が最後の大逆転を招いたエピソードが示す、何事にも押し流されることなく己を貫き通す勇気の大切さを感じようじゃないか。

 生活保護を受け子供を育てながらコーヒーショップの片隅で書き溜めた物語が、世界の800万人もの人たちを喜ばせるようになったという、本書が生まれた経緯も、そんな本の持つ素晴らしさを日本の人たちにも伝えたいと決心した1人の女性が、熱意でもって夫から受け継いた経験も歴史もない小さい出版社でありながらも刊行する権利を得たという、本書が日本の人々の目に触れるようになった経緯も、あきらめず自信を持って進めば結果がついて来ることを事実として示している。

 どうせ短い人生。あきらめている暇なんてないよ。


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