“世界最後の魔境”群馬県から来た少女

 群馬県に降り立ったことがあるか、と聞かれて記憶を探ってもはっきりとした思い出が浮かばない。新幹線で軽井沢に出来た玩具の博物館を見に行ったから、群馬県は確実に通ってはいるけれど、軽井沢は長野県であって群馬県ではないから、降り立ったことにはならない。

 高校の修学旅行で軽井沢に出かけた時に、群馬県嬬恋村にある、浅間山から噴火した溶岩で出来た鬼押出しに行っていたかもしれないけれど、ほとんど軽井沢観光と一体化した地域を群馬県と言えるのか? 「東京ディズニーリゾート」に行った人が、東京には行ったことはあっても千葉には行ったことがないと思うのと同様、ノーカウントにしても良いような気がする。嬬恋村に行ったなら、せめてキャベツくらいは掘らないと。

 そして群馬県に行ったというなら、やはり高崎に行って観音様を拝むなり、尾瀬に行ってそのことを夏が来るたびに思い出すなり、草津温泉に行ってやっぱり良いところだと思うなりしなければ、とうてい胸を張れなさそう。なおかつ心から焼きまんじゅうを愛し、栃木県と餃子を憎む心理を理解しなければ、群馬県のことを本当に知ったとは言えなさそう。

 幸いにしてライトノベルでは、アサウラの「デスニード・ラウンド」シリーズに栃木群馬間紛争という言葉が出てきて、両国ならぬ両県の間にはそういったものが起こるくらいの緊張があると伺い知ることが出来るし、槙岡きあんの「オーディナリー・ワールド」シリーズでも、栃木県と群馬県からからそれぞれ東京に出てきた少年と少女が、地元の名誉をかけて言い争う場面があって、相当の因縁がある土地柄なんだなと認識できる。

 とはいえ、単純に純粋に群馬県だけのこととなると、やはり分からないことが多い。というより多すぎる。そこに登場したのが日下一郎の「“世界最後の魔境”群馬県から来た少女」(スマッシュ文庫、629円)。このライトノベルを読めば、群馬県という場所のなるほど秘境ではあるけれど、よくよく見れば観光名所は豊富で、美味しい食にも恵まれた場所なんだという現実が見えてくる。

 例えば観光名所では、尾瀬もあれば草津温泉もあってと群馬県が世界に起こる自然が紹介されている。食に関しては焼きまんじゅうがやっぱりあるし、子供洋食だってある、というか子供洋食っていった何だ? 埼玉県は行田市のゼリーフライなら食べたことはあるけれど、子供洋食という食べ物についてはこのライトノベルを読むまでまるで知らなかった。

 何でもジャガイモを焼いたかどうにかしたものらしいけれど、そこにお肉と糸こんにゃくを加えて煮ると肉じゃがになってしまうというハイブリッドな食べ物。ちょっぴり個性が緩そうだけれど、それだけ素朴で純粋な味わいを楽しめるものなのかもしれない。同じく群馬県特産らしいおっきりこみに、味噌を入れれば山梨県の名物ほうとうになってしまうように、いろいろとアレンジが可能なベーッシクな食べ物として、世にアピールしていける食にあふれている。それが群馬県。良いのかそれで? それが良いのだ。

 ベーシックとは反対に、過剰な加工でアピールする食もあるようす。そのひとつがタルタルカツ丼。最近、牛丼チェーンの神戸らんぷ亭がメニューに加えていたけれど、ここのメニューは普通に卵とじのカツ丼の上にタルタルソースをかけたもので、群馬のタルタルカツ丼のように、ソースだけがかかったカツ丼の上に、タルタルソースを乗せたものとは違っている。やはりご当地で食べてみるのが良さそうだ。カロリーいったいどれだけだ?

 とまあ、そんな具合に観光名所や食への興味をかきたててくれる作品だけれど、本筋は別に観光地巡りでもなければ、ご当地グルメ食べ尽くしツアーでもない「“世界最後の魔境”群馬県から来た少女」。古くから群馬に眠り続ける群馬王を目覚めさせようと、その名もコヨトル・ウェウェコヨトル・ショチトルコヨトルという、どこの南米っ子なんだと思わせる名前の少女が群馬県の奥地から現れては、高校に通う少年たちを襲い、群馬名物の詰め合わせをばらまいて去っていったりする。

 そんなストーリーの上では、コヨトル・ウェウェコヨトル・ショチトルコヨトルの企みを横からかっさらおうとする女スパイの暗躍があり、そんな女スパイの暴走を阻止しようとする少年たちの群馬潜入があってと、逃走と探索、そして激しくて過酷な戦いを楽しめる。果てに浮かび上がってくる、群馬県という場所のとてつもないポテンシャル。読み終えた時に誰もが群馬県の偉大さにひれ伏し、群馬県の食を深く愛する体になっているだろう。否応なしに。

 それにしても気になる子供洋食。オムライスでもトンカツでもスパゲティでもない子供が好きな洋食のその味は。やはり食べに行くしかなさそうだけれど、行ったら帰ってこられるかなあ。魔境だものなあ。


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