敗因と

 「俺は、書くよ」。

 「FIFAワールドカップ2006ドイツ大会」。史上最強とうわたれた選手たち。史上最高と讃えられた監督。史上希にみる金額を注ぎ込まれ、ドイツの地へと送り込まれたサッカー日本代表に期待されたのは、02年の日韓大会でのベスト16を超える、史上最高位への到達だった。しかし。

 日本代表は惨敗した。1点のリードからわずか8分間で3点を奪われるという、史上類をみない逆転劇を、カイザースラウテルンの地においてオーストラリア代表に演じられた。続くクロアチア戦ではシュートが決まらず、そして迎えたブラジル戦も4点を奪われる惨敗を喫し、日本代表はドイツの地を早々と立ち去らざるを得なくなった。

 どうしてあれだけの選手たち、あれだけの監督、あれだけのスタッフで構成された日本代表が敗れ去らなくてはいけなかったのか? ひとり奮闘し、ブラジル戦の終了と同時にピッチに崩れ落ちた中田英寿選手は、どうしてたったひとりで10数分間も横たわり続けなければならなかったのか? 分からない。理解できない。だから金子達仁は約束した。

 「俺は、書くよ」。

 その言葉がウェブサイトに綴られてから半年。金子達仁は書いた。日本代表がどうして敗れ去ったのかを、選手や、スタッフや、監督や、対戦相手への長くて幅広いインタビューから分析して、「敗因と」(光文社、1500円)という本にまとめ上げた。

 執筆者は他に戸塚啓と木崎伸也。金子達仁の率いる「拳組」に所属するライターたちだ。執筆の分量で言うなら戸塚が約半分と最も多く、ついで木崎が3割を書き、金子は残りと1番少ない。けれども「俺は、書くよ」という動機を発し、ライターをまとめあげ、誰かを傷つけることを承知の上で真相に近づこうとするジャーナリスティックな活動を支え、「敗因と」に結実させた原動力の多くは金子達仁にある。

 結末の部分で「敗因」を考察したのも金子達仁だ。その意味では、分量は少なくてもしっかりと金子達仁の本だと言って言えるだろう。それ故に驚きもある。ジーコが日本代表の監督となった辺りからか、金子達仁の書く文章からはかつての輝きが失われていった。精神論や感情論ばかりが先に立ち、スポーツが何故にスポーツとして面白いのかを教えてくれる戦術論なり戦略論が見えなくなっていた。

 もはやスポーツライターとしての金子達仁は終わった。そう誰もが思っていた所に登場した「敗因と」は、多くの諦めと嘲笑を覆して、「28年目のハーフタイム」や「決戦前夜」といった労作を問い、世のスポーツ好きをうならせた時代の輝きを、そこに見出させた。ロジカルで網羅的。考察も充分に行われた「敗因と」の仕事ぶりの緻密さは、崩れ落ちる中田英寿選手見て受けた衝撃が、それだけ大きく手軽な仕事では済まないくらいに激しかったことを示している。

 いったい日本代表に何があったのか? 金子達仁と戸塚啓、木崎伸也の取材から浮かび上がってきたのは、関わった誰もが敗因であり、そしてなおかつ誰もが敗因とは言い切れない複雑な日本代表の構造だ。どこかに責任の所在を求めようにも、どこにも責任の所在を求められない、中心のポッカリとあいた集団。とても戦いに臨むチームとは言えない、責任感も使命感も持たない人間たちの集まりが、ドイツへと行き、何かをしようとして何もなさず、そして帰って来ただけ。それが06年のワールドカップに出場した日本代表だった。

 確かにジーコの采配の拙さはあった。けれどもそれを咀嚼し、足りない部分は自ら埋めて行動していくだけの大人の態度を、選手たちがが取りきれなかったことも敗因だ。メディア受けを狙ってのことなのか、中田英寿ら目立つ選手の味方し、目立たない選手を脇に追いやる発言を繰り返した日本サッカー協会のスタンスも、選手間に亀裂を生んでまとまることを妨げ、敗因のひとつとなった。

 まとまっていない。戦っていない。見れば感じられるそんな代表の惨状に目をつぶり、敵の強さからも目を背けて勝てるぞ、1次リーグの突破は容易いぞと煽り、スポンサーがつき露出の多い特定の選手ばかりをさらに持ち上げ、戦力になり得る選手たちの存在から目をそらし続けた続けたメディアの愚劣さも、同じように敗因となった。そうした日本代表に関わるあらゆるものが原因となり、結果となって日本代表を蝕んでいた。

 リーダーシップを欠き、雰囲気に流された挙げ句の惨敗と言えば、太平洋戦争に臨み国を滅ぼし掛けた大日本帝国の国体がまず浮かぶ。黒船トルシェが欧州流を持ち込んだものの、和を尊ぶジーコの下で無責任が横行し、挙げ句に右往左往しながら破滅へと突き進んだ日本代表。挙げ句に焼け野原となった所を、進駐軍として現れたオシムが、マッカーサーにも匹敵する大改革に挑み立て直そうとしている。そんな構図が目に浮かぶ。

 もちろん金子達仁や他の2人が、そうした歴史のメタファーを無理矢理に日本代表にあてはめて論じていることはない。型にはめ込もうとして無理矢理に事実をねじ曲げるような態度はとっていない。あったことを調べ上げ、あったままに書いた結果が、どこか戦前戦中戦後の日本の辿った道と似てしまっただけのこと。考えようによってはそうやって育ち壊れ再生するのが日本の道、なのかもしれない。となれば戦後復興になぞらえて、日本の大躍進も期待できるのがだ、さて。

 興味深い記事は前豪州代表監督で、現在はロシア代表を率いるフース・ヒディンクへの金子達仁のインタビュー。ワールドカップが終わると同時に就任したロシア代表監督として、欧州選手権に向けて忙しい日々を送っている所に、昔の話を蒸し返しに日本からインタビュアーがやって来た。話すことなど何もないと、不機嫌極まりない態度で金子達仁の前に現れたヒディンク監督が、とある質問をきっかけに饒舌になって語り始める。インタビューを生業としている人間に、このやりとりは激しい緊張感をもって迫ってくる。

 この忙しいときに、いったい何しに来たんだ。そんな不遜な態度を取り、激昂していたヒディンク監督が気を取り直し、興味を示して語り始めたのは、豪州代表でディフェンスラインの右サイドがレギュラーポジションだったエマートン選手を、トップに近い位置のそれも中央へと配置替えした意図を聞かれたから。日本代表の弱さの原因を聞く人はいても、豪州代表の日本代表に対する強さの秘密を聞こうとしたジャーナリストはこれまでいなかった。そしてその采配こそがヒディンクにとって快哉の妙手だった。心地よさのツボにはまったのだろう。ヒディンクは語り始めた。

 エマートン選手を中央に持って来た理由は、そのまま日本代表の弱点の指摘につながる。日本のどこが拙かったのか。屈強な選手がラインを引くディフェンスに対し2トップで臨もうとした日本の采配ミスが浮かび上がってくる。イングランドスタイルの屈強なディフェンスには、トップを1人にしてサイドを厚くし、幾度となくクロスを放り込んでディフェンスを疲れさせればいい。なのにやらなかった。だからサイドのエマートン選手は前に出られた。日本のディフェンスは押されまくり、そして最後に決壊した。

 相手のミスを自らの利に替え、相手の弱点を自らの利点を替える。戦う相手がいるからサッカーなのだという基本中の基本を忘れず実行したヒディンクの老獪さ。対して我らが日本代表監督は、相手を見ず、ただ機械的に選手を選んでピッチに並べる無策ぶり。おまけに前日にはスタメンを発表してしまうから、ヒディンクとしてもやりやすかっただろう。逆に何かの謀略と疑ったのが、海千山千のヒディンクらしいところ。実際にジーコ監督が示唆したとおりの布陣で臨んできた日本代表に、ヒディンクは監督としてのジーコの力量を見てとったに違いない。試合中にどんな采配を見せるかも理解し、そして試合中にシステムを替え、後半に一気のパワープレーで粉砕した。

 重ねて言うが、そのひとつをもってジーコ監督の拙さが敗因の中心だったということではない。周囲とうち解けず、それでいて正論ばかりをつきつけて来る中田英寿選手への反感。屈強さからは遠いポテンシャルしか持たないにも関わらず、絶妙のラインコントロールと抜群の読みで勝負して来た宮本恒靖を、その才覚が生きるスタイルとは反対のアバウトなラインコントロールの中に組み入れ続けた選手選考への反感。ほかにも生じたさまざまな祖語を、覆って埋めて全体を引っ張るリーダー的選手の不在。すべてがネガティブに働き、渦巻くように関わる人々の疑心暗鬼を生んで、日本代表をばらばらに引き裂いた。

 どうすれば良かったのか? どうしようもなかったのか? 考えることは幾らでもある。けれども考えたところで、あの惨敗を今さら勝利へと覆すことは不可能だ。すべきことは1つ。これからの日本代表から、「敗因と」が示す敗因を徹底的に取り除くこと。幸いにして日本代表には、ヒディンクと同じ相手の弱点を見方の利点を替え得る頭脳を持ったオシム監督がやって来た。選手たちもイーブンの条件の中で競争意識を燃やし合い、高め合っている。

 懸念があるとすれば代表を司る協会と、代表を取り巻くメディアに未だ敗因への反省も、そして改善も見られないことだろう。もっとも「敗因と」が問われた今、周囲の目が従来からあるスターを無理矢理作り出し、もてはやして人気取りにつなげるような手法をメディアは取りづらいだろうし、協会の動きに対する関心も、ドイツ大会の前と後では大きく違っている。2010年に向けて始まった新しい日本代表が、2010年を経ていったいどんな感慨を金子達仁に与えるか。願わくば「勝因と」という本を金子達仁に書かせる程の強さを、南アフリカの地に見せて欲しいものだが、さて。


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