青と黒の境界線

 雨女vs晴男、といったらどこかのテレビ番組「ほこ×たて」ではないけれど、対決させてみてどちらが強いかを知りたいところ。テレビ番組でも実際にそんな対決を行ってみせたようだけれど、科学的な根拠もなければ統計学的に有意かを検証した訳でもない、気分だけで集まった“自称”に過ぎない雨女や晴男の対決だけに、結果を素直に信じることはできない。

 その点で言うなら久楽美月の「青と黒の境界線」(電撃文庫、590円)に登場する雨女は世界公認。1993年にある工業都市で起こった事故をきっかけにして、世界では降雨量が激減してしまう。そして、ある人間が居るところだけに雨が降る「雨女」の存在が確認されるようになった。

 人間にとって、それどころかあらゆる生命にとって雨は命の源。その雨を降らせる雨女は、世界の命運を握る貴重な存在となっていき、当初は雨女を巡る戦いが幾度ともなく繰り広げられた。やがて雨女は、政府の中でも水についての権限を握る水道局によって囲われるようになり、都市を運営する上での要とされていった。

 もっとも、そうした政府に肩入れして庶民を蔑ろにするような立場を嫌って反旗を翻す雨女も。当代の雨女として雨を呼ぶ力と、強大なパワーを持ったジュビアという少女もまた、水道局の監視から逃げ出して世界をさすらっていた。

 そんな背景を得ながら物語は、アスールという名の男がトラックにヒッチハイクして、商業都市オランジュへと向かおうとするところから始まる。彼は雨女ならぬ晴男。どこに行こうとも決して雨などに降られることはない。そして、生まれ持った驚くべきパワーを発揮して、荷物を軽々と荷台に積み込み、その代わりとしてトラックに載せてもらってオランジュの街へと辿り着く。

 そのオランジュでアスールは、何者かによって追われるジュビアという名の少女と出会い、いったんは擦れ違いながらもさらに追われ続けていたジュビアと再会して、彼女こそが探し求めていた雨女だと知る。晴男の自分が雨女に出会えば世界が変わる。そんな伝説を信じ自分の運命を変えたいと雨女を追い求めていたアスールにとって、願いがかなった瞬間だった。

 にも関わらずジュビアにも、アスールにも世界にも何も起こらない。というより雨がしとしとと降り続け、晴男としてのアスールの力はまるで発揮されない。というよりほとんど偽物扱いされてしまう。「ほこ×たて」ならば拮抗する矛盾が生じるはずなのに、雨は止まずアスールは持っていた力を半ば失う。

 そんな弱い人間が晴男であるはずがないと思われるのが普通だけれど、普段は強大な力を持ちながらも、雨の中では力を発揮できないことが普通の人間ではない証拠。そのこともあってアスールはジュビアの誤解や猜疑を晴らし、前に乗ってきたトラックの運転手を巻きこむようにして街を脱出して、アスールの知り合いがいる情報都市キュアノエイデスへと向かう。

 水道局が派遣した凄腕のエージェントたちを相手に戦い抜いて、どういかこうにか辿り着いたキュアノエイデスでも水道局の追っ手が迫る。もはやこれまで? けれどもジュビアは諦めず、というより街に置かれた銅像などから過去の雨女たちの運命を知った今、自分が諦めるなんてことはできないと奮いたって立ち向かう。そしてアスールも、晴男としての存在を改めて世に訴えて当面の戦いにケリをつける。

 降雨量のちょっとした変化で気候が変わり、作物の生育に影響が出て、それが原因で人類が死に絶えることもあるのがこの地球。それだけに、雨女のいるところだけ集中的に雨が降るような世界が存在し得るのか、といった疑問は浮かぶ。そもそもがどういう仕掛けで雨女が生まれ、晴男も生まれてその能力が受け継がれていくのかといった説明もない。だから厳密な科学考証を元にしたSFとして見ることは難しい。

 ただ、そうした世界が成り立ち、そうした存在があり得たとして、いったいどんなシチュエーションが立ち上がり、そでどんなドラマが繰り広げられるのか、といった思考実験を楽しめる物語であることは確か。それぞれが雨女であり晴男であったジュビアとアスールが出会いながら、何も起こらなかったことの説明もまだされていない。これからのストーリーがあったとして、探求される部分になるだろう。

 だとしたら、いったい2人にはどんな運命が待ち受けているのか。世界にはどんな未来がやって来るのか。愛想が良く正義感にあふれたトラック運転手の活躍や、アスールを追いジュビアを追う水道局の凄腕2人との対決の行方など、楽しみなところも数多い。だからこそ願う。この続きを。世界に平穏が訪れ、ジュビアが炭水化物×炭水化物という驚異のフード、ナポリタンドッグを好きなだけ頬張れる時が来ることを。


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