群青学舎  コダマの谷王立大学騒乱劇

 ひとめ見るだけで何かを感じさせてくれる絵柄というものがあって、例えば壁に貼ってあった漫画の原稿を1枚、見るだけでこれは絶対に面白い作品だという予感を抱くことがある。

 買い込んで通して読んでみて、やっぱり面白かったと確信することもあるし、そうじゃなく間違いだったと思うこともあるけれど、どちらも大切な経験だ。繰り返すうちに絵からにじむ作品としての力を、感じ取れるようになって来る。

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 書店でのサイン会のこと。壁に飾られた漫画の原稿に目が行った。美麗で端整で繊細で、とりわけ「ピンク・チョコレート」というタイトルの原稿に描かれていたショートヘアの眼鏡の娘の表情が気になった。

 どことなく「赤々丸」の時代の内田美奈子を思わせる雰囲気で、いったい誰だろうとサイン会の後に店頭を探しては、入江亜季という当該の作者の2冊同時に出ていた単行本を買ってみた。まずはその「ピンクチョコレート」が入った「群青学舎 1」(エンターブレイン、640円)を読んで期待は確信に変わった。

 連作でもない短編集。いろいろな場所を舞台に、いろいろな人たちのエピソードを拾って並べたストーリー。貼ってあったいろいろな作品の原稿に書かれてあったネームと、それからキャラクターたちの表情かから感じられたそこはことないユーモアが、実際の漫画にもしっかりあった。読んでてどれも愉快でそして懐かしかった。

 最初のエピソードは、小学校の教室に1人いる座敷童みたいにしっかりとは気づかれない、けれども存在感だけは漂わせる尻尾のついた少年のストーリー。それに気づいた同級生が尻尾を触ろうとして触れないところが、常識を知ってしまった大人の今では不可能な、子供だからこそ得られる未知なるものとの邂逅がもたらす興奮というものを、思い出させてくれる。

 強情そうな女生徒が、女性にだらしない自分は誰からももてると確信している男子生徒恋心を抱きながらも、ストレートに表現できず、にらみ付けては逆に興味をもたれ寄って来られ、ドギマギとしながらも突っ張り通してあとで後悔する様が描かれた「とりこの姫」もキュンと来る。

 低学年の小学生が、パソコンを教えにやって来た女教師がノーブラかもしれないと、他の教室の生徒に教えられて一所懸命に触って確かめようと奮闘する「先生、僕は」も実に愉快。どの作品も、ありそうなシチュエーションを切り取ったストーリーを描いてあって、そしてどの作品も、繊細な絵で見る人を引きつけ、楽しげなネームで引っ張っていってくれる。

 男の子みたいな顔立ちスタイルのお姫様が、コンプレックスに思っていたその事実を抉られ大爆発する「花と騎士」がとりわけ愉快。長いストーリーだって描けそうな題材。これで終わるのはもったいない。眼鏡の娘が気になった「ピンク・チョコレート」も、際だつキャラクターと飄々とした展開が楽しげで、やっぱりシリーズにして欲しい気がして来る。

 上中下で描かれた「白い火」だけは、ユーモアよりもシリアスさが前面に出た傷みを伴う青春ストーリー。70年代劇画のシチュエーションが、内田美奈子だったり萩尾望都だったり、Team猫十字社だったり竹宮恵子だったりする雰囲気を感じさせる絵柄で紡がれ、気持ちにズキッと刺さる。

 酔っぱらうばかりで妹から金をむしり取る兄貴と、その兄が暮らすゴミが山となった部屋の最低ぶりたるや。いい歳をして自身を律せない男の様が、似た境遇にある人間に鏡を見ているような気にさせる。長編化だって可能な題材だけど、そうすると切実さがよりリアルさを持ち過ぎ傷みも増す。少女が救いを見つけるまでの断片を、3話の話にに切り取ったくらいが、ちょうど良かったのかもしれない。

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 これらはいずれもエンターブレインが刊行する漫画誌「コミックビーム」に掲載されたもの。一方の同時に発売された、「コダマの谷 王立大学騒乱劇」(エンターブレイン、640円)は、個人出版物として刊行されたものを改めてまとめたのだが、絵はやや簡略化されていながらも、ストーリー物として実に秀逸。断片を切り取り紡ぐ短編だけじゃなく、ちゃんと骨格を持った長編もしっかり描ける人なのだということを、証明してみせてくれる。

 王立学園に1番で入学して奨学金を得ながらも、あとは適当にやって卒業すらしようとしないライダーという名の生徒が軸となり、そんなライダーをライバル視するアーナスタ家という貴族の息子がいて、彼のウーナという妹が自慢の兄を上まわるライダーがいったいどんな人間なのかを確かめに男装し、学園に侵入していく導入部。そこに偶然にも、ウーナが嫁がされそうになってためらっていた、王室のアーサー殿下が城を抜けだし、学園に潜入してはライダーと関わっている所にでくわした。

 最初は何だこんな王子、この女といった具合に反発していても、知らず惹かれ合うウーナとアーサー。そのかたわらでライダーはといえば、出入りしている食堂に拾われ働いている少年みたいな少女と絡みながら、出自がもたらす運命に抗おうとしている。

 ライダーの父親という男が何をしでかし、それがライダーの人生とどう関わっているのかが今ひとつ見えなかったりして、主役のはずだったライダーをバイプレーヤー的な場所へと押し下げ、代わって決められた運命に抗う意志を見せつつも、ぐるりと回って決められた相手との関係に活路を見出すウーナの生き方が浮かび上がる。そんなウーナの超然とした様に行為を寄せつつ自らも、貴族に支配された王宮でどう生きていくかを模索するアーサー殿下の物語がせり出して来る。

 それが作者の意図だったのか。それとも描いているうちにそうなったのか。不明ながらもそれでもウーナのお嬢様的な高慢さではなく、責任ある立場に置かれたものならではの高踏ぶりに惹かれずにはいられない。描いてて作者もそう感じたのかもしれない。だから表紙でも1番目立つところにウーナを描いたのかもしれない。

 しっかりと世界観を持っていて、どのキャラクターもしっかりと屹立している長編が、商業誌ではない場所で紡がれていたことにとにかく驚く。見つけなかった商業誌がいけないのか、商業誌などなくても素晴らしい漫画を発表し続けられる日本の環境が素晴らしいのか。

 いずれにしてもこうして商業誌から作品が出て、商業出版社から単行本が出てくれたからこそ、末席にいる漫画好きにも存在が伝わって来た。何よりサイン会の開かれた書店が、見れば感じる所があるはずの絵を展示してくれていたからこそ存在を認めることができた。出版社と、書店にまずは御礼。

 その場に居合わせなかった人でも、書店で表紙をみかければ確実に何かを感じられる2冊の単行本。そして読めば絶対に感銘を受けるストーリーたち。これだけの才能を持った人が、描く場を得たこれからの活動がとてもとても楽しみで仕方ない。


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