忘却のカナタ 探偵は忘れたころにやってくる

 ヤスダスズヒトが描くキャラクターの誰もがクールでスタイリッシュな上に、繰り広げられる物語がドライでちょっぴり殺伐としていて、読むほどに口中がカラカラに乾いてくる。そんな物語が新井輝による「忘却のカナタ 探偵は忘れた頃にやってくる」(ファンタジア文庫、600円)。読めば真っ当さとか真面目さとかから乖離した登場人物たちが巻き起こす喧噪に、引き込まれて自分の正義といったものが削れてくるはずだ。

 主人公らしき青年は、岬翼といういかにもボールが友達みたいな名前で、探偵をやるかたわら忘却社という会社の社長代行のようなこともやっていて、持ちこまれる事件を3日以内に解決しては、その事件の記憶をさっぱりと消してしまうという不思議な業務を遂行していた。

 ただし、会うには12階建てのビルの13階にあるという事務所まで行く必要があった。何かの謎かけのようでもあり、どこか異次元が絡んでいるようでもあるそんな事務所にたどり着いたひとりの少年が、さらわれてしまった知人の少女を助けたいと依頼したものの岬翼は留守にしていて、事務所には三倉咲夜というお嬢様で岬翼の知り合いらしい少女がいた。

 依頼人があれば現れるはずの岬翼が来ないまま、三倉咲夜はどうやら緊急事態だからと少年からある能力を使って目的地を探り出し、少年を伴ってさらわれたといいう少女を探しに行ったらそこには不良がいて、なおかつとてつもなく強い男まで現れ、咲夜の知り合いで胡蝶といいう名の武術使いもあしらわれてしまった。

 そこに遅れて登場の岬翼が、殴りかかってきた巨体の男を払っただけて両腕は折れ曲がり、方は外れて全身の骨格がバラバラに壊されてしまった。とてつもない強さ。なおかつ岬翼には不思議な力があって、人の意識に入り込んで記憶を殺す、すなわち消去することができた。

 忘却とはそういった能力の上に成り立っていて、さらわれ襲われた少女から事件の記憶はなくなり、ついでに助けを呼んだ少年との記憶もなくなってしまう。ちょっと切ない展開。でもそれが少女のためならば。

 そんな登場人物紹介めいたエピソードから始まって、物語は時間が戻って三倉咲夜がまだ岬翼と知り合う前、学校の同級生の少女につきまとっていたストーカーらしき存在をどうにかするため、噂になっていた忘却社を尋ねて行って岬翼と出会うエピソードが絵GKあれる。

 会うと少し前、三倉咲夜の屋敷の中に入り込んで咲夜の部屋をのぞく……のではなく、外から迷い込んだ猫を見つけて連れ帰ろうとしていた青年と同じ人間だと分かって、痴漢だと騒ぎつつもとりあえず岬翼の力を借り、同級生の少女の体操着がなくなったり誰かにつきまとわれているような事件の真相を暴く。

 それはとても自分勝手な思い込みから出たもので、犯人もまたボクシングの達人ではあったけれど、強かった岬翼にかなうことはなかったもよう。何しろ岬翼は裏の格闘技界で無敵を誇った女性を簡単に壊してしまったくらい。その女性は今は男装ホストをやっていて、その妹が三倉咲夜のボディガードだったりするという偶然にしては色濃い関係が見えてくる。理由はあるのかそれともフィクションならではのご都合主義か。続刊があればいずれ明らかにされるだろう。

 ストーカー事件は落着したかに見えて、暴力が策動していたのを密かにその妹の方がある方法でつぶしていたりするところもなかなかにダーク。決して正義とは言えないその振る舞いが、やがて浮かび上がっては三倉咲夜を戸惑わせ、岬翼との激突を生むことはあるのだろうか。彼がかつて社長だったという火村葉をどうにか退けて後も、本当に完全に脅威を排除できたのかが見えないこともあり、味方に見えて敵かも知れない関係を意識しつつ舞い込んで来る依頼をこなしていくようなストーリーが繰り広げられていきそうだ。

 妙に達観しつつ鈍いところもある三倉咲夜、戦えばとてつもなく強い上に何か秘密を隠していそうなボディガードの盾無真森、その姉で男装ホストの盾無真林、過去の記憶を消された状態で忘却社が入っている理容室に止まり、裸でうろつく火村葉といった女性陣に独特なキャラクターが大勢いる中、戦闘力と記憶に潜る能力を振るう岬翼が圧倒的で居続けられるのかも気にかかるところ。謎めいた少年も出てきて見えない展開の中、起こる事件に挑む岬翼と巻き込まれる三倉咲夜の関係を見ていきたい。


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