アリスブランド
Alice Brand

 町田ひらくさんの「Alice Brand」(コアマガジン、1000円)は、黄色い楕円の中に黒で「青年コミック」と書かれたマークが示すが如く、SEXシーンが満載でかつ「アリス」の名前を含むタイトルのとおり、性行為の対象となる全て少女、それも当然のことながら日本で言う「コギャル」よりも年齢で3つも5つも下の世代だけに、読んで眉を顰(ひそ)める人々が多々居るであろうことは、まったくもって否定しない。

 しないけれどもしかし、眉を顰める理由が、架空の世界が現実を浸食する懸念を心配した上での架空の否定だとしたら、それは違うと言っておき、架空を架空の世界として楽しむ事をも否定する昨今の傾向が、こういったジャンルのマンガをも否定し葬り去ろうとしている風潮への懸念を、とりあえず表明しておこう。

 なおその上でこの漫画を読んで思ったのが、SEXシーンそれだけを見せたいがためのマンガではなく、SEXシーンが物語の上で必然的に展開され、かつ物語が読者に何らかの感銘を与える点だ。例えば冒頭に収められた「Requiem White」。病の床にある老人の前に現れた紳士は、1枚の絵を持ってきて老人に「救ってほしい」と告げる。描かれていたのは緑色のドレスを着た美少女。老人はかつて画家として大成することを望み、娘をモデルに何枚も絵を描き、それが認められてパトロンから援助を申し出られた。

 だが画家が求められたのは、男たちと交接する娘を描くことだった。欲望に苛まれ苦悶する娘を描くことで金を得、安定を得た画家はしかし2年後に病で男たちから移された病で娘を失い、まま没落して結果今まさに死の床にあった。そんな彼の前に現れた紳士はいったい何者なのか。絵を救うとは彷徨える魂を救うことなのか。筆を取り、少女の肩に広がる羽根を描いた老人はそのまま静かに永遠の眠りへと付き、窓から吹き込む風によって白い羽毛が老人と、絵の上を舞い踊って魂の昇天を告げる。

 それから「Fairy’s rule」。窓辺に積み重なる砂金の山を見て憑かれたように嗤う錬金術師の男は、やがて木に縄をかけて首を括った。残された娘に求められたのは、誰もが無し得なかった練金を何故に男が無し得たのかを教えること。そのために娘は、ジャンゴと名乗る男の調合した媚薬に苛まれ、幼き体を陵辱されて父親の採った製法を漏らしてしまう。家へと帰った仲間の錬金術師たちは、娘から聞かされた方法で「アイツ」と呼ばれる謎の生き物を召喚する。だが誰も金を得られず「アイツ」たちに食われてしまう。

 娘が教えた製法は、実子との交接における精液を基に作った薬で「アイツ」を誘い出すこと。だがジャンゴの父親もかつて、ジャンゴ自身を相手に同じ方法を試みて、結果「アイツ」に食われていた。父親たちに陵辱される娘や息子たちの姿が、「女ではできませんので」と言って、死んだ錬金術師の娘の陵辱に加わらなかったジャンゴの過去と交錯し、いつの時代にも大人たちの欲望の犠牲になる子供たちの悲痛な運命が浮かび上がる。そして何故に首を括った錬金術師だけが食われず金を得られたのかが解った時、そのあまりの卑俗さに神の御業を手にせんがためにすべてを犠牲にしても厭わない大人たちの滑稽さ、不様さが示される。

 これらばかりではない。収められた多くの作品が、目的としてのSEXシーンはけれども必然としてのSEXシーンであることを語っている。だが昨今の風潮は目的はおろか必然としてのSEXシーンすら認めようとしない。そんな風潮を半ば揶揄し半ば非難する意味を込めて描かれたとした思えないのが「アンフェール藝術院」という短編だ。グラナッハという画家が描いた「妖精の森」という絵の前で、美術館のキュレーターが1人の少女から「やっぱりこの絵、変だわ!」と告げられる。

 「この妖精…どこを見ているかわからないもの」。カンバスの端から引っ張られたようにたなびく布を抱えて佇む少女の絵画を指して、そう少女に言われたキュレーターは「少女からは何かこう…恋の訪れを予感して胸を躍らせるそんな気持ちが伝わってくる気がしないかい」と告げた。物語ではその後、どこか遠くを見たような妖精の表情が如何にして生まれたか、そしてその理由が公序良俗の美名の前に隠蔽されていったかが語られる。高邁な画家が目的のために描いたSEXシーンが隠蔽される物語上の事実を必然としてのSEXシーンを絡めて描く漫画家の、静かに燃える怒りをそこに見る。

 大半が外国をモデルにして描かれた漫画の中で、唯一巻末に収められたカラーの作品「夏の栞」だけが日本を舞台いしている。それまでのバタくさいタッチとは違った水彩画のような淡いタッチの短編は、けれども醸し出される恐怖とそして哀しみは他の作品の比ではない。わずか4ページの漫画に描かれているのは言ってしまえば少女のひと夏の経験だ。夏が終わって新学期になった通学路に、少女は1人で佇んでいる。間もなく同級生たちが登校してきたが誰も彼女に気付かない。

 挟み込まれるレイプシーン。そして水の中で息が途切れる擬音。慌てふためく救急隊員。やがて1人の同級生らしき少女が佇む彼女に気付き、驚いたような表情を浮かべる。「久しぶり」。そう話しかける佇んでいた少女に、同級生らしき少女は「そう…だね」と口ごもり、「何だ元気そうじゃん」と言いつつ顔に腕をあてて涙を拭う。佇んでいた少女がこぼす1言に夏の間に起こったすべてが明かとなり、襲いかかる恐怖と、そして哀しみに心をわし掴みにされる。

 男なら目的として使うことも可能な1冊。そして男女を問わず必然としての道を示してくれる1冊でもある。「夏の栞」1話を読むだけでも十分すぎるほどの価値はある。買って、怒り、恐れ、泣け。


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