ファンタスティック・サイレント
Fantastic・Silent

 「D」、という名前でアーティストで、イラストレーターでコミック誌では漫画も描いてファッション誌ではモデルもするらしい。そんなマルチな才能と、多摩美術大学中退という経歴を持った女性が初めて著した、「ファンタスティック・サイレント」(KKベストセラーズ、1500円)という絵物語がある。

 巻末に写真が載っていて、見るとなるほどモデルをやっていると言われて納得の、エキセントリックさと繊細さを合わせ持った、エキゾチックな容貌をした美人で驚くが、そんな驚きも、「ファンタスティック・サイレント」に描かれた絵物語を読めば、まったく違うベクトルへと変わり、顔がどうとかいった部分が些末なことに思えて来る。

 お話は2話収録で、第1話目は退屈さにイラだっていたヤンキー然とした兎と熊のキャラクターが、穴にはまってしまたかの如く、拾った眼鏡から出てきたブヨブヨとした空間へと引きずり込まれ、別世界に行ってしまった場面に幕を開け、そこで出逢った得体の知れない存在に、包み込まれ融合されてしまう物語が描かれる。

  話は森青花の「BH85」とも恩田陸の「月の裏側」とも共通の、融合による孤独からの解放が描かれていて、読む人に誰かと重なり合うことの楽しさを思い出させてくれる。これに加えて、絵本調でかつ兎と熊という本来だったら可愛く描かれて当然なキャラクターであるにも関わらず、不良然として凶悪な面構えにしてある不思議で不気味な「D」の絵柄と相まって、読後に何とも奇妙な感覚を想起させる。

 問題は2話目。病気で外に出られない熊というのが主人公の設定で、それを兎が懸命に看病していて、頼まれれば外に林檎を穫りに良く優しい部分も描かれている。けれども肝心の熊のキャラクターが、薄幸な可憐さとはほど遠く全身が痛み傷口は腐り目も半ば潰れてしまっている状況があからさまに描かれていて、最初はそのあまりの醜さに気持ちをギクリと動かされる。

 兎に林檎が食べたいと言って取りに行ってもらっている間に読んだ絵本の載っている、貴族の首に巻かれたヒダヒダの付いた襟巻をシャンプーハットで真似たら、自分も貴族になれるんだろうか、どうだろうかと考えたところから、ベッドの上にいる熊の気持ちは異なる世界へと入り込む。そして、そこで出逢ったフシギな人たちに、明るく穏やかな世界へと連れていかれてしまう。しばらくして林檎を取って帰ってきた兎が見たものは……。

 といった具合に、あまりに単純過ぎる展開ではあるものの、みすぼらしく朽ち果てた肉体をさらしながらも、心は幸福に包まれたまま誘われていき、あとに兎が残されるとういシチュエーションが、ストレートに心に来てしまって涙がジワッと浮かんでくる。客観的には病は酷く死は醜く、死体も決して美しくはないという事実を明示しながら、それでも主観的な幸福への到達への共感を呼び起こし、同時に別離への哀しを喚起して心を打つ。

 あの「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」の宮崎駿監督が寄せた、「少女のDにぼくは北海道であいました」という、いささか謎めいたコメントの帯がついていて、意味心ながらも残酷な現実を踏まえつつ理想の世界を描こうとあがく作者の態度に、宮崎監督が自分と通じる部分を感じたのかも、などと思うが真相は分からない。真意はどこにあるのだろうか。

 「D」の絵柄については、あくまで美しく可愛い宮崎監督とは対称的に、不気味なキャラ、奇妙な街並みを時に優しく、時に荘厳に、そして残酷に描いて目に熱い。とりわけ街並みや建物のエスニックで西洋風で古典的な癖に未来っぽさの漂う雰囲気が、文芸誌「文学界」の表紙絵で知られる野又穫とも通じる部分があって、過去から未来へと及ぶ遠く伸びた時間への、懐かしさとも憧れともつかない感覚を呼び起こさせる。

 モデルにイラストレーターに漫画家にと、忙しい日々を送っているのだろう「D」だが、感動的な物語に残酷なキャラクター、そして時間を超越して気持ちを混沌へと誘う全体の雰囲気が発揮されるのは、やはりこういった絵物語ということになるだろう。他の活動、とりわけモデルとしての活動に興味を持つのも相手が美女なら仕方が無いこととは言え、合間でも言いし出来れば時間の大半を注ぎ込んで、次なる絵物語を描き見せてもらいたい。


積ん読パラダイスへ戻る