Gene Mapper −full build−

 格好いい。なんだかすごく格好いい。

 藤井太洋が先に電子出版していた作品を、長編化して刊行した「Gene Mapper −full build−」(ハヤカワ文庫JA、700円)に登場する、テクノロジーを自在に操るエンジニアたちも、ネットを自在に行き来するハッカーたちも、ほとんどが正義の心意気を持っていて、曲がったことをあまり好まず、すべてに意欲的ですべてにポジティブ。それがとても格好いい。

 サイエンティストやエンジニアといったカテゴリーの人たちは、イメージとして暗くて引っ込み思案で、コミュニケーションが苦手と思われがち。ハッカーは逆に饒舌すぎ? いずれにしても社交性からは遠い場所に位置していそうだけれど、「Gene Mapper −full build−」に出てくるそうしたカテゴリーの人たちは、話す言葉も達者なら、繰り出す能力もハイレベル。それでいて誰とでも理解し合い、なおかつ道にそれないで真っ直ぐ進んで、正解へとたどり着く。

 そんな格好いいエンジニアのひとりが、林田という遺伝子デザイナーで、“蒸留作物”と世間から呼ばれている、遺伝子から設計された植物を作る仕事を請け負っている。醸し出される雰囲気は、バイオテクノロジーの専門家というよりは、ファッションや建物をデザインしたり、設計したりするようなクリエーター。研究室やオフィスにこもって、家も社会も省みないで発明に打ち込むマッドサイエンティストのような印象はない。

 そんな林田が取り組んでいたのが、L&Bという会社の依頼で、東南アジアの<マザー・メコン>にある農場に植える、夜になると発光してロゴデザインを描く稲を作り出すこと。林田は見事に依頼に応えてみせたけれど、その稲がなぜか突然、プロジェクトのまっただ中で崩壊し始める。

 自分の技術が間違っていたとは思えない。とはいえ、他に原因が分からないことで林田は、会社側が派遣して来たエージェントの黒川とともに調査に乗り出すことにして、凄腕のインターネットサルベージャーがいるホー・チミンへと向かう。

 ひとつ面白いのは、この世界ではインターネットは検索プログラムが暴走した挙げ句に外部からのアクセスを遮断してしまったこと。サルベージャーはそんな隔絶されたインターネットにどうにかして潜り込んで、ネット上にため込まれていた知識や情報を探し出してくる仕事を請け負っている。

 林田がコンタクトしたキタムラも、そんなサルベージャーのひとりで、これがまた格好いい。<マザー・メコン>で起こった稲の崩壊の真相を探るために、インターネットにある情報が必要になった林田から、まずサルベージャーとしての腕前を試されたキタムラは、あっという間に調査を終えて林田を驚かせる。

 スペシャリストとしての格好よさ。秋葉原の雑居ビルに事務所を構えているのではなく、陽光の降り注ぐホー・チミンにある家に暮らして、アオザイを着た美人秘書が身の回りを世話してくれているというライフスタイルの格好よさ。なにかを企むこともなく、受けた仕事を飄々とこなしてみせるそのスタンスも、ネットに耽溺したナイーブで陰気なパーソナリティの正反対を行って、これまた格好いい。

 そんなキタムラが暮らすホー・チミンに呼びつけられた林田は、キタムラともすぐに意気投合して、ともに事態の解明に挑むことになる。その過程で浮かび上がるのが、蒸留作物のような科学の手が入った存在を目の敵にした一種のテロ。迫る危機に対して、遺伝子工学の最先端と、ARのような情報工学の最先端が繰り出されては、世界をいたずらに混乱に陥れようとする敵を探し出し、追いつめていく。

 そんな敵との戦いを経てたどりついたひとつの可能性。そこから未来が暗くて悲しいものになることもあり得るにも関わらず、誰もが自由を愛し、人間の理性を信じて歩んでいこうとしている感じに描かれていて、読んでいてとても気持ちいい。

 林田とキタムラの間で立ち回る、L&Bから派遣された黒川というエージェントのパーソナリティも実にいい。言動から何か裏がありそうで、そして実際に複雑な過去を持っていてといったところから、その真実へと迫るストーリーが描かれる。その真実とは?

 なるほど、自分が世界に怨みを抱いているからといって、誰もが世界に怨みを抱いているとは限らない。人間を信じていいんだ、科学を信じて大丈夫だと、そんな風に思わせてくれる。振り返らないで今を受け止め前に向かう格好よさ。林田やキタムラ以上にその生き方、その考え方に惹かれる人も多そうだ。

 とはいえ、実際の世界は、悪意が知らず蔓延り善意も横滑りしてお節介と化していたりするから難しい。だからこそ、こういう明るくて前向きな物語も必要なのだろう。

 前向きで正義感にあふれたエンジニアやハッカーたちとは逆に、本来なら正義であるべきジャーナリズムが実に醜悪で格好悪いところを見せるのも、この作品の特徴か。現実、1度でも嘘をついたりインチキをしたりしたメディアが、なおも視聴者の信頼を得て存在できるのかといった疑問も漂う。

 とはいえ、小説より奇な現実では、ありもしない言葉をでっちあげて記事を書き、名誉毀損で訴えられて敗訴してもなお、身分を問われることもなく命脈を保っていられたりする。ましてや今は、ネットが発達して、大衆の快楽を満足させられれば、それが真実の正義でなくても受け入れられ、広められて成立していく時代。醜悪なメディアがそれでも存在を許され、さらに発展していくこともあり得ると見て、そこから情報を選別していくことを受けてとして考えるべきなのだろう。

 テクノロジーの描写では、ARが常態化して誰でもどこにでも出現できたりする点がユニーク。芝村裕吏の「この空のまもり」でも似たような、ARが本当の現実に重なり存在している世界が描かれていたけれど、それがより広範囲に可能になった世界では、コミュニケーションの形も大きく変わる。

 そうしたテクノロジーを使って人をどう描くか、そうやって描かれたバーチャルな自分なり他人と、リアルな自分なり他人とをどう区別し、あるいは重ね合わせて生きていくか、といったあたりも見せてくれる物語。そう遠くない未来に実現するかもしれないそんな世界を想像して、自分ならどう振る舞うかを考えながら、読んでいくのも面白い。


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