少年漫画大戦争
『少年画報』編集長・金子一雄の築いた王国

 後に600万部という途方もない発行部数を記録した「週刊少年ジャンプ」が、先行する少年漫画誌を追い越して大躍進する基礎を固めた西村繁男。「エイトマン」「巨人の星」「あしたのジョー」等々、社会現象にまでなった漫画を「週刊少年マガジン」誌上で手がけた内田勝。「名編集者」と語り継がれる人たちを検証した本は過去に何冊も出ているが、それより以前の漫画雑誌の編集者となると、手塚治虫や「トキワ荘」の面々を送り出した学童社発行「漫画少年」の加藤謙一が思い浮かぶくらいで、案外と記憶からも歴史からも忘れられている。

 昭和30年代に数々のヒット作を世に送り出し、月刊漫画誌としては初めて80万部という発行部数を記録した「少年画報」。その人気ぶりは、少年画報社という出版社の名前に今も受け継がれている点からも容易に伺える。それでも今の若い人たちで、「少年画報」にいったいどんな漫画が載っていたのかを、「ジャンプ」「マガジン」のようにスラスラと言える人は少ないだろう。ましてや編集長となると、間髪入れずに名前を答えられる人はそうそういない。

 それを言うなら「少年サンデー」や「少年チャンピオン」も、歴代の編集長の顔が見えにくい雑誌という印象があるが、「少年画報」や「ジャンプ」「マガジン」ほどには時代を築いた雑誌ではないという点で、検証が遅れているのもやむなしといったところか。2番手3番手を長く走り続けられるという”心肺能力”の強さは、それはそれで研究してみたい気もするが。

 本間正夫の「少年マンガ大戦争 『少年画報』編集長・金子一雄の築いた王国」(蒼馬社、1429円)によって掘り起こされた、「少年画報」を生み「少年キング」を育てた金子一雄という編集者の業績の数々に触れた時、これほどまでの人物がなかなか省みられてこなかった状況にまず驚く。そして、独立した金子の元に参じた著者だからこそ出来た、本人から聞いたり、今は御大になってしまった漫画家たちから聞いたエピソードの数々に、こういう編集者がいたからこそ、今の漫画大国があるのだだということを改めて感じる。

 昭和10年に小学校を出て小学館に入った金子は、そこで明々社、今の少年画報社を設立する今井堅と知り合い、昭和22年に誘われて今井の元に移る。やがて「冒険活劇文庫」から改題間もない「少年画報」の編集長に抜擢され、昭和26年12月号から陣頭指揮を取り始めた金子は、「ストーリーがわかりやすいこと」「善人、悪人の区別をハッキリさせる」「善は栄え、悪は滅びる」という3原則を打ち立てて、「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」や「怪物くん」といった戦後日本の児童文化に輝く作品群を「少年画報」の上で展開し、そして桑田次郎、森田拳次、望月三起也、水島新二といった、これもマンガ史から絶対に削ることの出来ない漫画家たちを世に送り出す。

 今でこそ出版社と言えば、超一流大学を出て霞ヶ関と商社と銀行に合格しものの、給料が良いという理由で出版社に決めた人間がゴロゴロといて、”知的水準”の高さだけは日本でも有数の場所となっている。小学校を出たての人間が入り込む余地などさらさらない。けれどもおそらくは当時も大学卒業社がゴロゴロとしていた出版界で、実際に金子が成し遂げた業績を見れば、学歴とは無縁の熱意があってこその漫画編集なのだということが分かる。

 理念と眼力によって今なお歴史に残る漫画家たちを発掘しては、世に送り出して来た先人たちの偉績に触れると、流行のサイクルの短くなっている状況で、ヒット作へのプレッシャーに押されて理念と眼力のすべてを発揮できない編集者の多いだろう現実がもたらす未来を楽観できない。もちろん全員が全員という訳ではなく、優れた編集者がいて今も連日のように優れた作品が生み出されていることは承知しているが、それでも商業的に大きくなり過ぎた「出版社」にいる経済的に豊かになり過ぎた「編集者」たちによって「生産」される漫画が、行き着く先へのぼんやりとした不安が頭からなかなか離れない。

 もっとも時代があって生きる感性というものがあることも事実。梶原一騎を起用しながらマンガの原作者としては使えなかった点や、石森章太郎のライフワーク「サイボーグ009」を「少年キング」から降ろし、水島新二も今に繋がる野球マンガのヒット作を「キング」からは送り出せなかったあたりに、西村繁男や内田勝といった面々ほどには金子の名前が記憶されず、「少年画報」も「少年キング」も廃刊となってしまった理由があるのかもしれない。学べる点は学ぶとして、省みる部分があればそれは改めていくことが、偉績を単純に仰ぐのではなく、かといって無視するでもなく有効に活用する上で大切なのだろう。

 「少年画報」は記憶にないが、「少年キング」や「少年KING」からは、「ワイルド7」「銀河鉄道999」「サイクル野郎」「超人ロック」「龍一くんライブ」「湘南爆走族」「プロスパイ」等々、結構な人数の記憶に残る作品も出ている。にも関わらず、衰退し最後には廃刊となってしまった背景に、金子が打ち立てた3原則の影響はどこまであったのだろうか。受け継がれていたからこそ廃れたのか、排除したからこそ衰えたのか。西村らが打ち立てた「努力・友情・勝利」が時にはヒットの原動力となり、時にはラブコメ全盛の中でアナクロと見られ脇に置かれて悩みつつも、今なお権勢を誇る「少年ジャンプ」との立場の違いも含めて、雑誌が打ち立てたポリシーと時代との適合性・不適合性についてまとめられたら面白いかもしれない。


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