アニメと生命と放浪と 〜「アトム」「タッチ」「銀河鉄道の夜」を流れる表現の系譜〜

 2012年7月7日。幾度かの制作中断といった紆余曲折を経て完成し、公開された杉井ギサブロー監督による長編アニメーション映画「グスコーブドリの伝記」を見て、いったい人はどういった感想を抱くだろう。

 宮沢賢治の原作ならば、ブドリは自分を犠牲にして、カルボナード火山にひとり残って火山の噴火に何らかの役割を果たし、冷え込みつつあった世界を温かくして、大勢の人たちを飢饉から救う。そこから浮かぶのは、崇高な自己犠牲の精神。映画でキャラクター原案を務めたますむらひろしによる漫画でも、その捉え方は大きくは変わっていない。読んだ人はともにブドリの強さと優しさに感動して、涙したはずだ。

 けれども映画では、原作を読んで感じるような明確な自己犠牲の姿、言い方を変えれば特攻と例えられそうな言動を、ブドリが選び見せることはなかった。苦悩するブドリの前に現れる子取り。その輝くマントに取り込まれるブドリ。その後、クーボー博士を演じる柄本明による、世界が救われたというナレーションが流れて、映画「グスコーブドリの伝記」は終わる。

 感動を盛り上げ、感涙を呼び起こすような描写はそこにはない。誰もが知る壮絶なクライマックスで涙を流そうと準備していた人たちは、目の前で“ご馳走”を取り上げられたような戸惑いを覚えることになるだろう。そうでなくても、どこか肩すかしを食らったような感覚、もしくは駆け足でまとめ上げられたような感覚を味わいそうだ。

 一生に刻まれるような物語にしたいなら、クライマックスに当然行うだろう感動に感動を重ねるような演出を、杉井ギサブロー監督が映画「グスコーブドリの伝記」で廃した意図は、どこにあったのか。杉井ギサブロー監督が、アニメーションに携わってきた生涯を語り下ろした「アニメと生命と放浪と 〜『アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』を流れる表現の系譜〜」(ワニブックスPLUS新書、800円)の中に、その理由の一端が示されている。

 2011年3月11日に東北を、日本を襲った未曾有の大震災。それを経てなお切迫する危機を煽り、あの恐怖を思い出させるような描写は避けるしかなかったと、杉井ギサブロー監督は話す。結果、切迫に怯えさせ、そこから開放へとつなげて感動を引っ張り出すような描写はなくなった。可愛そうだという同情と、よくやったという賞賛に浸る術を観客は奪われた。

 もっとも、自らが犠牲になる恍惚感にはどうしても、誰かを犠牲にする罪悪感がつきまとう。それを誰にも抱かせることなく、かといって誰かのために何かをする尊さはしっかりと示して見せることは出来ていた。ひとつの明確を避けることによって、幻想性が全編を覆うようになって、史実としての伝記を、架空の英雄譚へと昇華せしめた。それが、杉井ギサブロー監督による映画「グスコーブドリの伝記」だったと言えるのではないか。

 最初のプランにこだわって貫き通すより、状況を鑑みて柔軟に対応するのが演出家という仕事だと、杉井ギサブロー監督は「アニメと生命と放浪と 〜『アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』を流れる表現の系譜〜」で語っている。将来、映画「グスコーブドリの伝記」がパッケージ化される際に、最初の意図をそこに織り込むこともあり得そうだが、おそらくは一期一会を大切にする杉井ギサブロー監督のこと。劇場で2012年7月に見せた同時代を、パッケージにも刻んで自分の映画として後世に残すことになるのだろう。

 映画「グスコーブドリの伝記」でひとつ、気にしておきたいシーンがあるとしたら、それは父親が山へと遊びに行って、母親も後を追うように出ていってしまったブドリたちの家で、もう食べるものも残っていない中を、それでもどうにかしようとブドリが、すり鉢でその辺から採って来たような、煮ても焼いて食べられそうにない草を、延々とゴリゴリやっているシーンだろう。

 ああやって潰していれば、すぐにグチャグチャなカタマリになってしまうだろうものが、いくらやっても減っていかず、そんなブドリをテーブルに俯せになり、手にフォークを持って眺めるネリも、どこか虚ろで現実と非現実の隙間を漂っている雰囲気だった。見終わってから映画をまた見返すと、あるいはもう既にその時には……といった思いすら浮かんでくる。

 直後に子取りによってネリが連れ去られ、後を追ってブドリが飛び出し倒れ、蚕を育てる男に拾われ仕事をして……と続く展開も、だから余りの悲しみに直視できない厳しい現実から目をそらし、そうなってしまった自責から気持をそらそうと、ブドリが抱いた幻想だったのかもしれない。我に返ってブドリの目に見えたのは、誰もいない空っぽの部屋。それでもなお認めようとせず、残る執着によってブドリは歩んでいって、そしてあの場所へとたどり着いたのかもしれない。

 大勢を救いたい気持が半分。そして向こう側に行ってその手を捕まえたいという思いが半分。無償の愛を放って、世界を救うような英雄精神に世界を染めるのは好まない、誰かのためという思いがあってこそ、身は動くのだということを、杉井ギサブロー監督は示したかったのかもしれない。

 たった1本の映画ですら、そして原作通りに作れば感動のクライマックスを味わわせることが確実な映画ですら、かように変えて表現してみせる。だからといって原作のエッセンスは大きく損なうことはなく、むしろ宮沢賢治が描きたかった本質へと、近づこうとしている。それが、杉井ギサブロー監督という人の作法だ。

 なぜキャラクターが猫なのか、というのも、猫をキャラクターにして描いたますむらひろしの漫画があったから、ではない。先に同じ宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を映画化しようとした時、改稿を経て普遍化していった作品を描くなら、固有の表情を持った人間をキャラクターにしてはダメだと考え、一度は企画を断念した。それでも諦めきれないプロデューサーが、猫で「銀河鉄道の夜」を描いたますむらひろしの漫画を見て、杉井ギサブロー監督に紹介し、これなら行けると感じて動き、そしてあの映画「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」が出来上がった。

 10年近くに及ぶ長い放浪を経て、アニメの現場に復帰した時のエピソードからも、そんな杉井ギサブロー監督のクリエーターならではの飽くなき好奇心、作品に真正面から挑み越えようとする挑戦意欲が伺える。読めばただほんわかと流れているようにしか見えないあだち充の漫画に、実は色濃く漂うっている空気感、緊張感をアニメーションで表現してみたい。簡単そうに見えてその実、簡単ではない仕事と考え、是非にやらせて欲しいと放浪の旅を打ち切った。

 東映動画に入って日本初の長編カラーアニメ映画「白蛇伝」の制作に携わることになって、川が流れる様子を描かされたものの、テレビアニメーション「ルパン三世」の作画監督などで名を知られる大塚康生に何度もダメ出しをされたエピソード。会社が出してくる企画に限界を感じ、労働争議が続く雰囲気にも嫌気を覚えて、宮崎駿監督が入社して来る前に東映動画を辞め、手塚治虫に誘われ虫プロダクションに入ったエピソード。日本のアニメーションの黎明期が、どんな雰囲気だったかが見えてくる。

 やがて虫プロからも離れ、「あしたのジョー」の出崎統監督や、演出家として数々の作品に参加している奥田誠二らと独立し、さらにそこも離れて「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」で組む田代敦己や、日本のアニメーション音響制作で第一人者と目される明田川進とグループ・タックを設立するエピソード。若くて意欲を持ったクリエーターたちのアグレッシブな様が見て取れる。

 放浪から復帰、そして現在まで。「アニメと生命と放浪と 〜『アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』を流れる表現の系譜〜」は杉井ギサブロー監督のアニメ作りへの意志や哲学を知る本であり、杉井ギサブロー監督を通して読む日本のアニメーションの半世紀だ。

 これらのことは、2012年7月28日公開の石岡正人監督によるドキュメンタリー映画「アニメ師・杉井ギサブロー」の中でも、杉井ギサブロー監督自身や、関係した人たちの口から語られている。映画「グスコーブドリの伝記」を見て、ドキュメンタリー映画「アニメ師・杉井ギサブロー」を合わせ見て、そして「アニメと生命と放浪と 〜『アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』を流れる表現の系譜〜」を読んで、さらに「タッチ」や「悟空の大冒険」や「どろろ」などを見ることで、アニメーションを作ることとはどういうことか、杉井ギサブロー監督とはどういう人かを知ることができる、かもしれない。


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