幻惑のと使途
ILLUSION ACTS LIKE MAGIC
 1つの「名前」を世に出すために、どれだけの別の「名前」が支えとなって関わっているのかを見るには、森博嗣の最新刊「幻惑の死と使途」(講談社ノベルズ、930円)の裏表紙側の帯にある、既刊6点の案内広告を読めば良い。まったくの無名だった森博嗣が、はじめて世に問うた「すべてがFになる」に、実に4人もの実作者が推薦の「言葉」を寄せていることに気づく。

 続く第2作にも、有力3氏の実作者が推薦者として名を連ね、「笑わない数学者」「詩的詩的ジャック」「封印再度」にも、いずれ劣らぬ実作者たちが「名前」を出して、森博嗣を推薦している。「名前」を出して推薦文を寄せた実作者たちは、あくまでも作品の素晴らしさを「言葉」によって伝えたかったのだろう。実際に寄せられた「言葉」は、どれも確実に内容を捉えており、はじめての読み手を誘うだけの、強い吸引力に溢れていた。しかし多くの読者は、いずれおとらぬ新本格の旗手たちが、こぞって推薦しているいったいこの本はなんだと思い、森博嗣の本を手に取ったのではないだろうか。

 それぞれの単行本では、確かにそれぞれが「言葉」によって作品を推薦していた。だが「幻惑の死と使途」の帯に書かれているのは、あくまでも推薦者の「名前」に過ぎない。そしてその「名前」だけで、じゅうぶんに価値を発揮しているし、だからこそ帯を「名前」で埋め尽くしたのだろう。意識するとしないとに関わらず、あるいは望むと望まざるとに関わらず、「名前」は価値を持ち権威を持っていく。多くの「名前」を費やされて送り出された「森博嗣」という名前が、次なる別の「名前」を世に送り出すに値するだけの価値を持つに至ったように。

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 ちょっとした悪戯はあったものの、どうにか婚約へと至った犀川創平と西之園萌絵のカップルだったが、だからといって教師と教え子との関係は、とりたてて大きな変化を見せず、萌絵は大学院の入試に向けて、勉強する毎日を続けていた。そんなある日、萌絵は古くからの友人とマジックショーに出かけ、そこでもらたチラシから、郊外にある緑地公園で、近く大がかりな脱出ショーが開かれることを知る。誘ったにもかかわらず、マジックショー来なかった創平に腹を立てた萌絵に、半ば引っ張り出される格好で、創平は滝野ヶ池緑地公園で開かれた脱出ショーへと出向き、そこで萌絵とともに、幾度目かの奇妙な事件へと巻き込まれる。

 その日披露されたのは、池の中央で箱に詰められ爆破され、それでも無事に脱出してみせる奇術師・有里匠幻18番の脱出ショーだった。しかし匠幻は、爆発のなかを見事脱出して見せたところを、何者かに胸を刺されて息絶える。テレビカメラや集まった大勢の人々が、その場面をしっかりととらえていたにも関わらず、誰もどうやって殺されたのか解らない。さらに不思議なことが続く。ホールで開かれた葬儀の場、棺桶に入れられ霊柩車に乗せられた匠幻の遺体が、はやり衆人環視の場から消え失せてしまった。

 「諸君が、一度でも私の名を叫べば、どんな密室からも抜け出してみせよう」。常にそう叫び続けていた匠幻の言葉が、霊柩車のカラッポの棺桶から流れ出す。死してなお自らの言葉を証明してみせた匠幻の「名前」は、生前の最晩年にも比して高まり頂点に達し、そのまま永遠の価値を得ようとしていた。そんな世間の風評とは別に、二度ならぬ三度も眼前で脱出のマジックを見せつけられた萌絵は、持ち前の行動力をフルに発揮し、たぐい希なる美貌も駆使して真相探しに乗り出した。

 どれも一癖ありそうな弟子たちに、痴情のもつれも絡んで複雑な人間関係が浮かび上がってくるなかで、萌絵がたどり着いた推理。相変わらず怠惰に成りゆきを見つめる創平が喝破した真相。それは・・・・

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 いったん価値を得た「名前」も、その価値を長く維持し、さらに高めていくためには、「名前」のもとに送り出す「言葉(作品)」の質が、もっとも重要となる。そして、どんどんと上がるハードルのように、高まる価値にさらなる上積みを図るためには、並々ならぬ苦労が要される。「幻想の死」の「使途」を求めてさまよった物語は、「名前」のプレッシャーに負けそうになった男の、哀しくも滑稽な姿が浮かび上がって、静かにその幕を閉じる。

 またしても創平にしてやられた萌絵だが、最高の成績で大学院の入試を突破して、創平のところであと何年か、師弟関係を続けることが決まった。ということはつまり、創平の萌絵にふりまわされる生活も、まだしばらくは続くということで、それを紡ぎ続けていく限り、「森博嗣」の「名前」が忘れ去られることはなく、そしてますます価値を高めていくことだろう。

 森博嗣が自分の名前の「価値」をどれほど意識しているのかは解らないし、どうもそれほど意識しているようには見えないが、それでも「幻想の死と使途」で描かれた老奇術師の振る舞いを見ると、あるいは少しは「名前」の価値に気が付いているのではないかと、そう思えないこともない。幸いにして「名前」がプレッシャーにはなっている気配は微塵もなく、短期間で書かれたこれまでの作品は、そこに至るまで費やされた数々の「名前」に、決して勝るとも劣らない価値を持ち、かつその価値を、ますます磨き上げてさえいる。

 「幻惑の死と死と」で描かれなかった偶数章の物語が、遠からず登場することになるのだろうが、それもおそらく確実に、「森博嗣」の名を高まらしむる作品に仕上がっていることだろう。それが「永遠」を約束するものでないことも、見返しの執筆予定を見れば明々白々。まずは次作を安心して待ちたい。

森博嗣著作感想リンク

「すべてがFになる」(講談社ノベルズ、880円)
「冷たい密室と博士たち」(講談社ノベルズ、800円)
「笑わない数学者」(講談社、880円)
「詩的私的ジャック」(講談社、880円)
「封印再度」(講談社、900円)
「まどろみ消去」(講談社、760円)


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