閻魔の弁護人

 協力出版の強引さを含めて毀誉褒貶の数々があるけれど、「ちーちゃんは悠久の向こう」で日日日を輩出したり、昭和の事件を活写し時代と人間を記録したノンフィクションを再刊したりと、その活動にある種の意義を見出して間違いのない「新風舎文庫」から、またひとり新しい可能性が登場した。

 日日日を送り出した「新風舎文庫大賞」で準大賞を受賞し刊行された松山剛の「閻魔の弁護人」(新風舎文庫、752円)は、いかにもな記号を並べたて、ありがちな器に入れてシェイクして、ちょっぴり異色のネタをトッピングして目立たせる作品の多々ある中にあって、珍しく書き手の主張と情念がうかがえる物語。読めば誰でもそのパワーに何かしらの感慨を覚えるはずだ。

 死んで閻魔のお裁きを受ける地獄へと落とされる亡者たち。もちろん罪を背負っての地獄落ちだが、なかには罪を減じられるべき事情を持った者もいるかもしれない。そんな事情を持った亡者の弁護をする職務を与えられた藁掴(わらつかみ)が、この「閻魔の弁護人」での主人公だ。

 裁判物と聞いて思い浮かぶのは、松本清張の「疑惑」や和久峻三の「赤かぶ検事」の描いた小説やそれらを原作とした映画に映像、あるいはゲームで登場して大人気となった「逆転裁判」のような、証拠を並べ証言の隙を付く丁々発止のやりとりに重点を置いた法廷ドラマだろう。生前の罪を探るべく地獄から送り込まれた弁護人が、生者を訪ね歩いて証拠を探しつつ、肉親を失った者たちの哀しみを癒すようなストーリーが想像できる。

 けれども「閻魔の弁護人」は違っている。なるほど最初こそ法廷での弁護が描かれるが、すぐに藁掴には「八大閻魔」のひとりとして「等活地獄」を担当してながら失脚した盤若湯の娘・廻灯籠を探して欲しいという依頼が、現在の八大閻魔のひとりで「大焦熱地獄」を担当している明鏡止水から寄せられる。かつて彼女(明鏡止水は女性)に命を救われたことのある藁掴は、恩もあって「闇閻魔地獄」へと赴き廻灯籠を探して面会を果たす。だがその訪問先で、娘を置いて逐電していた般若湯による叛乱が地獄に起こったことを知る。

 まずは地獄のことごとくをまずは蹂躙し、天上界をもにらんで攻め上がろうとする般若湯の叛乱軍。そこに現れ地獄を根こそぎ焼き尽くそうとする阿弥陀如来。蹴散らされ、蹂躙されながらも藁掴は奪われる命を救おうと頑張り、罪を着せられた廻灯籠のために天道へと駆け上がっては、まだ駆け出しの弁護士で、廻灯籠や明鏡止水と因縁を持つ少女の河流とともに法廷に立つ。

 そんな熱く激しいストーリーには、天道人道地獄道に加えて、修羅道餓鬼道畜生道とある「六道」をベースにした世界の上で、人が犯した罪の責め苦を追う地獄の様子がまずは描かれ、地獄にはいろいろあってそこに集う閻魔や鬼や獄卒といった面々の性格性質が紹介され、天道より攻め降りて来る阿弥陀如来を中心とした仏法に帰依した面々の性質性格が、脚注付きで詳細に紹介されている。読めば地獄はひとつではなく輪廻も単純ではないと分かる。

 これらが本当に仏教の典籍にある地獄や天国の解釈そのままだという保証はなく、おそらくは小説にする上で作者なりの創作が盛り込まれているだろうけれど、天国から天使が現れ地上で人間を助けそこに地獄から来た悪魔が絡むといった、単純にして明快な設定とは違って複雑に重なり合った六道曼陀羅によって、世界は形作られていてそこに生きる如来も菩薩も人も畜生も、餓鬼も鬼も何もかもがつながりあった存在なんだということに気づかされる。地獄とは、極楽とは、輪廻とは等々の書き手が関心を抱いている事柄に対する熱意と、それをベースにした物語を綴りたいというパワーが全編に満ちている。

 頑張る真面目な少女をめぐって皆が何とかしよう、頑張ろうとする展開も、人を殺めたのならばやはり責任はとるべきという主張の真っ直ぐさも、読んでなかなかに良い後味を与えてくれる。設定のパワーに頼りすぎていて、展開に破天荒さは見えるけれども読み始めれば繰り出されるちょっと普通ではない言葉の用いられ方と、それらを説明した情報の多彩さもあってぐいぐいと読まされてしまう。

 ひとつの別離を経て得た新しい境遇の上で、難局を乗り切った藁掴とひとつ大人になった河流とが、これからどんな弁護を繰り広げてくれるのか。そこにはどんな新しい正義を尊び独尊を排するメッセージが描かれているのか。せっかく作者が形作った斬新な世界、和風の代表ともいえる陰陽師ものとは違い二元論の上に繰り広げられる天使と悪魔のバトルとも違う雰囲気を持ったファンタジー世界だ。ここで終わらせることなしに次の新しいドラマを描いていってくれると嬉しい。


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