僕が愛したすべての君へ  君を愛したひとりの僕へ

 どっちから読むべきなのかに迷い、通し番号の順でJA1233の「僕が愛したすべての君へ」(ハヤカワ文庫JA、620円)からまず読んで、続いてJA1234の「君を愛したひとりの僕へ」(ハヤカワ文庫JA、620円)を読むのが良いのかもしれないと考え、その順番で読んだ乙野四方字による早川書房初進出の2冊。

 ずっと滞りなく一直線に続いているように思われがちな人生という奴だけれど、実は平行世界が存在していて、誰もがちょっとづつそうした世界線をズレながら人生を送っていたことが判明する。そんな現象の渦中にあった少年が、少女“たち”と出会う物語。それがこの2冊に共通して言えることかもしれない。

 主人公はどちらも高崎暦という男子。まず「僕が愛したすべての君へ」の中で彼は瀧川和音という少女と出会う。最初はクラスメートとして接し、まるで接点がなかったものが相手の身の上に起こったことを解き明かす、といった口実で、徐々に関係を深めていく中で問題が発生する。

 いつしかつきあうようになった暦と和音だけれど、目の前にいる和音が昨日告白した和音ではなく、ズレて別の世界から来た和音だったとしても、果たして自分は彼女を好きでいられるのか。その間には、朝食にパンを食べるかご飯を食べるかの違いしかないのかもしれないけれど、それでも人は同じと言えるのか。

 遠く離れて経験や記憶が大きくズレてしまっているなら逡巡もしよう。けれどもこの場合は、記憶も経験もだいたい同じで、相手も違いを気にしていないなら、同じ人間だといって済ませて悪い話ではない。それなのに違っているという、その1点が心にとてつもなく深く刺さって高崎暦を迷わせる。

 もしかしたら世界は、本当に日々少しづつズレていて、そんな間を誰もが行ったり来たりしているのかもしれない。あったはずのものが消えたとか、覚えているはずのことを忘れたとかいった現象は、朝食がパンからご飯にズレたようなちょっとした違いによるもの。それを、そういうものだと消化していただけだったのかもしれない。

 昨日の彼女と今日の彼女とが違っているかもしれない、という疑念もだから、平行世界が存在するということを知らなければ起こらなかっただろう。けれども高崎暦は、そして世界の人々は知ってしまった。それを認識するようになってしまった。だからこそ起こる懊悩が高崎暦を捉え、逡巡させた果てに、まさしく「僕が愛したすべての君へ」といったタイトルにふさわしい解決の道が示される。

 さらにもうひとつ、大きく離てズレも大きくなる平行世界で起こった事態が、暦を激しく迷わせる。それはやはり我が事なのか。ちょっとだけズレた彼女が彼女ではないと感じるのなら、まったく無関係だと言えるのか。たとえどこかで自分が、あるいは最愛の誰かが悲劇に見舞われていても、それに同情するべきなのか。

 平行世界が存在する世界だからこそ起こりえる種々の問題を噛みしめつつ、自分ならどうしたのかを考える。「僕が愛したすべての君へ」はそんな物語になっている。

 まずそちらを読み終えて、平行世界というものの存在を知り、遠く離れれば何が起こるかも知った上で読むことになる「君を愛したひとりの僕へ」は、どちらかといえばハッピーな展開に彩られていた「僕が愛したすべての君へ」とは正反対に、どことなく暗鬱とした展開が繰り広げられる。

 同じ高崎暦が歩む人生は、「僕が愛したすべての君へ」とはまるで違っている。まず和音は出てこない。違う少女が出てきてそして、彼女に絡んで暦が背負うことになった後悔を晴らすために、すべてをかけて挑む様子が綴られる。

 そこにあるのは、平行世界という存在を移動するだけでなく、過去に戻って後悔の根を断とうとするための方策を探る展開。科学的設定によって時空を超える可能性が示される部分に、SFとしての味を感じる。

 興味深いのは、暦が全人生をかけて取り組んだことが果たして有効なのか否かといったこと。ひとりを愛しようとした高崎暦の人生につきあわせた誰かもまた、幸せだったのかもしれない。そう思うと、狂気と紙一重の執着が無駄に終わらなかった可能性が浮かんで、ホッと胸をなで下ろしたくなる。

 読み終えて見えてくる、2つの物語の重なり。いつ刻み込まれたのか分からないメッセージに従って、交差点に行った老人となった暦を待っていたのは? その身に起こったこととは? 読む順が逆ならそれを分かった上で起こる出来事を追体験することになる訳で、それで得られる感動はどうなんだろうかと考えてみたくなる。そういう読み方をした人の感想を待ちたい。

 同じようなタイトルの2冊がセットになった作品なら、入間人間の「昨日は彼女も恋してた」と「明日も彼女は恋をする」があって、これもパラドックスの問題に挑む時間SFだけれど、順番どおりに読んでいかなくてはいけないところはタイプが違う。ただ、裏表のような関係の2冊を揃えて出して、共に読ませる力量をライトノベル出身の作家が共に持っていることを確認できる意味でも、合わせ読んでおきたい作品だ。


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