私説 えふわん十年史


今年は1998年で。

 ということは、ぼくが大学に入ってから見始めたF1も、もう十年も見てるってことになって。
 今回は、そのえふわんの十年を、ぼくの印象でまとめて見るつもりです。あっ、資料とかそういうの、全く見ないで書くからね。間違ってても、気にしないでね。

 この十年で、えふわんはずいぶん変わったね。ぼくが見始めたちょうどそのときに、はじめてえふわんを走り始めたジャン・アレジが、今ではもう一番ふるいドライバーだもの。
 おぼえてるよ、ジャン。確かたいれるで中嶋さんとチームメイトだったと思うけど。S字で、セナにインをとられて抜かれたと思ったら、つぎのカーブで抜き返したその走り。あれ一発でつぎのシーズンのフェラーリ入りが決まったんだよね。すごかったよ。

 この十年の動きを、キーワードで探るとしたら、きっとそれはこの三つだよ。アイルトン・セナミハエル・シューマッハー、そして、ウィリアムズ・ルノー、あっ、今はウィリアムズ・メカクロームだったっけ。

 ぼくがえふわんを見始めた時には、セナは、ずっと続いてたアラン・プロストとの確執がやっと決着を見せ始めて、マクラーレン・ホンダで好きなだけ勝っていたんだ。

でも、その黄金期も長くは続かなかったね。

 別に、マクラーレンが遅くなったわけじゃないんだけど。アクティブサスペンションをはじめとするハイテク装備を満載したウィリアムス・ルノーが、一シーズンにしてマクラーレンの優位をすっかり奪い去った。
 はやいときにはめっぽうはやいんだけど、そのむらっ気と、チームのすべてが自分をむいていないときがすまないわがままのおかげで、まだ一度もワールドチャンピォンになっていなかったナイジェル・マンセルが、九勝っていうシーズン最多勝のおまけ付きで、堂々のワールドチャンピォンに輝いたとき、セナは自分を勝たせてくれるこのマシーンに、どうしても乗りたかったんだ。本田の撤退が決まって、プジョーと組むことになるマクラーレンが、自分をチャンピォンにしてくれるとは、セナには、信じられなかったんだね。

 ところが、セナがどうしても座りたかったウィリアムスのシートには、つぎの年、なんとアラン・プロストが座っていたんだ。それも、セナとは絶対に組まない、っていう契約付きで。セナは、その年、マクラーレンにまだ乗っているんだけど、チャンピォンは、もちろん、アラン・プロスト。

 チャンピォンをお土産にして、アラン・プロストが引退したつぎの年、セナはやっと念願のウィリアムズ・ルノーのシートを手に入れた。

ところが。

 この年のウイリアムスは、前の年までのウィリアムスとは、ちょっと違ってた。
 アクティブサスをはじめとするハイテク装備に、待ったがかけられたんだ。ウイリアムスだけが勝ち続けると、お客が入んないじゃないか、って、偉い人たちが決めたんだけど。
 もちろん、ウィリアムスのクルマは、空力的にもとても優れていて、まだまだいいクルマだったんだけど。

でもね。
シューマッハーがいたんだ。

 ベネトン、まだこのころはベネトン・フォードだったと思うけど、今まで大して目立たなかったこのチームで、着々と力をつけてきたシューマッハー。「あのブラジル人」と、決して直接名前を呼ばない分、セナを強烈に意識していたシューマッハーが、セナに、ウィリアムスに牙をむいたのがこの年。

 忘れもしないよ。
 1994年5月1日。
 イモラの空に駆け上がったセナ。

 念願のウィリアムスのシートで、でも開幕戦から勝てなかったセナ。同じイモラで、前日にラッェンバーガーがこれも事故で死亡したとき、真っ先にこのグランプリを中止するべきだと抗議したセナ。ホンダ鈴鹿ラストランで、トラブルでピットに止まってしまっても、マシンを下りずに、涙目でモニターをにらんでいたセナ。
「セナは、受け入れたんだ」
 っていったのは誰だか、もう忘れちゃったけど、そうかもしれないね。
 やっとの思いで手に入れた、優勝へのパスポート。ところがそれはすでに期限が切れていて。自分と同じ才能を持つ、自分より若いドライバーが自分に牙をむく。
 それでもなおかつ勝たなくちゃいけないという状況を、セナは、受け入れたんだ。
 そして、妥協はしなかった。
 最後の瞬間まで、勝つことだけを考えていたんだ。
 セナよりはやいドライバーは、いるかもしれない。セナよりたくさん勝ってるドライバーも、もちろんいる。
 だけどね。
 セナほど、純粋に、勝つこと、勝ち続けることだけをモチベーションにして、妥協を許さなかったドライバーは、いないよ。
 徹底的なエゴイスト。
 きれいな、走りだったよ、アイルトン。

 ごめんね、今日はここまでにしとくよ。

 

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