エルフェンリート

 某アンドロイド美少女漫画の主人公を思わせる、ヘンな形の物を頭に付けた美少女が表紙に描かれている様に、てっきり一般向け漫画ながらもギリギリのエロもあって楽しめる、ラブコメ調の作品かと思って手に取った人も多いだろう。だが、そんなニヤけた気持ちを岡本倫の「エルフェンリート」(集英社、505円)は冒頭から足蹴にし、捻りあげては叩きつぶす。読んだ人は男も女も関係なく、どこかとんでもい世界へと連れて行かれ、帰ってこられなくさせられる。

 とある研究所の地下に、「羊たちの沈黙」のレクター博士のようにグルグル巻きにされて、ケージの中に拘束された人物がいた。手も足も出せない姿に運搬を依頼された警備員たちも気持ちをゆるめていた。けれどもそれが間違いだった。拘束されたこの人物の正体は突然変異体。レクター博士が言葉で相手の心理に切り込み破壊するなら、突然変異体は人間の目には見えない手を伸ばし、近寄って来た警備員の携帯電話を鳴らし飛ばしては相手を引き寄せ、腕を引きちぎり鍵を奪って脱走する。

 狡猾さと残忍さを持ったその人物は、研究所の中で警備員を殺しまくり、追いつめられたように見せかけて追う側に期待を持たせてそれを裏切り、研究所から外へと出る。研究所の方でもかろうじて遠くからの狙撃に成功したが、頭を破壊するまでには至らず海の中へと逃亡を許してしまう。

 ところ代わって海岸。ひとり暮らしをしている少年が彼女と一緒に歩いているところに、頭を怪我した裸の少女「にゅう」が現れる。記憶を失っているようで、知能も見た目ほどには至ってない節があって、自分の身の回りのことすら見るのが難しい「にゅう」を、2人は助けて家へと連れて行く。着替えさせ、トイレの世話もして優しく面倒を見る。

 純粋で無垢な「にゅう」。天使のように見えた彼女が誰かは瞭然。研究所で紙切れのように警備員たちを殺しまくり、撃たれながらも逃げ出すのに成功した突然変異体こそが彼女だった。そして、ひとり海岸を彷徨っていたところを、追ってきた特殊部隊の男に攻撃され、痛めつけられる中で記憶を取り戻し、力も取り戻して相手を粘土細工のように捻り引き裂く。

 血が噴き出し、腱が千切れ骨が砕けるグロテスクなシチュエーション。描き込めばどこまでも残虐で残酷になれる展開を、あっさりと可愛らしく描いえしまう画調のギャップが読んでいて気持ちを左右にゆさぶる。日常が突然に非日常へと変わる唐突感から来る衝撃に凍り付き、立ちすくむ。

 単なる脇役に過ぎないのに、妙な存在感を醸し出していた女性が、研究所を逃げ出そうとしたミュータントにあっけなく首をひっこ抜かれ、死んでしまう女性の描写には、生と髪の毛いっぽんすら隔てずによりそっている死の恐ろしさってものを強く感じさせられ、何度も読み返しては泣きそうになる。厳重な警備がされていてしかるべき施設にいるには、あまりにドジ過ぎる不思議さはあるけれど、そうした疑念を吹き飛ばして呆然とさせるインパクトがある。

 追っ手を死の淵にまで追い込んだものの、ぶり返した頭痛に再び記憶をなくした突然変異体の「にゅう」はどうなるのか。目覚めて周囲を地獄に叩き込むのか。瀕死の淵から蘇ってくる特殊部隊の男と再び相まみえるのか。同じ能力を持っていそうな別の突然変異体の存在を示唆されたまま、話は2巻へと続ていく。別離、裏切り、憎悪といったぶつかりあう人々の感情が引き起こす悲惨なシーンに、きっと驚かされ、怒りを呼び起こされ、悲しまされることになるのだろう。

 併録されている「MOL」という短編も、また衝撃と慟哭に満ちあふれた作品。姉たちの影響で人形にしか関心を抱けなくなり、今はほとり暮らしをしている少年のところに、ある日、人形サイズの小さな少女が迷い込んで来る。これぞ理想の女性だと捕まえて聞くと、少女は近所にある研究室から逃げ出してきた研究用の小型の人間だと身の上を話した。

 どうやら少女は、仲間たちが次々と殺され、自分もあと1週間で死ぬという注射を打たれたことがきっかけで、最後に外を見たいと研究所から逃げ出して来たらしい。人形好きの少年は、はじめのうちこそその人形並のサイズに惹かれて、少女を家に囲っていたけれど、サイズの違いをのぞけば普通に会話して、食事もすれば遊びも楽しむ少女に少年は、だんだんと人形とは違った感情を向けるようになっていく。

 けれどもそんな暮らしも永遠には続かない。少女が言っていた1週間目は当然のようにやってくる。せっかく出会えた2人。方や人形フェチから抜けて生き物を相手にできるまでになった少年、こなたやっと自由を得ることができた少女はまたも離ればなれにならなくてはならないのか? ようやくつかんだ幸せを守って生きることは出来ないのか?

 「私、生まれる前になにか悪いことしたのかなあ」「だから私、普通の人間に生まれなかったのかなあ」。泣きながらそうつぶやく少女に、他人には決して笑顔を見せなかった少年の顔がほころび、少女も微笑む。ささやかな幸福が漂う、そんなシーンが一転、もはや人形を連れていない少年の姿へと至り、締められるエンディングの最後のコマに表された哀しい事実と激しい想いに涙があふれ出す。

 ドラマによくある別離のシーンが絵としては描かれず、飛ばされている分、より能動的に頭で起こったことを想像して理解しなくてはならないからなのか。こみあげてくる感情も妙に強く、胸につかえて気持ちをせきたてる。ニュアンスで見せ、感じさせ考えさせるこの才能を、「エルフェンリート」のような長編に限らず、短編でももっと読んでみたい気がしている。


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