ウィーン薔薇の騎士物語1
…仮面の暗殺者…


 「本能寺で部下の明智光秀によって殺害された……」「織田信長っ!」「戦国武将は織田信長でしたが、その信長の部下で後に大阪城をたてて天下を統一した……」「豊臣秀吉ーっ!!」「武将に豊臣秀吉がいました。さて秀吉の馬印になっている……」「ケッ、瓢箪だろう」「瓢箪をマークに入れた名古屋名産のドラ焼き風お菓子……」「『千成り』だぁ、ゼエゼエ」「に『千成り』がありますが、私はつぶあんとこしあんのどちらの『千成り』が好きでしょう」「…………」。

 答えは実は奇妙にも赤い餡の入った奴だったりするが、本編とはまったく関係がない話なので『千成り』が何かという説明は割愛して、問題にしたいのは、世の中にはこんな風に物事を早とちりする人が結構いるということで、且つこうした人間の早とちりは、時にドラマティックな展開を生み、時に人間の豪の深さを表し、時に世知辛い世間を洒落のめす素材として物語などに盛り込まれては、読む人間を楽しませている。例えば高野史緒の「ウィーン原の騎士物語1 仮面の暗殺者」(中央公論社、857円)では、重層化・複合化した早とちりが生み出すシチュエーションの滑稽さが、気分を和ませてくれる。

 「ムジカ・マキーナ」「カント・アンジェリコ」と近世ヨーロッパを舞台にした流麗にして幻想的な物語を発表し、また「架空の王国」のように華麗にして躍動的な物語を発表しては、その都度プロの小説読みたちをうならせて来た高野史緒が、新たに「ノベルズ」を戦場に選んで紡ぎ始めた”美少年たち”を主役に据えた物語。何故また急に? という疑問には「ウィーン原の騎士物語1 仮面の暗殺者」に所収のあとがきから、「もっと多くの読者に読んで欲しいという気持ち」を理由として抜き書きしてするとして、肝心の本編がデビュー以来のファンも、ファンタジックなノベルズに慣れ親しんでいる読者も、引き込み離さずにいられるかを見る必要があるだろう。

 主人公の少年、名をフランツ・カール・フォン・ローゼンカヴァリエと言う貴族の子供が音楽の都、ウィーンにバイオリンを手にして現れた場面から物語は幕を開ける。家にいれば上級ギナジウムから大学へと進んで何不自由なく暮らしていくことの出来るフランツだったが、小さい頃から親しんだ音楽に結構な才を見せ、何より音楽を愛する気持ちを強く持っていたことから、親の望む進路からドロップアウトして、音楽で身を立てるべくウィーンへとやって来たのだった。

 少年だけの弦楽4重奏を作ってオーストリアの皇太子に取り入りたい、栄達したいと願うオーケストラの楽長の眼鏡にかなって、フランツはジルバーマン楽団に入団する。しかしある夜、通路で不審な男女が、「薔薇の騎士(ローゼンカヴァリエ)」なるコードネームを持った皇太子を暗殺する計画について話している場面に出くわし、愛国者としての少年の心を大きく揺るがす。

 「マリアンデル」なる暗殺者の存在を知ったフランツに、「マリアンデル」なる女性のサインが入った手紙を同じ楽団の少年が仲介していたとの情報が伝わり、ジルバーマン楽長が「薔薇の騎士作戦」なる最高機密の作戦を練っていたことも伝わって来る。そんな情報に惑わされたフランツのちょっとした早とちりの積み重ねが、別の人間の早とちりと交じり合っておそろしく複雑で、かつおかしな状況をウィーンの社交界に作り出す。そして誰もが疑心暗鬼となる中で、いよいよその日がやって来る。

 助平な中年貴族のオックス男爵と結婚させられそうになった成金貴族の娘、ゾフィに一目惚れした美少年のオクタヴィアンが、愛人関係にあったヴェルデンベルク元帥夫人の寵愛を振り切り、女装してオックス男爵を誘惑してその様をゾフィたちに見せ、婚約を破局に追い込もうとするリヒャルト・シュトラウスのオペラ「薔薇の騎士」の骨となるストーリーを、オペラでは18世紀半ばだった時代を1885年に代えて盛り込んだ上で、夢みるフランツ少年の頑張りぶりとその空回りぶりを描いていて、緊迫と笑いのうねりに読者を浸らせてくれる。

 オクタヴィアン・フォン・ロフラーノ伯爵の「マリアンデル」姿はオペラ「薔薇の騎士」での醍醐味になっているのだろうが、イラストを担当する瀬口恵子の描く「マリアンデル」の麗しさに惹かれても、フランツ少年を主役に据えた物語では、滑稽だけれどもひたむきなオクタヴィアンの活躍は彼の心理描写も含めてそれほど目立たず、少しばかり残念な気持ちが沸いてくる。同じくオペラの見せ場にもなるヴェルデンベルク元帥夫人の気っ風の良さも、本編では前へと出て来ず、折角のキャラなのにともったいない気分にかられる。

 早とりちの複合化、重層化が生み出す滑稽なシチュエーションを楽しむ一種の「笑話」と思って読むことで、多すぎるキャラに割り当てられた役所の少なさにも、キャラで楽しむ話ではないのかもしれないと納得できる。それにしては余りにも魅力的なキャラクターたちに、もっとドラマティックな展開を期待したくなるのも人情だ。贅沢を承知で言うならば、繰り広げられる陰謀の浅薄さ、フランツが叩き込まれた境遇の微温ぶりが、キャラクターの魅力に高まった物語への期待にそぐわない感じがした。

 が、著者にとっても初のノベルズ。「まだマニアックさと硬さは残るかもしれ」ないとの自覚も「もっと登場人物に活躍してもらいたい」との願望も持っているだけに、今後は物語の構造でもキャラクター描写の面でも、磨きをかけて爆発して行ってくれるだろう。栄華から退廃へと向かっている世紀末のウィーンを舞台に、まだ3人しか揃っていない「薔薇の騎士作戦」の成り行きや、新たなる陰謀の予感に胸躍らせつつ、期待して続卷を待ちたい。1冊で早とちりはしないよ。


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