誰がダニエル・パールを殺したか?

 ダニエル・パール。その名を聞いて「ああ、パキスタンで誘拐されて殺害された新聞記者だね」と答えられる日本人が、果たしてどれくらいいるだろう。イラクで甥と共に射殺され、車ごと焼かれたジャーナリストの橋田信介や、事件の現場を見たいと好奇心からイラクに飛び込み、捕まって殺害された香田証生ですら、その名は日本人の記憶から落ちかけている。日本人でもないジャーナリストの、イラクではなくパキスタンでの死を、気にかけ続ける人など多くはいない。

 ダニエル・パールとは何者か。2001年9月11日に起こった同時多発テロの報復として、アフガニスタンへと攻め入った米軍がカンダハルを攻略し、タリバンを追い出して世界に”平和”を取り戻した祝福の渦中。米国の経済紙、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記者だった彼は、パキスタンへと入ってテロの真相を追っていた最中に、イスラム過激派によって拉致され、ビデオによるメッセージを発した後に殺害された。

 ジャーナリストが戦争で死ぬのはよくあること。キャパだって橋田信介だって戦場に散った。だがパキスタンは戦場ではない。戦争が起こったのは隣りのアフガニスタンで、おまけに2002年1月、ダニエル・パールがカラチに入った時に、戦争はほとんど終結していた。泥沼の戦争が続いていたベトナムとも、残党が残りフセイン亡き今も自爆テロの耐えないイラクとも、状況は表向きは違っている。

 それなのにダニエル・パールは殺された。おびき出され誘拐され監禁された挙げ句に首を切られて殺害され、バラバラにされて埋められた。どうして彼は殺されなければならなかったのか。その真相を、フランスを代表するオピニオン・リーダーであり、また世界の紛争地帯を歩いて現実のむごたらしい様を伝えて続けてきたベルナール=アンリ・レヴィが、その著書「誰がダニエル・パールを殺したか?」(山本知子訳、NHK出版 上・下各1700円)で告発する。

 自身、インドを挟んで西と東に分裂していたパキスタンのうち、東パキスタンが独立してバングラデシュとなった闘いに、バングラデシュの側に立って活動した経験を持つベルナール=アンリ・レヴィは、パキスタンにとって決して好ましい人物ではない。そこを隠してパキスタンの地に降り立ったレヴィは、静かに潜行してカラチでのダニエル・パールの足跡をたどり、またアメリカにいる彼の両親、殺害された時には身重だった彼の妻、本当は自分がパキスタンに行くはずだったダニエル・パールの同僚を、訪ねて歩いてジャーナリストの死の真相に迫っていく。

 残されたダニエル・パールの映像を、レヴィは注意深く観察する。自らをユダヤ人だと明かし、エルサレムに先祖が残した偉業を話して両親に何かを伝えようとした、その姿に彼の置かれた境遇を分析し、彼を誘拐したイスラム過激派の正体を推理する。どんな殺され方をしたのかを想像し、誘拐を担当したオマル・シェイクの実像に迫り、その周辺でうごめく人々の思惑をさぐった果てに、ダニエル・パールの死の裏にある恐るべき陰謀を暴き出す。

 叙述にはレヴィの想像も多く含まれていて、事実かどうかが問われた時に違うと否定される可能性もあって、この本を純粋なルポルタージュと言うことは難しい。けれどもバングラデシュで闘い、ボスニアの悲劇をドキュメンタリーにして世界に訴えた、行動する論客の経験を拠り所にした想像は、真実にきわめて近いダニエル・パールの死の理由を描き出していると言って良い。

 隣国にあって、アフガニスタンに潜伏するアルカイダを支援した組織の存在。パキスタンで着々と開発されていた核兵器。北朝鮮とのつながり。世界をめぐり、関係者から話を聞きいた結果たどり着いた数々の点を、想像によって線で結んだところに見えて来たのは、世界平和への脅威が未だ失われず、命脈を保ちなおかつ勢力を拡大している、嘆かわしくも悲しい現実だ。

    「私は断言する。真のブラックホールは、イスラマバードとカタリのあいだにこそ存在する。それに比べればサダム・フセインのバグダッドなど、時代遅れの兵器の掃きだめでしかない。イスラマバードとカラチにはこの世の終末のにおいが漂っている。そして、それこそが、ダニーが嗅ぎとってしまったものだ」(下巻、278ページ)。

 だからダニエル・パールは殺された。本当か? おそらく本当なのだろう。ならばどうすべきなのか? ストラディバリウスの運命を追い、コカ・コーラのボトルの謎を調べ、コソボでNATOの嘘を暴き、スーダンでアメリカ軍の誤爆を最初に指摘した百戦錬磨のジャーナリストだったダニエル・パールが落ちた闇。バングラデシュで闘いボスニアで闘った論客でも近づけなかった深くて暗い闇を、光によって晴らすことは今すぐにはかなわない。10年経っても難しいかもしれない。

 けれどもここに結ばれた言葉から、開かれる未来は絶対にある。ダニエル・パールの死に端を発した論客の探求から生まれた世界への懐疑が、闇を晴らす無数の人々の行動となって実を結ぶ日はいつか必ず訪れる。カラチでのダニエル・パールの死も、イラクでの大勢の人々の死も、ニューヨークの摩天楼とともに散った命も、すべてが報われる時をたぐりよせるための決意を、この本からもらい、そして半歩で構わないから足を踏み出し、動き始めよう。


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