大暴風
MOTHER OF STORMS

 現存する工業新聞の題字を剽窃して、日々の雑感をネット上で垂れ流している輩がいるが、薄っぺらな内容と稚拙な日本語表現ゆえに、誰からも「新聞」としては認めてもらえず、人々の口に上る機会も滅多にない。だが緻密な取材によって情報を厚く積み重ね、それを流麗な言語表現によって伝えることが出来たとしたら、現存する工業新聞の題字を剽窃などしなくても、読者を集めることは十分に可能だろうし、購読料だって徴収できるかもしれない。

 配達する必要も、印刷する必要もなく、人々に情報を送り伝えることが出来るネットの世界では、昨日までの無名のジャーナリストが、明日には全世界から注目されるジャーナリストになることが出来る。ジョン・バーンズの「大暴風」(中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF、上下各720円)に登場するベルリナ・ジェームソンは、そんなネット社会の特徴を生かし、もちろん自分自身でも最大限に努力して、米合衆国の大統領からも一目おかれるジャーナリストへと成り上がった。

 「臭い話(スニッフィングス)」と題されたリポートで、彼女はまず、世界を大混乱に陥れようとしていた「大暴風」の脅威を伝えようとした。シベリア連邦への制裁を目的に投下された爆弾が、海底に溜まっていたメタンガスを大気中に大量に吹き上げた結果、気温と水温が急上昇している。やがて夏が来て、暑さが最高潮に達した時、かつて人類が体験したことのない巨大なハリケーンが訪れる可能性がある。務めていた会社をクビになった彼女が、功名心と幾ばくかのジャーナリスト魂を糧に、地を這うようにして掴んだ情報をリポートにまとめてネット上に流した時から、彼女の成功への道程が始まった。

 XVネットという感覚や感情を多数の人々が共有できる新しいネットワークシステムが浸透した社会にあって、ベルリナ・ジェームソンはカメラの前に立ってリポートするという、ウォルター・クロンカイトの時代からのテレビ的手法を用いて「臭い話」を作り、ネットワークを通じて全世界に公開した。

 「大暴風」の可能性を指摘した気象学者のダイ・カラールや、他の企業を探って一歩早く特許を手に入れて金を稼ぐゲートテック社へのインタビューを通じて、ベルリナ・ジェームソンは次々とスクープをものにする。津波にも匹敵する高さに達する高潮を易々と引き起こす巨大なハリケーンの恐怖や、世界中が水浸しとなるなかで、地球を助ける希望を唯一残したシベリアのロケット基地にまつわる”臭い”話等々。いつしか彼女はリポートの購読料によって相当の金持ちになっていた。

 「大暴風」をベルリナ・ジェームソンという1登場人物の視点から見ることによって、読者はネットワーク社会におけるジャーナリズムの新手法と、その手法がもたらす成功や混乱の様子をシミュレートすることができる。だが「大暴風」は、何もベルリナ・ジェームソンの成功の道筋を歌い上げた成功物語では決してない。ベルリナ・ジェームソンは、人間の愚かな行いがもたらした「大暴風」という脅威に、人間がどう立ち向かっていこうとしたかを描く時に必要とされた、1片のピースでしかない。

 「大暴風」に登場する他の人々、XV女優のメアリー・アン・ウォーターハウスやゲートテック社の敏腕社長ジョン・クリーグ、「おばあちゃん大統領」のブリタニー・リン・ハードショー、XVポルノの被害者となった少女の敵を討つべく犯人を付けねらうランディ・ハウスホルダー等など。様々なピースがそれぞれの立場で「大暴風」の脅威を受けとめ、「大暴風」に立ち向かっていく様を、重層的かつ多角的に捉えることによって、作者のジョン・バーンズは、「大暴風」という未曾有の災厄の全貌を描き出すことに成功している。

 ジャーナリストの端くれが、ベルリナ・ジェームソンに感情移入して物語を読んでいったように、ある人は資本主義社会の恩恵に最大限預かろうとするゲートテック社のジョン・クリーグの姿に自分を重ね合わせて「大暴風」の脅威から利を得ようと画策しても良い。あるいはメアリー・アン・ウォーターハウス「芸名シンシ・ベンチャー」のように、他人を慰撫することに疲れ切った毎日から逃れた先で出会った、純粋な少年に惹かれていってしまう気持ちに共感すれば良い。結論として立ち現れる、人類が1つにまとまることへの熱い思いを受けとめられるのならば、そこに至るプロセスなど関係ない。

 バーチャル・リアリティーのネットワークにコンピューターへの意識の転嫁、さらには「大暴風」を鎮めるための宇宙的規模の大作戦など、SF的なガジェットには事欠かない。無駄遣いという言葉は適切ではないが、例えばXVなら、生体コンピューターならそれだけて1つのSFのテーマとなりうるガジェットを、「大暴風」というアイディアを人類の団結という物語へと発展させる上で、まるでアクセサリーか踏み石のように使い倒している。もったいないというより他はないが、これなどは貧乏性のなせる技。情報に貪欲なくせに吝嗇なキャラクターでは、ベルリナ・ジェームソンのような成功は、およそ絶対に不可能なようだ。


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