エロスの原風景 江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史

 2009年の春から夏にかけてくり広げられた、児童ポルノ禁止法案をめぐる国会での論議のなかで、宮沢りえのヌード写真集「サンタフェ」が、持っているだけで処罰される本になるかもしれないという話が飛び出して、いったいどういうことなのかと世論が沸騰した。

 国会の解散によって法案改正はひとまず先送りにされたものの、政治が落ち着けばまたぞろ俎上に乗ってくるだろうことはほぼ確実だ。その時にもまた「サンタフェ」をめぐる侃々諤々の言い争いが起こらないとも限らない。本来の目的である搾取や虐待の防止といった目的から、遠く外れた議論がさも正論のように語られてしまう状況には、誰もが心底ウンザリとさせられるし、法案がはらむ危険性についても、強く認識させられる。

 再び改正の論議が起こった時に、「サンタフェ」が実際に違法となるかはまだまだ不透明な部分がある。けれどももしもそうなったとしたらら、人気絶頂の芸能人がヘアヌードを辞さなくなったエロの歴史の転換点を、実物で確認できないという悲劇に日本は見舞われることになる。これは大変に困った事態だ。

 ただでさえエロスに関連した本は世の中に残りにくい。違法でなくても堂々と読んだり集めたりはできないといった考えが、公の場所での収蔵をためらわせる。隠し持つのもはばかられる。そして捨てられていく。燃やされていく。

 だからこここに登場した「エロスの原風景 江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史」(ポット出版、2800円)は、とてつもなく貴重であり、とてつもなく意義のある仕事の集大成だ。

 収録されているのは、日本一のエロ本収集家と自他共に認める松沢呉一のコレクションの数々。自販機本がありカストリ雑誌があり西洋のポストカードもありといった豊富で幅広いコレクションが、すべてカラーで収録された図版をながめ、膨大な知識と広く取材されて得た情報によって書かれた解説を読めば、エロ本が日本の歴史においても文化においても、「サンタフェ」に負けない影響を残してきたかが分かるだろう。

 戦後の日本にわらわらと湧いて出たカストリ雑誌は、日本人が押さえつけていたエロや猟奇への関心を解放へと導いた。戦後の日本で活躍する文筆人も多く送り出した。売れに売れたカストリ雑誌で大もうけした出版人から、「ガロ」が生まれて日本に漫画文化を花開かせた。

 下着姿が精一杯の自販機本は、ヘアヌードが平気で乗るコンビに売りの週刊誌よりも、よほどエロの神髄を示している。フランスのヌード絵はがきのコレクションは、週刊誌のヘアヌードにはないなまめかしさで、陰毛の素晴らしさを思い出させる。無制限だからこそ得られる官能が、人の想像力をたくましくしたのだ。

 メイド喫茶は知っていても、ノーパン喫茶があったことを知らない世代もいたりするのがこの現在。性交渉とは無縁の風俗、見て楽しむ風俗の登場が、夜の淫靡さから性風俗を解き放ち、手軽で明るい性風俗を生みだした。その原点を知らないでいては、援交から肉食系女子へと連なる性文化の変遷の歴史も見誤る。

 法で縛られ、AVに押されてエロ本が消えそうな今だからこそ、とてつもなくデカい意義持つ「エロスの原風景」。これが売れれば、さらに続きも刊行されるという。ならばやはり買うしかない。買って蔵出しの数々に堪能するより他にない。

 それが無理でもまずは1冊。それを読んで豊富なグラフィックに官能するもよし。膨大な資料にエロの歴史の全体像を想起するもよし。ここから得られるさまざまな感情が、エロスを闇へと葬りなかったことにしようとする勢力への憤りを生み、開放への欲望を招きそして自由であることの歓びを喚起する。

 遠からず起こるだろう、迫害との戦いに備える力として、誰もが手元に置いておくべき1冊だ。


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