ゴールデンスランバー

 「ジオブリーダーズ 魎遊撃隊」という漫画があって作者は伊藤明彦で、名古屋市がモデルとなった綾金市という街を舞台に跋扈する電子の妖怪・化け猫を専門に駆除する警備会社「神楽綜合警備」に勤務する女5人と新入社員の男1人、それから途中で加わった化け猫の娘1匹が奮闘するコミカルアクションストーリー、といった雰囲気で当初は始まった。

 それが途中から電子機器によって縦横無尽に監視され、管理された社会が持つ危険性を指摘しつつそんな社会の裏側で、「人間対化け猫」という構図すら管理して秩序と安寧を求め維持しようと画策する巨大な組織が暗躍している様を浮き上がらせるようになって来た。2007年の終わり頃になると、巨大な組織に翻弄され始めた「神楽総合警備」のメンバーたちが、操られた挙げ句に崩壊へと至らされる様というものが描かれて緊迫感が高まって来た。

 権力による管理強化への警鐘といった主題は、何もここに来ての急な主張ではない。以前にも神楽と名の付く警備会社が存在して、それが最初の神楽ではなく今の「神楽綜合警備」が最後の神楽でもないことが、菊島雄佳という名の童顔ながらしたたかな女社長のつぶやきと、後に「ルガーの竜」と名乗りアウトローとして活躍した男と、菊島社長の姉が一緒に写った古い1枚の写真から伺え、権力によって古くから様々な試みが行われていたことが示されていた。

 監視され、管理された社会が持つ強大な力の前には、ひとつの組織が作られ、持ち上げられ抹殺されることなど実に容易。そうした可能性を当初はギャグ混じりの展開や絵柄の中で感じさせ、そして07年末の段階で一気にシリアスな展開と絵柄にチェンジさせた中で、恐怖感と共に読者に提示してみせている。果たして「神楽総合警備」のメンバーはどうなるのか。抹殺されるのか。逃げ切るのか。ひと月たりとも掲載紙「ヤングキングアワーズ」から目が離せない。

 あらゆる場所に設置されたカメラによって、暮らしている市民の一挙手一投足が把握され、管理される気持ち悪さ。さらに、そうして集められた情報こそが真実という風潮が普遍化した時に起こる、操作された情報すら真実と信じ込まされ動かされる恐ろしさ。「神楽綜合警備」の面々が今まさに味わい、歯がみしつつもどうにか抵抗しようと頑張っている状況に、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」(新潮社、1600円)に登場する青柳雅春という名の青年は、たった1人で置かれている。

 何しろかけられた嫌疑が首相暗殺という超特級の犯罪だ。迫る権力の迫力も半端ではない。警察官を動員し、メディアを操作し偽の情報をでっちあげては青柳を犯人に仕立て上げようとする。恐ろしいのは、しばらく前にかけられそうになった痴漢の嫌疑までもが、ここに至る仕掛けのひとつだった点。周到な準備を経て絶大な権力が膨大な人員を使って追いかけて来て、普通だったら逃げられると思う方が不思議だろう。

 化け猫という部分さえ除けば、「ジオブリーダーズ」も十分に現実的に起こり得る事態だが、「ゴールデンスランバー」の方は、既に現実に始まっている監視され、管理される構造の上で、一介の宅配便ドライバーでしかなかった青柳が、首相暗殺犯に仕立て上げられるとい構図から浮き彫りにしていて、身に迫る恐怖感もなかなかに大きい。

 ただ青柳の場合は、生来の人の良さもあって、過去に関わった人たちが救ってあげたい、助けてあげたいと思えるくらいの好人物だった点が、まるで四面楚歌な「神楽綜合警備」とは違うところか。負けん気の強さもあって、仕掛けられた罠から抜け出そうとあがき、もがいて走り回って奮闘する。

 翻って、そうした支えの考えられない、「神楽綜合警備」のような立場に置かれている普通一般の人たちが、まるで事情の分からない中で、重大な嫌疑をかけられたことだけ把握しながら逃亡しなくてはならなくなったとして、逃げ切ろうとする気持ちを抱けるのだろうか。絶対に無理だ、権力を相手にしては1日だって逃げ切れないと感じさせ、ならば流されようと反抗を諦めさせる効果を、「ゴールでスランバー」という小説は持っていると言えなくもない。権力側の強圧的なプロパガンダの片棒をかついでいると言い換えても良い。

 だがそうなのか。違う。権力であっても対峙する正義はこれに勝る可能性もあるのだということを感じさせ、立ち上がらせようとする意志が込められた小説だと、ここは信じるべきだろう。友人の、元恋人の、行きずりの犯罪者の、出会った男の、そして彼を信じる両親の心と行動を見て、日頃から人々との関係を大事にすることで、危地には救いが差し伸べられるのだと感じ、日々の生活を真面目に送ることの大切さを感じるべきだろう。

 権力だって機械ではない。人々によって構成されている。ならば人として、語り接すれば人ならではの暖かみが見えてくるのだと思え。

 読み始めれば一気呵成の1冊。果たして青柳は逃げ切れたのか? そしてあなたならどう逃げる? その時が訪れることのないよう願いつつも、訪れた場合を想起して考えよう。準備は抜かるな。


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