僕が答える君の謎解き 明神凛音は間違えない

 分かってしまう探偵というのは過去の作品から探すなら、京極夏彦による百鬼夜行シリーズに登場する榎木津礼二郎がひとりいて、現場を見もしないで話を聞いただけで誰が犯人か、あるいは何が真相かを言い当てては、中善寺秋彦だの関口巽だのといった凡人たちの演繹的な推理を無駄にしてしまう。

 あるいは、朝霧カフカによる「文豪ストレイドッグス」の江戸川乱歩が、その異能らしき“超推理”によって事件の真相を即座に言い当ててしまうけれど、そんな榎木津であったり乱歩といった名探偵たちが、どうして即座に真相を言い当ててしまうかは、どちらかといえば直感というより霊感の類に近いところがあって、結論までのプロセスは“自明の理”としてすっ飛ばされている。

 とはいえ、そうした“忠告”から真実を絞り込んだ上で帰納的に動機を探り、アリバイがあってもないものとして崩し方を考え、証拠を探って摘発に持ち込めればいちいち捜査する手間も省ける。現実に存在すれば便利に活用されていた力かもしれない。怖いのは、結論ありきで証拠が見つからない場合、無理にでも証拠を仕立て上げかねないという点で、もはや潔白を証明するのは無理だと諦めて、自白してしまいかねないところが、えん罪を生み出す余地を残す。

 だから、伊呂波透矢は証拠と推理を重視した。紙城境介による「僕が答える君の謎解き 明神凛音は間違えない」(星海社FICTIONS、1350円)に登場する高校生の少年で、クラスメートの明神凛音という少女が、さまざまな事態に推理をすっとばして結論を出してしまうところに割って入って、動機から証拠から順序立てて推論を組み立て演繹的にも正しい犯人捜しを行おうとする。

 稟音の超推理ぶりは、それこそ「文豪ストレイドッグス」の乱歩なみにすさまじく、とある女子生徒が彼氏にもらった指輪を盗られたという相談でも、机の上に落書きが描かれていたという現象からでも、瞬時に判断してし誰がやったかなんて自明の理とばかりに犯人を指摘してしまう。それは極めて正解なんだけれど、問題は、凛音自身にもどうしてそういう結論に至ったのか分からないことだ。

 それで、落書きをした同級生にげんこつを落としてしまったことから、弁護士を目指しているという伊呂波透矢は推定無罪の相手を殴ってはいけないと凛音を止めた。そのことによって凛音が拗ねて、教室に出てこず保健室登校めいた状況になってしまったこともあって、同じ学校でカウンセラーを務める凜音の姉から凜音が行う超推理を証明するよう命令される。

 自分のせいだということもあって始めた伊呂波の推理。それは単なる霊感に理由を付けるのではなく、落書きが書かれたシチュエーションを元にしっかり証拠を固めて凛音が何を見てどう考え、真相に瞬時にたどり着いたかを言い当てる。結論ありきで考えたくなるところを、状況から推測して何が凜音の推理の琴線を刺激して、そういう結論へと至らせたかを解析する必要がある点がユニークだ。

 凜音の才能は、公式を覚えてさいえいれば、数学の問題なんて途中式を書かずに解答してしまいそうだし、翻訳エンジンさえ頭に入っていれば語学だって、あっという間にマスターしそう。逆に、過程を理解できないうちは、結論には絶対に至らない。そうした条件があるからこそ、同じ情報をもたらされる読者も伊呂波と同じ立場で、推理の手順を構築する楽しみを味わえる。

 とはいえ、やはり結論が先に分かってしまうと、引っ張られてしまうというのも人情だ。そうした誘いや迷いを排除し、感情から意図的に排除したくなる要素もしっかり含めて冷静に、冷酷に判断していかないと、凜音が瞬時にたどり着いて思い描いたとある状況を、勘案せずにスルーしてしまう可能性もある。大人びていても高校生はやはり子供なのだから。

 そういう部分の至らなさを埋めて、伊呂波は凛音のあらゆる瞬間の推理に追いついていけるのか。伊呂波にツンデレ気味にちょっかいを出す虹ヶ峰亜衣の感情も絡んでもつれながら進んでいく展開の先に、どんな事件が待ち受けているかを楽しみにしながら、まずは凜音からの挑戦ともいえる超推理の理由付けに挑んでみてはどうだろう。


積ん読パラダイスへ戻る