アジャンスマンあるいは文化系サークルラブコメ化回避する冴えたやりかた

 ネットの小説投稿サイトに書いたものを投稿すれば、ダイレクトに読者とつながって称賛も批判ももらえて、うまくすれば出版へとこぎ着けられる時代に、果たして編集者は必要なのかといった問題が取り沙汰されるようになってしばらく経つ。編集者は一種のマネジャーとして人気のある作品をピックアップし、本という未だ根強い信頼と流通手段を持ち、マネタイズも容易なパッケージに変えるための仲介者としてのみ、存在していれば良いといった見解もあったりする。

 一方で、やはり読者のニーズにより応えるために経験を活かして市場を見定め、そこにマッチするよう作品を調整していくアドバイザーとして機能していくべきといった見解もある。これに対しては、ネットの小説投稿サイトにおけるランキングが自然淘汰の形で作品を選別していくから、アドバイザーなど不要といった反論もありそうだ。

 ただ、突出した天才なり、元より人気と知名度を持っていた有名人なりが選別されて世に出て行く状況が果たして良いのかと問われた時、荒削りながらも可能性を持った才能に磨きをかける職人としての編集者がいた方が良いといった意見も出そう。今は天才や有名人に届かなくても、将来大きく化ける可能性を持った才能があることは歴史が証明している。

 編集者は必要か否か。小説に限らず創作のジャンルで荒削りの原石を磨くアドバイザーは必要か。そんな問いかけにひとつの示唆を与えてくれろうな物語が、御手座祀杜の「アジャンスマン:あるいは文化系サークルのラブコメ化を回避する冴えたやりかた」(ファンタジア文庫、600円)だ。

 現代コンテンツ表現調査部会ことPR会というのが高校にあって、かつて世界が驚く映像作品を創作しつつも会員たちは正体を明かすことなく卒業して離散。そしてひとり、休学を経て復学した会員の山繭旁が改めて登校してPR会に顔を出すと、そこはオタク少女の溜まり場になっていた。

 コスプレ大好きな江良メルカ、SFやロボットアニメに詳しい上代アキナ、見た目は外国人の黒田・イシス・シュトラッサー、そして声優らしい天竜寺かなた。ハイスペックな美少女たちに囲まれて、取り残されたダブリのオタク先輩が引っ張り回されるラブコメ展開が始まる、かと思ったら違っていた。

 天竜寺かなたはサインを求められるくらいの活躍をしはじめていて、イシスは店頭のタブレットにフリーハンドで絵を描くと周囲で見ている人たちが驚くくらいのハイレベル、レイヤーも自作で本格的な衣装を作るし誰とでも仲良くなれるくらいにコミュニケーション能力に長け、そしてアキナはネットの小説投稿サイトに作品を発表し始めていて、それがとても優れていた。そんな少女たちの能力に気づいた旁は、もっとアクセスが欲しいと願ったアキナの希美を叶えようとする。実は秘められていたその能力で。

 アジャンスマン、すなわち<改編>の能力者として様々なアドバイスを繰り出し、アキナの創作能力を持ち上げることができる旁。ネットの小説投稿サイトでどういったジャンルが読まれ、そして人気を得られるかを分析して提案し、SFだった作品をそのストーリー性も活かしながら人気のファンタジーへとすり替えさせ、望みどおりにアクセスの上位へと踊り出させる。

 そう。オタサーが舞台のラブコメと見せかけて、創作とは何か、人気が出るための方策とは何かを示しつつ、創作の能力を一種の異能的に描いた異能バトル的雰囲気も感じさせるのが、「アジャンスマン:あるいは文化系サークルのラブコメ化を回避する冴えたやりかた」という作品だ。この捻り具合がどうにも凄い。そして面白い。旁の立ち位置もユニークで、ライトノベルによくあるように、ひとり創作に関する能力を持たない無能者に見せかけて、これもまたライトノベルによくあるように違う異能を持ってた。

 それが<改編>の能力。かつてのように創作の異能を持った少女たちが集いしPR会で旁は、改めてその異能をふるって少女たちを導く。これもまた俺TUEEEの変奏と言えるのかもしれない。読めば創作にかける熱情を感じ、創作の才を持たないことに歯噛みし、けれども自分にもできることがあるかもと感じられるだろう。

 カナタに対して旁が示した<改編>の諸策が、本当に今の時流にマッチしているかは分からないけれど、リサーチして方向性を整えて送り出すことの意義は伝わってくる。同時に、<改編>によってスポイルされた本来のテイストを好んでいた人がいた場合、<改編>は果たして正しかったのかという問題も浮かび上がってくる。

 熱狂的とも言える愛着を持った少数派と、うっすらとでも関心を抱いてくれる多数派のどちらを取るべきか。今はとにかく数を狙いたいという考え方が創作者にあるなら選ぶのは多数派だけれど、そこに溺れた挙げ句に道を見失ってしまう可能性も見えるだけに難しい。だからこそ、旁のように客観的な立場から創作者を本来の目標へと向かって歩ませるアジャンスマンが必要なのかもしれない。

 かつて世界が注目したPR会の創作でも、旁はアジャンスマンとしての<改編>の能力を発揮してクリエイターたちを持ち上げた。だから世界が驚く作品が出来た。そんな旁のかつての仲間たちは今、どうやら四分五裂しながらそれぞれに活動を始めていて、文化という部門でそれぞれに世界を変えようと画策している様子。そんなひとりがアキナと旁の前に立ちふさがって、人の心を操り導く文才を使って翻弄してくる。なおかつ旁にも組まないかと呼びかける。

 それだけの能力を旁は持っているということ。けれども応じなかった旁は、これからの展開でPR会に所属している多才な少女たちを<改編>の能力で高みへと導くことになりそう。どんなアドバイスが出てくるかに今から興味を誘われる。そして、かつての仲間たちと、旁が休学からの留年という形で元いた高校に止まった事情から因縁が生まれた者たちが立ちふさがりそうな展開の中、文化系異能バトルが繰り広げられそうだ。

 そこからどんな創作物が送り出され、どんな創作論が、創作法が示されるのか。楽しみにして続きを待ちたい。自身の創作歴を隠し、アキナの才能に愛憎を抱いて絡んだ果て、PR会に加わってきた前生徒会長の大きな胸が揺れてくれるシーンの登場も含めて。


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