誰が為に鋼は鳴る For Whome the Steel Tolls

 視えなくなってしまうのは寂しいけれど、それが新たな出会いを生み、関係を育むのだとしたら、あなたは視えなくなってしまうことを、受け入れられるだろうか?

 視えている子供たちには、ちょっぴり難しい問いかもしれない。もう視ようとしない大人たちには、答えられない問いかもしれない。

 それなら、天乃タカの「誰が為に鋼は鳴る」(エンターブレイン、620円)という漫画を読んで知ろう。ささやかな出会いと、そして離別の先にもたらされた、暖かくて嬉しい関係から、たとえ視えなくなっても、信じてさえいれば良いのだということを。

 目指していた鍛冶屋になったまでは良かったけれど、突然に親方が死んで、工房を引き継いだだけだから、腕前は今ひとつのケンちゃん。でできあがった鎌は切れ味が悪く、仕事のキャンセルが続き、悩んでもうやめおうかと悩んでいた。

 それでも諦めきれず、何か作ろうと仕事をしていた時に、真っ赤に焼けた鋼を自動の槌で打つトンテンカンという響きに合わせて、「それ打て」「それ打て」「へたくそ」といった不思議な声が聞こえてきた。

 どうやらそれは、鍛冶場に昔からいる火の神様の声らしい。けれども見渡しても姿は視えない。それでも導かれるように鋼を打っていたケンちゃんが、ふと振り向くと可愛い女の子が立っていた。

 火の神様が顕現した姿? そう思ったら違っていて、都会から転校してきたばかりの小学生だとすぐに判明。もっとも、みっちゃんという名のその女の子には、実はキツネのお面をかぶった火の神様、キツネちゃんが見えていて、そのまま2人は田舎の町を舞台に親交を深めていく。

 母親のことで悩むみっちゃんを、キツネちゃんは支えて田舎での暮らしを寂しくないものにしてあげる。みっちゃんはといえば、ケンちゃんの鋼を打つ響きに心をひかれて工房に通うようになる。ケンちゃんは火の神様のささやきに導かれて少しだけ仕事に開眼し、鍛冶屋の仕事に本格的にのめり込んでいく。

 トライアングルの良い関係が、いつまでも続いていけばと誰もが思っていたけれど、そうはいかないのが、人間の成長という避けられない現実だ。ケンちゃんはもっと成長したいと工房を畳み、修行に出ると決意する。

 みっちゃんはキツネちゃんの居場所がなくなってしまうと迷うものの、やがて自分自身を持つようになり、やりたいことをやるために、田舎を離れて遠くに園芸の勉強に行くといって、残されるキツネちゃんを寂しがらせる。

 せっかくの関係が、バラバラになりかっているにも関わらず、そこで自分を守ろうとしないキツネちゃんが妙にいとおしい。その神様にあるまじき自己犠牲の精神が、キツネちゃんという存在を、物語の中ではどこか狂言回しの位置に貶めてしまっている。

 けれども、一時のそうしたキツネちゃんの優しさは、後にしっかり実を結んで、改めて3人を結び合わせていく。視えなくなってもそこにいる。見守ってくれている。そんな展開を見るにつけ、視えようとそうでなかろうと、信じて自分を保ち続けることが何より大事なんだと教えられる。

 今市子の「百鬼夜行抄」や、緑川ゆきの「夏目友人帳」のような、妖怪変化の類と、妖怪変化が見えてしまう主人公との関係がメーンに来る漫画に連なりそうな作品。ただし、律にとっての青嵐、夏目にとってのニャン子先生のように、パートナーとなって主人公を助ける位置に、キツネちゃんはいない。

 鍛冶屋を目指すケンちゃんと、迷っていたみっちゃんが出会い、関係を作り深めていく物語を、直接ではなく寄り添うように見つめ、導いてく役所。それゆえに、青嵐やニャン子先生のような強烈な存在感をキツネちゃんは示さない。

 それでも、迷うケンちゃんのところに現れたキツネちゃんの変身バージョンは、なかなかの美女ぶりで、その姿を見せること自体が自分を犠牲にしているにも関わらず、2人のためならと意に介さない優しさが、強烈さとは違う不可欠の存在として、キツネちゃんを物語の中心にいさせている。

 視えなくても、そこにいる。だから信じて前へと進もう。キツネちゃんや視えない存在に恥じない生き方を貫こう


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