舶来屋

 エルメスのスカーフとミャンマー製造のショールがあって、どちらが良いものか聞かれれば、100人のうちの100人ともがエルメスと即答するだろう。エルメスはデザインがすばらしいし、クオリティも高い。そんなイメージがあるからだろうけれど、それは本当に、心の底からデザイン性や品質を認めているからなのか。実際のところは、それがブランド物だから、みんなが買っているから、自分も買ってみただけなのではないのか。

 もしも違うと言い張るのだったら、銀座に行っても立ち並ぶブランド物のブティックには目もくれないで、サンモトヤマというセレクトショップに入り、蓮の糸から織られたミャンマー製のショールや、4000メートルの高地に生きる山羊の毛で作られた本物のパシュミナストールを手に入れるべきだ。なぜなられらは、エルメスの品質を認めて日本に持ってきたサンモトヤマの創業者が、これは素晴らしいと直に触って確かめて持ってきたものたちなのだから。

 幸田真音の「舶来屋」(新潮社、1900円)は、そのサンモトヤマ創業者、茂登山市郎をモデルにした小説だ。中国から復員して来て、父親のメリヤス屋を立て直そうと働いている中から、糸を靴下に加工して売る儲けのテクニックを見いだし、米軍の横流し品を売りさばく仕事の中から、良い品物を売る楽しみを奴を見つけだし、新聞社の社長や、広告会社の社長や、写真家の名取洋之助といったお歴々を顧客にするようになって、繁盛していく一代記がまず興味を惹く。

 ビジネスによくあるサクセスストーリー。しかし本当に重要なのは、商売の本質がどこにあるのかということを、深く考えさせてくれる部分だ。

 フランスに行って見つけたエルメスの品質の良さに感動し、日本で扱いたいと訪ねていっては、けんもほろろにあしらわれ、それでも諦めないで日参し、手紙も書いてもやはり拒否。一方で、イタリアで見つけたグッチの良さにも感動し、こちらにも日参したものの、やはり連日の拒絶を喰らった果て、店にいた社長の人に銀製品を丁寧に扱う手さばきを気に入られ、品質に対する敬意を認められ、日本で売る許可をもらってグッチを日本に紹介し、さらにはエルメスも日本で扱えるようになっていく。

 そんな主人公のエピソードは、たしかにビジネス上のサクセスストーリーではあるけれど、同時にブランド品とは名前ではなく先に品質があって、それが認められてはじめてブランド品として世の中に認められていったのだという、極めて本質的なことを教えてくれる。

 今でこそ知らない人などいない「エルメス」に「グッチ」。けれども最初は日本ではほとんど知られていないブランドで、それをサンモトヤマでは頑張って売って、認められるようになっていった。今では触れなくても品質は良いものだし、見なくでもデザインは抜群だという認識が広まっている。広まりすぎた果てにデザインも品質もおかまいなし、ただブランドロゴがついてさえいれば、それは“良いもの”なのだといった空気すら漂うようになっている。店に大勢の客を引き寄せ、あらゆるものを買わせてしまう。

 ブランド品であることに、品質の良さなどもはやおまけでしかないような風潮。これこそが、偽装米であるとか、銀座で長蛇の列を作らせた安価な北欧のファッションショップから漂う、見てくれはまともでも中身は……といった品物に、客を群がらせる現象を生んでいる。

 売る方も変わってしまった。品質の良さを訴え、日本にブランドを定着させたサンモトヤマを、グッチは切って現地法人を作り、エルメスもやは外して直営を始めた。商権をたてに粘れば粘れただろう。けれども小説によれば、サンモトヤマはそこで粘らず、預からせていただいたものだからお返しすると言い、手放してしまったというから潔い。

 あるいはそうした空気の背後にある、ブランドだから売れるといったスタンスを感じ取って、このまま販売競争に巻き込まれてしまうと、品質の良さを売りにしてきた商売上のポリシーに逆らう事態が出てきてしまうと、そう見通したのかもしれない。

 その代わりに、現在取り扱っているのが本物のパシュミナストールであり、ミャンマー製のショール。ミャンマーのショールは何万本もの蓮の茎から1本1本引っ張り出された細い繊維を織り上げて、作り上げたものとのこと。現地を訪ね歩いたおりに、市場で偶然見かけて触ってみて、これだと感じて日本に持ってきた。

 エルメスを見いだし、グッチを見いだした確かな目が選んだものなら大丈夫。そう太鼓判を押したい気持ちもあるけれど、そのままではサンモトヤマというブランドへの信仰につながりかねない。サンモトヤマの目利きぶりへの信頼は、何によって担保されているのかを買う側が考え直し、売る側も気をつけ続けること。それだけが永続的な評価となってサンモトヤマの取り扱う品々を輝かせる。

 モデルとなった会長が存命で、そのポリシーを受け継いだ社長も世界を飛びまわっている現状では、素直に信頼しても良さそう。けそれでもやはり買う側も、名前ではなくコストでもなく、品質に対して適切な評価を下す目利きぶりを持ち、そして支持を与える粋さを持つことが寛容だ。それがなくなったら品物は売れず、ならばと名前に走り、安さに走ったあげく、培われた質へのこだわりがまとめてガラガラと崩壊していくだろう。

 政治でも経済でも芸能でも、見てくれに走りがちな空気が強まっているだけに、ここでふんばることが未来に確かさをもたらす。なればこそ現在、頑張っているサンモトヤマの顧客となって、支えていきたいという心理を誰もが抱きたいものだが、扱っている品々の価格の高さは、一般の安い応援は受け付けてはくれなさそう。ならばそのマインドだけでも吸収し、日頃の行動の中に入れ込んで、確かさを見抜く目を磨いていきたいものだ。


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