銀盤カレイドスコープ VOL.6
ダブル・プログラム:A long,wrong time ago

 遠目には小さく見えた桜野タズサという台風も、近寄れば激しいエネルギーを秘めた過去に類を見ない暴風で、周辺に近づく者たちを刺激し、ささくれだたせて惑わせた。ドミニク・ミラーは侮辱されたと感じて怒り、至堂響子は夢にまで見ていただろう五輪行きを阻止された。

 そして勢いを増した桜野タズサ台風は、さらに大勢のライバルたちを暴風圏へと引っ張り込んでは、様々な影響を与え続けた。遂には世界の誰もが女王と認めるリア・ガーネットまでをも、引っ張り込んで刺激せずにはおかなかった。

 とてつもない実力と、とてつもないプライドと、とてつもない悪口雑言を武器に数々の栄冠を勝ち取り、悪評を巻き起こして来た桜野タズサ台風に、及ぶものなど存在しなくなって来た。けれども巨大に成りすぎてしまった台風は、荒れ狂ったり燃え上がったりする周辺ばかりが目立つようになって、中心にいるはずの桜野タズサの存在が、どこか後ろへと追いやられてしまった。

 例えるならそういった雰囲気になるのだろうか。海原零の「銀盤カレイドスコープ」は、第4巻でタズサの妹のヨーコがどうやって姉の存在というプレッシャーに壊れず自分の道を選ぶかが描かれ、第5巻では、ジュニアの新星、キャンドル・アカデミアがジュニアとしては優れていても、シニアには未だ届かない実力を思い知る物語が描かれた。

 そのいずれにも桜野タズサは深く関わっていた。けれどもストーリーのメインはヨーコでありキャンドルの挫折と成長。中心に近づくに連れて勢いを増す暴風も、そのさらに中心へと至ればぴたりと止んで、、夜なら星空がそこに広がる。タズサはそんな台風の目のごとく、中心に鎮座して周辺に強い風を送り、輝きを放ち続けている。

 最新刊となる「銀盤カレイドスコープ vol.6 ダブル・プログラム:A long,wrong time ago」(集英社スーパーダッシュ文庫、629円)で桜野タズサ台風は、ますます巨大化して吹き荒れる。

 その暴風圏内にあって、至堂響子が過去にどんな思いをしながらスケートを続け、そして最初の五輪を病気で失い次の五輪をタズサに奪われ、今は最後のチャンスとなる2010年、カナダのバンクーバーで開かれる五輪を目指して精いっぱいに自分をアピールしている姿が描かれる。

 もうひとり、敬虔なクリスチャンの家に生まれて抑圧されて育つ中で、触れたフィギュアスケートにすべてを賭けようとしたものの、才能で先を行く桜野タズサに嫉妬心を燃やし、憎しみすら抱いたまま響子と同じようににバンクーバーを目指す、ドミニク・ミラーの葛藤の日々が綴られる。

 中心にいるのは間違いなく桜野タズサ。けれど物語には桜野タズサがお得意の悪口雑言でメディアをなじる場面もなければ、自分の弱さを吐露する場面もない。語られる視点は至堂響子でありドミニク・ミラー。その眼を通して、ドミニクであり響子でありリアであり他のライバルたちの動静が紡がれ、その中で、自らを開放してはますます勢いをます桜野タズサの凄さが暗に示される。

 もしもこの何巻かをあくまでもタズサの視点で語っていたら、高慢なキャラクターがひたすらに暴走していくだけの物語になったかもしれない。背後にしのばせ見えない台風の眼とすることで、かえってタズサの存在感を強めることに成功したと言えるだろう。

 続くおそらくは最終巻のバンクーバー五輪編。桜野タズサが物語の中心へと復活しては、一気に爆発しては周囲のすべてを巻き込み吹き飛ばし、大爆発する物語になるのかそれとも見えない影響力を放ち続ける存在として描かれるのか。

 分からないけれども可能性として考えられるとしたら、そこはバンクーバー、あのピート・パンプスの故郷であるカナダの地での大会だ。感動と驚きのフィナーレが間っていたとしても不思議ではない。

 誰かに恋をできない身となって、ひたすらにスケートにのめりこんでるタズサを襲う強く激しいプレッシャー。そこに、4年の時間を経て再び降りて来たピート・パンプスが、タズサに滑る喜びを思い出させ、メダルへと導く。そんな感動のフィナーレへと物語を向かわせるのだとしたら、得られるのはきっと素晴らしい読後感になるだろう。期待せずにはおかれない。


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