炎都
City Inferno

 映画「インデペンデンス・デイ」最大の見せ場が、「宇宙人をグーパンチで殴るシーン」であることは、およそ衆目の一致するところでしょう。イカともタコとも見紛うばかりの恐ろしげな宇宙人、最先端の技術力と強靭な生命力を持った宇宙人を、軍隊で鍛えたとはいってもごくごく普通の人間が、素手でグーでポカポカ殴って、見事しとめてしまうのですから、これは岡田斗司夫さん(キネマ旬報『動画王Vol.1』参照)ならずとも、お腹の皮をよじらせて大笑いするはずです。

 何十億円もの大金を投入して、かくも大笑いできるシーンを見せてくれるアメリカの映画には、数億円の資金ですらなかなか投入できない日本の映画では、とうてい太刀打ちできませんが、ひとたび映画をはなれて、小説なりコミックといった印刷メディアに目を転じれば、これでなかなか日本も棄てたものではないことが解ります。

 例えば柴田よしきさんの最新刊「炎都 City Inferno」(徳間書店、900円)などは、古(いにしえ)より日本の闇に息をひそめて生きて来た妖怪を、腕っ節が強いとはいってもごくごく普通の女性が、パイプレンチでボカスカ殴って気絶させてしまうのですから、これは大笑いせずにはおかれません。おまけにまだ息のあるその妖怪の首を、いまどき珍しい薪割り用の鉈でちょん切ってしまうのですから、もうおかしくって涙が目からあふれてきます。

 別に柴田さん、ギャグやコメディーを目指して「炎都」を書いたわけではないようです。むしろ真剣に、日本が近代化のプロセスで隠蔽してきた古代から息づく闇の生き物たちの存在を世に問い直し、また3方を山に囲まれた内陸の要塞都市・京都の危険な地理的条件を撃とうとしています。

 けれども、大真面目にアメリカ国民の愛国心を歓喜しようと作られた「インデペンデンス・デイ」が、その目的を果たす一方で、散りばめられた数々のギャグ的・コメディー的・パロディ的シーンに、狂喜乱舞するファンを生み出したように、「炎都」も柴田さんの真摯なメッセージをそれとして受けとめる一方で、随所に散りばめられたギャグ的・コメディー的、パロディ的なシーンに、ついつい吹き出してしまいます。メッセージが真面目であればあるほど、ギャグやコメディやパロディーも輝きを増してくるのです。

 京都の街で、ひからびてミイラになった出来たての死体が発見される場面から、この物語は幕を開けます。やがてあちらこちらで同じようなミイラが見つかりはじめ、京都の人々を不安におとしいれますが、警察はなかなか犯人を割り出すことができません。本編の主人公になる木梨香流(かおる)は、府内の地質調査会社に技師として務めて7年になりますが、ひからびた死体が発見されはじめたのと機を同じくして、府内の井戸がどんどんと枯れはじめて来たことに気がつきます。けれども警察と同じように、不思議な現象の原因は解らないままでした。

 そうこうするうちに、母親のお節介でしたくない見合いをする羽目となる香流ですが、働き尽くめの30女の香流には、見合いに着ていく服がありません。仕方がないので仕事用の地味なスーツを着ていこうと決めるのですが、地質調査で日焼けした筋肉質の体には、スーツがなかなか似合いません。そこで近所にあった花屋へと出向き、人当たりの良さそうな店主の真行寺君行に、コサージュの製作をお願いして帰ります。それが香流にとっても君行にとっても、そして京都の街にとっても運命的な出会いだったのです。

 やがて不思議な現象はその規模を増して京都に襲いかかり、地震で街を破壊した上に、炎によって残った建物を焼き尽くそうとします。さらには烏にも似た奇妙な生き物が夜毎街を徘徊し、川縁には水掻きを持った恐ろしげな生き物が現れて、逃げてきた人々に食らいつきます。遠く平安時代、安部晴明によって封印されていた妖(あやかし)どもが蘇り、虐げられて来た恨みをはらさんとばかりに、人間を襲い始めたのでした。

 離婚歴のあるフラワーデザイナーの君行が、実は平安時代からの因縁を背負った高貴な身分の転生だったことが明らかになり、京都の街を恐怖のどん底に陥れている奇妙な出来事の数々が、君行の前世の振る舞いに起因することだったことが解った時、君行は自分に出来ること、すなわち京都の街を救うことに全身全霊を傾けます。お供に連れたのは1匹のヤモリ。まだ笑ってはいけません。ヤモリはヤモリでも、古よりの魂を受け継いだ由緒正しいヤモリなのですから、京都の街を救ったって不思議じゃありません。

 さて香流の方ですが、君行を愛してやまな大災厄の原因が、君行が一目惚れしたという香流の命を奪おうと躍起になって襲って来ますが、かろうじてそれをかわして、地震と火災と妖怪がばっこする京都の街で、かろうじて生き延びて行きます。パイプレンチで殴って鉈で首を切り落としたのは、飛黒烏と呼ばれる妖怪ですが、大勢の人が血を吸われて全身をかじられて息絶えていったのに、香流だけは気丈にもその飛黒烏に立ち向かい、打ち倒すことに成功するのです。主人公は負けない。お約束です。おや、ちょっと笑いが出ましたね。いいですとも、いいですとも。

 でも笑うのは次の言葉を聞いてからにしてください。この飛黒烏を見た時の香流の頭に浮かんだ言葉です。「これはギャオスだ! 昔、大好きだったガメラの映画に出て来た人喰い鳥の怪獣ギャオスにそっくりだ!」。ぎゃはははは。げらげらげら。おほほほほ。「インデペンデンス・デイ」の宇宙人はイカタコでしたが、「炎都」の妖怪はギャオスなんですよ。「インデペンデンス・デイ」を見てもあんまり笑えなかった人でも、日本人になじみ深いギャオス(に似た妖怪)が、ガメラの吐く炎なんかじゃなくって、美人の女性技師がふるうパイプレンチと薪割りの鉈でしとめられてしまう。そんなシーンを作ってくれるなんて、柴田さんんてなんてお茶目なんでしょう。

 跳梁する妖怪によって、京都の街は出入りする道路がすべて塞がれ、橋は落とされ、空も妖怪によって制圧されて、完全に孤立してしまいます。ちょっとしたホラー小説っぽいノリですが、閉じこめられた人々がじわじわと殺されていくような、例えば二階堂黎人さんの「人狼城の恐怖」のような一般的なホラー小説とは、一線を画しています。妖怪は集団で難民に襲いかかってしゃぶりつくしますし、天狗火は鞍馬山からぽんぽんと投げられて京都の街を瞬く間に焼き尽くして行きます。じわじわとした恐怖よりも、あっけらかんとした恐怖を志向するのは、単純だけれど面白いハリウッドの最近の映画の手法と、どこか似通っています。あっ、だから「インデペンデンス・デイ」を思い出したんだ。

 ギャオスは死滅しヤモリも命を失って、幕切れは悲しみにつつまれますが、失ったものを探し求めるために、焼け野原の地平にすっくと立った香流の姿には、やはり胸を打たれます。目玉のオヤジならぬ蘇ったヤモリのお付きを従え、また京都の街を再び封印するために集った古の血を引くものたちを束ねて、香流は再び闇の勢力と闘うのでしょうか。だとしたらお願いです。海外でもその活躍が認められるように、香流にもグーパンチで妖怪を殴らせてやって下さい。


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