判決はCMのあとで ストロベリー・マーキュリー殺人事件

 見たくないかと聞かれれば、見たいかもと答える。ハロウィンに銭湯に忠臣蔵。毎回様変わりするセットの中を、人気アイドル「CSB法廷8」の8人がラウンドガールよろしく「人定質問」「罪状認否」といったプラカードを持って登場し、笑顔を見せて愛嬌を振りまき、合間合間には踊って歌うライブも披露する。

 そんなセットが置かれている場所は、テレビ局ではなく撮影所でもなく地方裁判所。そして行われていることは歴とした裁判だ。テレビでも映画でもないリアルな場所と行事を舞台に、かたや悪を憎んで正義を貫く検察官が、証拠を並べ証言を連ねて被告人の悪意に迫り、こなた弁護士が横暴な検察官が繰り出す言説の矛盾を衝いて、被告人の善意を喧伝しようとしてぶつかり合う。

 丁々発止の裁判ショー。法律という厳然として存在する基準と、それを元にした判例という積み上げに照らしながら繰り広げられるロジカルなバトルは、感情という曖昧で揺れ動く基準に流されがちな人間の思考を補強して、知性に依って善悪を判断しているのだと観る人たちに思わせる。

 それでいて、ショーアップされたやりとりの中から、わき上がってくる感情に引きずられ、そうあるべきという結論へと導かれていく。結果、不遇の被告人に下される無罪判決なり、不遜な被告人に下される有罪判決に、それらがかつてだったらあり得ない、ねじ曲がった判断だったとしても、誰もが納得をして歓喜する。

 青柳碧人の「判決はCMのあとで ストロベリー・マーキュリー殺人事件」(角川書店、1600円)に描かれる、裁判員制度が導入され、そして裁判そのものが、衆人環視の中で行われるテレビショー化した世界のビジョン。目の前で起こる人生へのリアルな決定が、多くの興味を惹いて高い視聴率を叩き出し、群がる観衆を目当てにスポンサーが集まるのも当然だ。

 もっとも、実際に判決を下す裁判員と裁判官にとっては、集まる衆目が逆に多大なプレッシャーとなってのしかかる。ストロベリー・マーキュリーという人気ビジュアル系バンドに所属していた、ヤヨイという名のドラマーが殺された。捕まったのは事務所の社員で、ストロベリー・マーキュリーのボーカル、アグネスの弟。どうやら脱退をほのめかしたヤヨイに怒り、前にもらった音楽賞のトロフィーで殴って殺したらしい。

 自白があり、途中で前言を翻したものの、バンドの仲間がヤヨイに捧げる歌を法廷で披露した様子に、悔恨からか再び自分がやったと供述して、もはや有罪は確定的で、問題は量刑だけといった流れが出来上がる。主人公の青年を含めて、裁判員として選ばれた6人にとっても判断は簡単。流れに乗って犯人を糾弾すれば、やんやの喝采を浴びたかもしれなかったのに、どこか釈然としない思いが6人の思いを揺さぶった。

 かつて導入された裁判員制度が、密室の中、匿名の裁判員によって審理されたこともあって、結果が「疑わしきは被告人の利益に」という原理に流がちになって、凶悪な事件でも無罪になるようなケースが続出した。量刑を死刑にすることも、罪の意識が裁判員の中に芽生えてなかなか起こらず、それが“庶民感情”との乖離を招いて、裁判への関心を薄くしてしまった。検察も捕まえた犯人をことごとく無罪にされてはたまらないと、事態を憂慮し始めた。

 そこで導入されたのが、テレビを使った裁判のショー化であり、裁判員の一種の素人タレント化。衆人環視の中、その一挙手一投足に注目が集まるようになった裁判員には、言動の巧みさやビジュアルの良さからスカウトされ、タレントとして活動する人たちも出始めた。「CSB法廷8」もそんな裁判員から生まれたユニット。法律に詳しい美少女たちはショー化された裁判に必須なアイドルとして、テレビに歌に引っ張りだことなっている。

 それほどまでに社会の注目が集まる裁判で、テレビが行う演出や、検察官と弁護士のやりとりを経て煽られた社会の心理が、願っているだろう量刑が出されなかった時に起こるのは、裁判員への激しい憎悪であり罵倒。自分たちが社会から抹殺されかねない恐怖を抱え、犯人と目されながら無罪となった被告人に向かう攻撃を考え、社会の気分にかなう判決を出したくなる気持ちが、裁判員たちを捉えて惑わし、検察を喜ばせる。

 どうせフィクションと侮るなかれ。ワイドショーが芸能人の身辺のみならず、日々起こる残酷な事件を追ってリポーターを派遣し、扇情的な音楽やナレーションによって視聴者の犯人への感情を、一方向へと誘導して世論を作る。そぐわない判決が出れば非難の大合唱。結果、かつて作られた基準が切り下げられる事態が起こり、勝利した群衆の声はさらに過激さを求めて高まっていく。

 来るべき、あるいはすでに来ているかもしれない裁判ショーのビジョンを描き出す物語。吹き荒れるポピュリズムとコマーシャリズムの風の中で、裁判員としてどういう判断を下すべきなのかを、読む人たちに問いかける。もっとも、子が虐められても、上司から無視をされても正義を貫くべきあと、上から押しつけるようなことをしないのが、「判決はCMのあとで」の目配りであり、優しさでもある。

 絶対的な不利をひっくり返してみせる、法廷ミステリーとしての楽しみに加え、その結果訪れようとしている袋小路すら、突破して見せようとする技が、読んだ後の気持ちを暖かいものにする。裁判アイドルとして登場する「CSB法廷8」のメンバーも、持ち上げられて浮かれた気持ちでアイドルをしている訳ではない。裁判をきっかけに法律に興味を持った彼女たちならではの、法律の規定を踏み外すような事態を避けたい気持ちをもった振る舞いが、やはり心を安心させる。

 問題があるとすれば、そんな「CSB法廷8」の心根すら、結果として利用してしまった主人公、裁判員五号の振る舞いか。すでに彼女がいて、その上に世紀のアイドルからも関心をもたれながら、優柔不断にふるまい両方を天秤にかけるようなその言動には、有無を言わない「有罪」の判決が下るだろう。情に走りすぎというなら、そのための法律を制定していいとすら、事情を知ったら他の裁判員も、共に審理にあたった裁判官たちも思うに違いない。「死刑」とすら口をついて出そうになる。

 が、それこそが感情に流されること。自重したい。ともあれ1つの裁判が終わり、日本の裁判がおかれた状況が示された。願うなら、同じようなショー化された裁判を舞台に、別の事件を大罪にして、これもさまざまな経歴や思想信条をおった裁判員たちが集まり、審理をする過程で事件の真相が明るみになるような法廷ミステリーを、書き継いでいってもらいたいもの。ヒロインとして活躍した川辺真帆以外の「CSB法廷8」の過去や現在や未来の様子、30過ぎながらも若さをもった美貌の小篠裁判官のドラマなども、叶うなら是非に読んでみたい。


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