モダン・タイムス1
不本意ながら、朱頭巾

 まったく知らない作家の作品を買おうかどうか迷った時に、表紙のデザインとかイラストとかで選んでしまうことがあります。今では本が出たら必ず買っているエッセイストの須賀敦子さんも、最初は表紙に使われていた舟越桂さんの彫刻が、「コルシア書店の仲間たち」を手に取らせるきっかけになりました。森岡浩之さんの「星界の紋章」も、野田昌宏大元帥の推薦の言葉とともに、赤井孝美さんの表紙絵が購入の決め手となりました。

 ほかにも、ジャック・フィニィの「ゲイルズバーグの春を愛す」は内田善美さん、ジェイムズ・H・シュミッツの「惑星カレスの魔女」は宮崎駿さんと、表紙絵やイラストが決め手になった作品は幾つもあります。そしてそのいずれについても、表紙絵やイラストから受け取った作品への期待を、裏切られたことがありません。ちょっぴり表紙絵やイラストに負けていたり、ちょっぴり勝っていたりと様々ですが、おおむね表紙絵やイラストが、活字で書かれた作品の世界を想起する助けになっていたり、逆に本文が、動かないワン・ショットの表紙絵やイラストに、躍動感と奥行きを与えていたりと、お互いに補完しあって、読む楽しみを倍加してくれています。

 西炯子さんは、「三番町萩原屋の美人」や「ローズメリーホテル空き室有り」といった作品で知られる人気漫画家です。面白いところでは、文芸評論家でダンス評論家の三浦雅士さんが編集長を務めている雑誌「大航海」の表紙に、可愛い女の子のイラストを最近まで描いていました。残念ながら現在発売している最新号から、(中身同様に)つまらない写真の表紙に変わってしまい、これできっと売り上げがガタッと減ってしまうだろうと、西炯子ファンの立場から、やっかみ半分で心配しています。

 いっぽう、菅野彰さんという作家の名前は、最近までまったく知りませんでした。新書館から「HARD LUCK」や「STANT BABY」、白泉社から「レベッカ・ストリート」といった単行本を上梓しているとプロフィールにありますが、そのいずれをも、目にとめたことも手に取ったこともありません。ですから今回、最新刊の「モダン・タイムス1 不本意ながら、朱頭巾」(新書館、790円)を目にとめ、あまつさえ購入までしてしまったのは、表紙絵やイラストを西炯子さんが描いていたからに他なりません。

 江戸時代。貧乏長屋に暮らす長崎帰りの美貌の青年医がいました。名前を高坂千尋といいます。武家の子息だったのですが、わけ合って生家は没落、高坂家に養子に入り、修行して医者になりましたが、なにかあったのでしょうか、自分の腕が信じられなくなり、江戸に戻って長屋住まいをしながら、町人相手に医術を施して生活しています。

 それでも当の千尋は、陋巷の暮らしを厭うとこなく、長崎から連れ帰った児太郎を長屋に住まわせ、幼なじみの同心で、実はお奉行様の嫡男という池端健吾と縁台将棋で遊んだりしながら、超然と暮らしています。そんな千尋の生活が、ある事件をきっかけにして大きく変わることになります。江戸の町に伝わった、「寅年寅の日寅の刻」に生まれた子供の肝を食べれば不老不死になれるという妖しい噂に、ぴたりあてはまった児太郎がさらわれてしまったのです。

 児太郎を救い出すために、女人に化けて児太郎をさらったと見られる家へと忍びこんだ千尋でしたが、そこで出会ったのは、かつて長崎で諍いをおこして打ち倒したことのある浪人者でした。これはまずいと思った千尋は、赤い腰巻きをはらりと脱いで、頭に被って頭巾とします。そしていよいよ用心棒たちに見つかり、取り囲まれてしまった時、千尋は「江戸の治安を守る女盗賊、朱頭巾」と名乗って、かつて覚えた剣を頼りに、大立ち回りを演じる羽目となってしまいます。そこにかけつけた捕り手の中にいた健吾は、幸いにも「朱頭巾」を千尋とは気が尽きませんでしたが、気が付かないどころか「朱頭巾」に恋慕の情を抱いてしまったようで、これに辟易とした千尋は、2度と「朱頭巾」などにはならないと誓ったのでした。

 卑しからぬ出自ながら、そして高い医術の腕を持ちながら、市井に隠遁したままで抜け出ようとしない千尋、唐変木の昼行灯をきめこんで、妻もめとらず仕事にも熱を入れない健吾の2人に業をにやしたのでしょうか。健吾が兄とも慕う保坂慈雨は、なにかと画策しては、千尋と健吾を次々と起こる怪事件へと巻き込みます。友を救いたい一心から、一度は捨てた「朱頭巾」に再び変身してしまう千尋や、昼行灯のようでいて、実は熱心に、そしてしたたかに仕事をこなしている健吾といった具合に、ストーリーが進むに従ってキャラクターにどんどんと深みが出てきます。また、千尋を助けるかつての子守女、いまは女郎の朝顔と千尋との関係や、兄弟のようで兄弟ではない慈雨と健吾との関係が横糸となって、千尋たちが暮らしている世界にどんどんと広がが出て来ます。

 決して現代風になっておちゃらけたりはせず、かといって堅くかしこまってなどいないテンポの良い会話の妙、そして深みや広がりを次第に見せていく巧みなストーリー展開に、知らないうちにぐんぐんと引き込まれてしまいました。ヤング・アダルトでありながら、中間小説誌に年に2回ばかり特集されて掲載される、時代考証ばかりにかまけて物語がなく、教養小説めいた時代小説よりもはるかに面白く、けれども現代劇を江戸時代に置き換えただけでは決してない(菅野さんは近世江戸文学が卒論の専攻だったそうです)、骨組みも肉付きもしっかりとした時代小説に仕上がっています。

 西炯子さんの漫画にも、「渡しの狂」(「え・れ・が」所収)という、ふだんは渡し守をしながら、お奉行の密命を受けて事件の始末を請け負うことになり、女装して敵陣へ忍び込む男を主人公にした短編があります。菅野さんの書く「高坂千尋」と、西さんの描く「楓狂四郎」とでは、背負っている「影」の濃さが違うような気もしますが、カッコ良さと粋の度合いでは、甲乙つけがたい主人公たちです。

 残念にも西さんの「楓狂四郎」は、「渡しの狂」一本の出演で再登場の予定はないようですが、菅野さんの「高坂千尋」の方は、雑誌「小説ウィングス」に掲載される小説から、再び単行本となって登場する予定があるようです。もちろん西炯子さんの表紙とイラスト付きで。メスをとれなくなった千尋のトラウマの原因や、江戸を騒がす事件の背後にある陰謀、そして巧みに千尋や健吾を動かす慈雨の本当の狙いといった具合に、数あるお謎のどれだけが、次巻で明らかにされるのでしょうか。楽しみは尽きません。


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