青い砂漠のエチカ

 2021年3月22日にNHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル』の冒頭。『シン・エヴァンゲリオン劇場版」の庵野秀明総監督がスマートフォン手に階段を駆け上がったり、駆け下りたりする場面が登場した。場所は、山口県宇部市にあるJR西日本宇部線の宇部新川駅。ここが、映画のストーリー上とても重要なシーンに登場して、自分もそこに立ってみたいと思わせる。

 宇部市は庵野総監督が生まれ育った街だ。宇部高校を卒業して大阪芸術大学へと進んだ庵野総監督は、仲間内でのアニメや特撮の制作で手腕を発揮。東京に出て「王立宇宙軍 オネアミスの翼」や「ふしぎの海のナディア」といった作品に関わり、1995年放送の『新世紀エヴァンゲリオン」で国民的な認知を得た。

 都会の水に慣れた今も、宇部市には強い思い入れがあるのだろうか。最新作の「シン・下ヴァンゲリオン劇場版」に登場させただけでなく、「エヴァ」のTVシリーズや「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air//まごころを、君に」を送り出した後、宇部市を舞台に実写映画「式日」を撮った。観れば鉄道が走り、海辺に大きな工場が建っていて、それほど高くないビルや商店が並ぶ小都市だと分かる。

 そこに暮らしている人たちは、庵野秀明というクリエイターにどのような思い入れを持っているのだろう? 「宇部が誇る庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』」。庵野総監督と同じ宇部市出身の高島雄哉による小説「青い砂漠のエチカ」(星海社FICTIONS、1450円)に出てくるこの言葉が、宇部市の若い世代の感覚を表しているのかもしれない。

 作中の時間は2045年で、テレビシリーズの放送から半世紀が過ぎているが、NHKが取り上げるほどの存在になった庵野総監督や、「エヴァ」という作品が、その頃まで人気を保ち続けていて不思議はない。

 高島雄哉は、「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」などに参加した実績を持つSF考証家だ。未来の技術や社会を想定してクリエイターに伝え、作品にリアル感を与える重要な役割を担ってきた。その感覚が、今から四半世紀後でも、宇部市の高校生がパワードスーツ部の発表物として、「エヴァ」からとった「零号機」「初号機」「弐号機」と名付けたパワードスーツを作っていると考えたのなら、きっとそのようになっていくのだろう。

 ここで、高校生がパワードスーツを作るなんてと驚くのは早計だ。2045年の宇部市は、というより世界はXR技術が一般化しているのだ。2021年の世界は、新型コロナウイルス感染症の影響で、会社に行けなくなった人たちが家でリモートワークをしている。そして、「青い砂漠のエチカ」に書かれた20年後の世界では、蔓延した〈致死性複合感染症〉に罹らないようにするために、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)の技術を使って、生徒が家にいながら授業を受けられるようになっている。

 完全リモートではなく、感染リスクのレベルが低い日は普通に出歩き、登校することも可能。XR用のメガネやコンタクトレンズといったデバイスを介して、リアルとバーチャルが重なるようになっていて、教室で授業を受けている生徒と、VR登校している生徒が仮想空間で共存できる。クラスメイトどうしで会話したり、一緒に部活動したりもできるからこれは便利。コロナ後の社会状況をイメージさせる描写だ。

 便利だからこその問題も起こる。デバイスに介入することで現実には存在しないものを見せられるからだ。宇部岬高校に進学した時田砂漠という少年が、入学式で遭遇した事態も、そうしたハッキングによるものだった。体育館に車が飛び込んで来て、男がナイフを振り回して暴れ、国も認める天才少女、鳴神叡智花の首をかき切るビジョンを無理矢理に見せられた。

 この事件も含めて相次いで起こる〈拡張テロ〉や、仮想世界が絡んだ謎にリアル世界にいる砂漠と、主にバーチャル世界から参加する叡智花が挑む学園ミステリ的なストーリーが繰り広げられる。同時に、アフターパンデミックの世界が、XR技術の高度化を経てどのような社会になっているかを想像させてくれるSFにもなっている。

 「青い砂漠のエチカ」では、現実世界と重なった仮想世界のレイヤーに仕掛けを施しておくことで、現実世界を移動した先々で仮想世界にアクセスし、密室ゲームのような謎解きに挑むエピソードが登場する。読むと、XR時代の社会を想像しやすくなるだろう。

 「零号機」や「初号機」と名付けられた学生制作のパワードスーツにもユニークな機能が盛り込まれている。〈拡張テロ〉でハッキングされ、大集団を作って人間を襲撃し始めたドローンに、砂漠はパワードスーツを着こみ、合気道の経験を持つ叡智花の遠隔操作を受けながら立ち向かうのだ。未来的な二人羽織と言えば楽しげだが、これはデバイスや視聴覚を乗っ取り〈拡張テロ〉を起こす可能性があることも、同時に示している。

 仮想空間に分身となるアバターで参加している誰かは、本当に実在しているのかという問題もある。AIが個人の言動を記録してアバターを操作していても気づかないからだ。もしかしたら叡智花にもそんな可能性があるのか? 疑問は尽きない。とはいえ、「入学式のこと調べちょるん?」と山口弁で砂漠に話しかけ、以後も濃い山口弁で喋り続ける叡智花というキャラクターは空前絶後に愛らしく、実在していて欲しいと思わせる。

 そんな叡智花と砂漠とが、アニメなり実写映画になって動き喋ったら、とてつもないインパクトがあるだろう。宇部市が誇る偉大な庵野秀明監督に、ぜひとも手がけて欲しいところだ。


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