バラ迷宮
◎二階堂蘭子推理集

 すべてが解きあかされる瞬間の喜びを得るために、壮大な物語をふうふう言いながら読み進んでいく長編推理小説も好きですが、最小限の物語と最小限のトリックで、最大限の驚きを与えようと作家が渾身の力を振るった短編推理小説も大好きです。

 たとえ原稿用紙で10枚に満たない作品であっても、そこに物語がなければ、読み通すには苦痛を感じます。かといってトリックが弱ければ、その短さ故に読者にインパクトを与えません。物語とトリックの配分の妙があってこそ、短編推理小説の良さが生きてくるのだと思います。

 二階堂黎人さんの「バラ迷宮」(講談社ノベルズ、780円)は、美貌の探偵「二階堂蘭子」を主人公に据えた短編6作品が収録された作品集です。「二階堂蘭子推理集」と銘打たれているように、戦前のまだどこかに妖しげな雰囲気を残した日本や、戦後のまだ激しい混乱が続いている日本で起こった不思議な事件の数々を、それから何10年も経った昭和40年代の、急速に成長を続けている日本に生きている現代っ子の二階堂蘭子が、鋭い推理で次々と解決していく作品が、中心に収められています。

 例えば冒頭に収められた「サーカスの怪人」では、懐かしくも不気味なイメージを持つ「サーカス」という空間に、突如出現したバラバラ死体の謎を鮮やかに解決して見せます。内圧を高めることで、わずかな柱で天井を持ち上げられるようにしたテントの中に、突如バラバラ死体が出現する理由を蘭子が看過した瞬間、犯人の顔とその思いが本の中からほとばしって来て、短いけれど大変重い物語りが紡ぎ出されます。

 今はもうほとんど見ることのなくなった「サーカス」は、ためにステレオタイプな「不気味」というイメージで語られるケースが増えています。蘭子自身も事件を解きあかした後に、「サーカスという大舞台は、私たちの住む通常の空間とは隔絶された、稚気溢れる、子鬼の戯れる異空間なのです。だからこそ、そこではどんな諧謔的な出来事が起こっても、決しては不思議ではないわけですよね・・・」と、サーカスの不思議に言及します。

 けれども「不気味」な場所の「不気味」な事件であっても、人間が関わる事件である以上、真相は決して超常的なものではあり得ません。蘭子の言葉にも、「だからとって私に解けない謎はない」という自信が、潜んでいるような気がしてなりません。

 実際、人間が燃え上がる謎を追った「火炎の魔」では、眼前でめらめらと燃えながら崩れ落ちる人間の姿を見ても、それを決してオカルトのなせる技とはとらえません。洞察と観察によって真相をとらえ、背後にあるハイテク、と言っても昭和40年代のそれですが、人体炎上に必要だった技術を暴き出して、颯爽と殺人を告発します。再び眼前で燃え上がった人間をみても、いささかも動じることなく次なる真相を解明してみせる胆力には、やはり驚かされますが。

 別荘地で突如発生した連続惨殺事件を取り上げた「喰顔鬼」は、その猟奇的なモチーフが懐かしい乱歩や正史の時代の推理小説を思い出させてくれます。田舎に隠遁したまま姿を見せなくなった芸術家とその妻の安否を気遣って、画商をしている妻の兄が蘭子たちを伴って別荘地へと向かう場面から、物語は始まります。蘭子の厳しい問いかけに、芸術家は一行を屋敷の中へと入れますが、やがて画商は首なし死体で発見されてしまいます。そして、意に沿わぬ婚姻と、裏切りへの復讐心が生み出した「喰顔鬼」の真相に気づき、首なし死体の謎を解き明かした蘭子たちにも、「喰顔鬼」の魔手が迫ります。

 残酷な結末を経て、凛とした顔で蘭子が「死はあらゆるものに平等だった」とつぶやく場面があります。20歳そこそこの女性が発する言葉とは思えないほどの諦観で、どうしてそこまで醒めた視線を世の中に送り続けていられるのかを、探ってみたい気になります。それから、特定の疾病に対する偏見めいたところがあって少しばかり気がかりです。小説の効果として必然的に用いられたものであり、また実際にありうる症状でもあるため、仕方がないところなのでしょう。

 収められた短編のなかでもっとも長い「薔薇の家の殺人」は、「サーカスの怪人」と同じように、何十年も前に起こった事件の真相を、現場を見ることなく(見ることは不可能です)、関係者からの情報によって解明することに成功します。コップの中に毒を仕込んだ方法からは、丸まったストローのさやで遊んだ子供の頃を思い出しましたが、実はありきたりの技術でも、複雑な人間関係の間でおこった事件の真相に思考をめぐらせている時には、なかなか思いつくことはできません。

 豊富な知識と、そして鋭敏な直感力が蘭子をして昔の事件の真相(第1と、そして第2の)にたどり着かせているのでしょう。もっとも他の事件では、諦観とも傲慢とも思える態度で事件の犯人達に鉄槌を下す蘭子ですが、「薔薇の家の殺人」では、彼女らしからぬ気遣いを見せて、真相を1時棚上げします。

 それまでの短編で、蘭子のあまりにも醒めた態度にやや懐疑的になっていたものが、最後の短編の結末で見せた心の優しさに接して、彼女の強さが決して犯罪を高みから観察した客観的な立場によるものではなく、犯罪は絶対に許さないという内在的な感情によるものであったことが解りました。1つの顔を押し通すことの多い長編と違って、様々な顔を様々な事件を通して見せてくれるのが、こうした短編集の良さであり面白さであると言えるでしょう。

 二階堂蘭子のシリーズで最大長編となる「人狼城の恐怖」は、未だ蘭子が登場せぬまま、第1部の凄惨な結末のままで留め置かれています。著者のプロフィールによれば、この春に3部作は完結するとありますから、短編集で鮮やかな手際の数々を堪能したそのすぐ後で、複雑に絡み合った恐怖の事件の真相にも接することが出来るようです。今から春が楽しみです。


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