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2006年2月14日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第13回東京定期演奏会
大植英次:指揮
長原幸太:ヴァイオリン
サントリーホール・大ホール 2階5列22番 S席

武満徹:ノスタルジア −アンドレイ・タルコフスキーの追憶に−
ブルックナー:交響曲 第7番

 別にオオウエ求めてニシエヒガシエっていうわけではないのだけれどもね。いくつかの事情が重なって、行って来ました、東京定期。
 そして、これが今年初めての演奏会。あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。

 大フィルを東京で見るのって、初めてなんだ。サントリーホールで見たじいさんは親日フィルだったし、大フィルの遠足は札幌だったもんね。とはいえ特に感慨もないのだけれど。
 とはいえ、開演が近づくにつれてなんだかどきどき。僕の大事なオオウエエイジが、大フィルが、東京の人にどうやって受け入れられるんだろう。いじめられるんじゃないだろうか、って。

 一曲目は、武満の弦楽アンサンブル。少人数の弦楽に、おぼっちゃま君がフューチャーされるんだけれども。
 おぼっちゃま君のヴァイオリンはわかりにくいよね。いや、タケミツのこの曲が解りに難いんだろうけれど。
 圧倒的なでかい音を出すわけでも、透明に鳴り響く澄んだ音を出すわけでもなく。ハーモニクスの失敗のように、ボウリングの途中で変わる音色と、息切れするロングトーン。
 なんだかとっても中途半端。
 微妙な指定のミュート奏法とかだったらごめんなさいね、的外れで。

 タケミツって全然聴かないんだけれど、この曲は、ひたすら綺麗、心地いい。時たまピッチ外したような微妙な音程があるんだけれど、タケミツだからな、不協和音なんだろうな、って許せちゃう。得だね。
 正味15分くらいの演奏のあと、20分の休憩で。

 休憩時間に椅子が増えて、ブルックナー編成に。あれ、でも弦少ないのかな? 5列で並べた椅子の後ろには、おっきなスペースが余ってる。サントリーホールって、ステージ大きいんだろうか。
 でも、ホルン5、ワグナーチューバ4を始めとする管楽器はこんなもんか。ああ、加瀬さんいないんだね、もう。

 んで。
 曲が始まった。

 僕は、何を求めてるんだろうね。

 オオウエエイジのブルックナーに。大フィルのブルックナーに。

 ちょっと前、ひさびさにじいさんのベートーヴェンを聴いたんだよね。2000年の、7番。シンフォニーホールで僕が最初っから最後まで泣き通したときの演奏。
 愕然としたよ。
 耳になれているこのごろの大フィルの音と、あまりに違うから。音の充実度も、安定感も、密度も。何もかも、格段にうまくなったんだね、大フィル。
 にもかかわらず、CDで聴いてさえ、やっぱり泣いちゃうんだけれどもね。

 さて、今日のこの演奏。

 僕には分からないんだよ。

 東京討ち入りで固くなっているのか、クラリネットとかトランペットとかのソロはぎこちなかったし、1楽章の弦のピッチとかも気になったけれど。
 でも、奇を衒わない正統派のブルックナーだし、トゥッティの音の密度とか、サントリーホールに音が吸い込まれるブルックナー休止とか、ホントに気持ちがよくて、ちょっと前ならば「性能のいいオケでブルックナーを鳴らし切る快楽」とかいって大喜びしてたに違いないんだけれども。

 僕は、なんでこの演奏を楽しめないんだろう。

 今回のパンフレットの曲目紹介に、7番初演時の批評家の評論がこう載っているんだけれど。「天才的な着想を、興味深く美しいともいえる箇所をーーここに6小節、あそこに8小節とーー含んでいる。だが、これらの閃光の間に横たわっているのは、果てしない暗闇と、鉛のような退屈、そして熱に浮かされたような過度の刺激である」

 今回の僕の感想は、まさにこれ。
 じいさんのタクトに語らせれば、雄弁に語るはずのそこかしこが、なんにも伝えてくれない。唄ってくれない。
 ブルックナーの曲の中で一番美しいって思う1楽章。ここがちょっと固くって入り込めなかった、っていうのがあるんだろうけれど。でもアダージョになっても寡黙なままで。
 もちろん音は綺麗だし、メカニカルには盛り上がってもいるんだけれども。

 なんだろう。
 じいさんじゃないっていう理由で、満足できないのかな、俺。そしたら、この先も、オオウエエイジがどんな演奏しても、だめなんだろうか。

 東京の人たちに祝福されるオオウエエイジを見ながら、なんかちょっと寂しい気持ちを味わってしまいました。
 もちろん、オオウエエイジや、大フィルにはなんの責任もなく、ただ、僕の方の問題なだけなんだろうけどね。

 

2005年12月9日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第394回定期演奏会
大植英次:指揮
横山恵子、福井 敬福島明也、成田博之、岡本泰寛、今尾 滋、木澤佐江子:独唱
大阪フィルハーモニー合唱団:合唱
ロバート・ダヴィドヴィッチ:コンサートマスター
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

プッチーニ:歌劇 トスカ

 すっかり年末だね。
 この演奏会を見たのは、12月の最初だったから、すっかり怠けちゃったね。ごめんなさい。

 というわけで、大フィルの、大植のオペラ。去年に続いて二度目のオペラだね。演奏会形式だけれども。字幕のつくオペラは、かなり敷居が低くって、得した気分になれる定演屈指のお待ちかね公演。
 しかも、バイロイト帰りのオオウエエイジだからね。とっても楽しみ。とはいえ、オペラって普段観もしないし聴きもしないから、演奏がどう、指揮者がどうなんて、全くわからないんだけどね。

 そうそう、思いだした。バイロイトといえば。フォンテックから出たオオウエ/大フィルのブルックナー。なんじゃこれ。
 いや、演奏がどうっていうのではないのだけれどもね。生で聴いた演奏会、感想も同じなんだけれども。
 なんじゃこれ、は、ライナー。
 クラッシックのCDのライナーって、ちょっと一言言いたくなるものが多いんだよね。今回のライナーは、オオウエエイジは人生の岐路に立っている、から始まって、バイロイトが成功ではなかったこと、オオウエ/大フィルの成長にも陰りが見えてることなどをあげつらい、挙げ句にじいさんと対峙する姿勢だけを取り上げて、肝心の演奏については、これまでの成果とこれからの目標がすべて詰まってる、って。
 そんなの、演奏全く聴かなくたって書けるやん。

 まあ、ヒョーロン家の先生が、聴くこともなく書き殴ったって、それはいいんだけどね。誰に向かって書いてんの? このライナー。
 オタクの集まる音楽雑誌だったらいいけどね、ガッコの吹奏楽部にオオウエ先生が来てくれて、感激して少ないお小遣いはたいてこのCDを買った中学生が、このライナー読んで、ああオオウエ先生ってすごいんだ。これからもオオウエ先生について行こう、ってなる?
 僕は、高校生の時に2時間悩んで買ったじいさんの英雄の、うのこーぼーの解説読んで、それから15年は日本のオケのCDなんか買わない、ってことになったよ。

 仮にも原稿料もらって書くんだったら、オタクの場と外に向けた場の区別くらい、付けてよね、ホントに。

 ごめんごめん、トスカの話だったね。
 先月の定期で、クワイヤ席を追加販売してたから、セッティング変わってコーラス減ったのかな? 1階の通路にもべったりと補助席が並んで、そこにやどうやら合唱団の人たちとおぼしき集団が陣取っていた。
 ステージは、楽団が前にいて、後方にひな壇があってソロ用の椅子と譜面台がいくつか。合唱は必要なときに入ってくるんだね。
 あと、ステージ脇に字幕の掲示板。これが重要だよね。今回は1階席の真ん中くらいからだから、ステージと字幕と、首を振り振り観なくちゃいけないけれど。

 三週間近く経ってるからね、いい加減冷静になってきたけれど。
 面白いね、オペラって。
 ムツカシイ事はわからないのだけれども、まず、お話のおもしろさだけで持ってかれちゃって。
 ナポレオンがヨーロッパを席巻している時代のイタリア。美人歌手トスカの恋人、さえない画家のカヴァラドッシは脱獄してきた政治犯をかくまって、極悪非道な警視総監に捕まった。スケベな警視総監は画家を助けることを条件にトスカに関係を迫るが、トスカは警視総監を刺し殺す。偽の死刑が執行され、晴れて自由の身になるはずの画家の運命は、、、
 っていうのがだいたいの筋なんだけどね。

 画家をやった福井さんって、サムソン? その前の道化師でも出てるんだ。おなじみだね。かっこいいよね。
 主役のトスカの横山さん。小悪魔的な美人歌手っていうのを、動きがなくって声だけで表すと、ああ、こんな感じなんだなあ。アリアすごかったね。
 そう、演奏会形式だから、劇のような動きはないんだよね。去年のサムソンのバッカナールのときもちょっと寂しかったけれど、今回も、怒濤のクライマックスは、刺し殺したり死刑になったり泣き崩れたり、果てはしばいたりあんなことやこんなこともしてみたり、という場面の筈なんだけれど、燃え上がる音楽で想像力をかき立てるしかないんだよね。ちょっと悶々。それがいいんだけどね。

 でも、例えば途中のチェロ4人によるアンサンブルなんて、ピットの中でやってたらよく分からないまま流れちゃうけれど、これ、すごかったよ。寒気しました。

 っていうわけで、結局大運動会のまま怒濤のカーテンコール。ってカーテン無いけれど。
 もちろんチェロの四人や、あとクラリネットなんかも立たされて。
 オーボエの加瀬さんに、オオウエエイジが握手に行ったのはなんだろう、もう東京に行っちゃうのかな?

 前回オオウエのマーラーがあんまり楽しめなくって、しかもブル8のライナーにはバイロイトはさんざんだって書いてたし。っていうわけで結構気が重かった演奏会だったんだけどね、行くまでは。
 でも、終わってみたら、今年の1,2を争う燃え系コンサートだよね。萌えではなくってね。

 ああ、面白かった。来年のチケットも、年間予約してしまいました。

2005年11月18日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第393回定期演奏会
下野竜也:指揮
清水和音:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

ベートーヴェン:序曲 レオノーレ 第2番
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番
ブルックナー:交響曲 第0番

 前回もたいがいバラエティに富んでるプログラムだなと思ったんだけれども。今回の比じゃないね。
 ベートーヴェンとモーツァルトとブルックナー。この組み合わせは、お釈迦様でも気がつかないよね。っていうか怖くてできないっていうべきか。あるいは長くて、若い下野でしかできないというべきか。はたまた、ブルックナー・オケである大フィルじゃないとできないっていうべきか。

 なんで怖くてできないかっていうとね。
 ベートーヴェン、モーツァルトっていったら、実力、人気を兼ね備えたクラッシック界のスーパースターだよね。マツイヒデキとミヤザトアイみたいなもんだよね。泣く子も黙るスーパースター。
 対するブルックナーは、ひいき目の僕の目から見たら実力は伯仲するのだけれども、人気面ではちょっと、いやちょっとどころではなく見劣りするよね。千葉ロッテみたいなもんかな?
 あ、これ読んでそんなこと無いよ、って思った人、ここでいう人気っていうのは、一般大衆への浸透度とか購買欲そそり度とかであって、こんなところに来てくれる「あななたたち(含俺)」に対する人気度じゃないからね。気にしないでね。

 だから、メインがブルックナーでお客が来るのかな、とか思っていたんだけれども。でも、全国区では人気のない千葉ロッテだけれども、マリンスタジアムはたくさんお客さんはいるように、シンフォニーホールには、ブルックナーファンがたくさん集まるんだよね。オオウエエイジのときほどではないけれど、若手指揮者の定期としては結構な入り。
 若手指揮者なんて、他人行儀な言い方しちゃいけないよね、下野達也は。3回目かな、僕が聴くの。
 大フィル唯一の指揮の研究生。ってことは唯一のじいさんの愛弟子。その愛弟子の振るブルックナー。どんな響きがするんだろうね。

 ちょっと、これまでで最長記録じゃないかっていうくらい期間が空いちゃったから、相変わらず細かいところはさっぱりなんだけれども、今回の演奏会は、ホントに面白かったよ。
 それは、演奏というよりも曲の聞き比べっていう意味において、だけれども。
 下野の、僕にとって聴きやすい、ニュートラルな指揮は、こういう曲の聞き比べにはいいんだよね。ホント。

 というわけで、ベートーヴェン。佐渡の第九を聴いた僕は、危うく忘れかけてたよ。ベートーヴェンは、人類の宝だ、ってこと。
 でも、このレオノーレ。まさしく、人類の宝。最初の一小節で観客を鷲掴みにして引きずり回す、天才のみに許されたエゴ。
 そして、めずらしくブルックナー張りの全休止の嵐。ああ、シンフォニーホールの近くに住んでいて良かった。
 あ、想い出した。下野の振る大フィルはね、なんていうか、すごくタイト。堅めのマレットで叩いたティンパニみたいに、まとまりのある音。アンサンブル。
 それはきっと、「丁寧」っていうキーワードから紡ぎ出されてくるものだと思うのだけれどもね。

 エゴのベートーヴェンに対して、モーツァルトの天才は、「超越」。どこまで行っても人間くさいベートーヴェンに比べて、モーツァルトの音楽は、まるで生活感のない、アニメのエルフみたい。いや、おとしめてる訳じゃないんだけれどもね。僕はモーツァルトには感情移入できないんだなあ。
 清水和音って、懐かしいなあ。僕の第一次クラッシックブームの時に、新進気鋭のピアニストだったな。
 モーツァルトって、交響曲まで含めて小品っていうイメージがあるんだけれども、結構長い曲が多いよね。この曲も、堂々たるコンチェルト。いつもは狂躁的でアニメチックな曲に退屈してしまうのだけれども、清水さんの、オケに引けをとらないでかい音のせいか、眠くなる前に最後までたどり着いた。
 もう、ひたすら心地よい、モーツァルト。

 でさ。
 休憩の後のブルックナー。
 いやはや。

 僕は、ブルックナーびいきだからね。ホント、はらはらする演奏会だったよ。
 いや、演奏がどうのこうのじゃなくってね。
 ベートーヴェンとモーツァルトって、稀代のメロディーメーカーだよね。バッハと一緒に、人類史上三本指に入ろうか、っていう。
 その、天才のメロディーを堪能した後にね。ブルックナーっていう人は、とりあえずメロディっていう単語からはほど遠い人だよね。もちろん貶めているわけではないんだけど。どうしても分が悪い。

 でもね。
 最高の天才が作ったメロディを堪能した後に、無骨で不器用な交響曲を聴いてるとね。ああ、やっぱりブルックナーは神の視点なんだな、って、そう思えるよね。
 喜怒哀楽を表すメロディを極力廃して、ブルックナーの交響曲は、まさにアーキテクチャ、構造物。取り付く島もないでっかい構造体だから、それを味わうには物理的な長さがいるんだよね。
 秀作扱いの0番とはいえ、ブルックナーだからね。堂々たる交響曲。それを奏でる下野竜也は、派手さはないけれど、きちんとオケを鳴らして、しかも丁寧。
 じいさんフェチの僕にとっては、丁寧っていうのはブルックナーの唯一無二のキーワードだからね。ホントに好感の持てる、良い演奏だったよ。

 細かいところ忘れちゃったから、印象だけなんだけどね。

 豪快にドライブするオオウエエイジの隙を埋める、丁寧な若手。立場が逆のような気もするけれども、これも一つのバランスの取り方なんだろうね。
 下野竜也。いいよ。

2005年10月28日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第392回定期演奏会
李 心草:指揮
パスカル・ロジェ:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

金 湘(ジン・シアン):巫
サン=サーンス:ピアノ協奏曲 第5番 エジプト風
ワーグナー:ジークフリート牧歌
R.シュトラウス:交響詩 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯

 すっかり、秋だね。
 年度の半分終わって、大フィル定期も後半戦。
 しっかし、後半戦のプログラムも偏ってるよね。ブルックナー2回と、オペラと、コバケンの我が祖国。重厚っていうか、暑苦しそう。もちろん褒め言葉だけれどもね。
 そんな中で、唯一の軽そうなプログラム。ちょっとイメージ違うけれども、小品集っていってもいいよね。
 指揮者は中国の若いヒト。おお、俺よりかなり若いな。どんな演奏してくれるんだろう、っていうよりどんな風に大フィルを御してくれるんだろう。楽しみ楽しみ。

 ネームバリューのある指揮者じゃないし、客呼べる指揮者でもないからね、客席にはかなり空席も目立って。とはいえ2回公演でこれならば御の字でしょう。

 なんてえらそうなこといってるけれど、客席に滑り込んでプログラム開くまで、なにやるか全然知らなかったんだよね。ふむふむ、中国の現代物とワーグナーとサンサーンスとシュトラウス。。。ってなんじゃそりゃ? ホントの小品寄せ集めやな。なんか統一感あるんやろか。

 というわけで、中国の現代物。
 マッシュルームカット崩れの、ちょっと小柄のお坊ちゃまが颯爽と入ってきて。慎重にみんなのブレスを伺って、無造作に曲を始めた。
 鞭の一撃。(鞭っていうんだよね? 長生きの棒をちょうつがいでつなげて、パシッて音出すパーカッション)
 それに続くヴァイオリンのユニゾン。sfzロングトーン。

 もし、このページの熱心な読者という人が居てくれたとすると、もう分かるよね。
  そう、この曲は僕の嫌いな吹奏楽もどきの現代物。

 なんだけどね。
 なんだけれども。この、最初の2小節。ここだけで僕は、涙を止めるのに必死になったよ。
 わかりやすい指揮からでてくる、アインザッツのそろったsfz。その余韻から抜け出てくる、ヴァイオリンのロングトーン(トレモロだったっけ?)。その音の、綺麗なこと。
 決して大きな音じゃないのに、はっきりと、そこに在る。手で触れそうに輪郭がくっきりしてるのに、さわろうとすると自分がその中にいることに気がつく。
 いつもと同じ席なのに、最前列、いや、オケの中に座ってるんじゃないかって錯覚しそうな、音の存在感。透明感。

 こういうsfzクレシェンドを多用した、パーカッションいっぱいの曲は、力任せに乱暴な音になることが多そうなんだけれどもね。この若い指揮者は、ビビってるんじゃないか、っていうくらい大フィルの手綱を締め付けて、決して暴走させないで、綺麗でおいしい音量域を的確に使っていく。

 そう。今日の大フィルのテーマは、メゾピアノ。

 この音量で存分に唄う大フィルなんて、今まであんまり聴いたことないんじゃないかな。っていうくらい、新鮮で、魅力的。
 初めて聴く曲ばっかりだからね、細かいところ全然覚えてないんだけれども、メゾピアノの弦の響きは、耳に残ってるよ。

 この曲は日本初演っていうことで、作曲者のヒトも聴きに来ていて、興奮冷めやらぬステージへ。よかったね、こんな良い演奏してもらって。おめでと。

 次は、サンサーンス。
 ここでも、やっぱり聴き所は音量。ピアノもがんがんいく感じではないのだけれど、その音を潜り込ませないオケのデリカシー。ピアノコンチェルトって、いつも眠くなるのだけれど、今日の演奏は眠くならない心地よさ。ああ、楽しかった。
 休憩はさんでワーグナー。
 最初の2音で紛れもなくワーグナーなんだけれども、あくまで奥様のお目覚めの音楽として作曲されたようで、ドラマティックというよりはほんわかムード。
 ここまで聴いたら、今回のねらいがよく分かったよ。今回のテーマは、やっぱりメゾピアノ。中くらいの音量の心地よい曲を探してきて、しかも眠くなりそうなこういう曲を、ここまで聴かせるたあ、ただ者じゃありませんぜ。

 そして、シュトラウス。あ、シュトラウスっていうとヨハンの方を思い浮かべるヒトもいるのかな? 僕の中ではなんといってもR=シュトラウスなのだけれども。
 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯っていう長い題名の曲。題名はよく聴くんだよね。でも、もしかしてちゃんと聴くの初めてなのかな。
 この曲もね、楽しい。なんかボキャブラリの無さがイヤになるけれど。例えばミッキーとかオオウエとかがやると、間違いなく汗かきべそかき大運動会になるのだけれど、李さんは、感心なことに勢いに身を任せない。いやビビってるだけなのかな。制御できる音量の中で、こんなに変化に富んだ音楽を楽しく聴かせることが出来るんだ。

 しかも、この曲、愉快な悪戯がいっぱい。なにしろ終わらない(笑い)。何回もだまされそうになって、そのたびに顔がにやけてくるんだよ。
 しかも、李さんは的確にフライング拍手を封じ込める。いつ(本当に)終わるのか分からないこの曲だけじゃなくってね。現代物やワーグナーも、背中で静寂をコントロールしてた。

 こういう丁寧な演奏会、もっともっと、聴きたいな。

2005年10月27日
兵庫県立芸術文化センター オープニングコンサート
佐渡裕 第9交響曲
佐渡裕:指揮
マリア・コスタンツァ・ノチェンティーニ:ソプラノ
手嶋眞佐子:メゾ・ソプラノ
ポール・ライオン:テノール
キュウ=ウォン・ハン:バリトン
兵庫芸術文化センター管弦楽団
神戸市混声合唱団、オープニング記念第9合唱団
兵庫県立芸術文化センター 大ホール 1階R列5番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第9番 合唱付き

 西宮北口に、コンサートホールが出来たんだよ。しかもそこには、専属のオーケストラがあって。さらに、そこの音楽監督はサドユタカ。これは行くっきゃないでしょう。
 というわけで、こけら落としの第九の演奏会。チケット完売で涙をのんでいたら、幸運にも追加公演のチケットが入手できて。行って来ましたサドの第九。

 兵庫県立芸術文化センターっていうのが、正式な名前なんだけれども、阪急西宮北口から、コンコースですぐの、ホールに行ってびっくり。
 なんちゅう豪華な造り。
 ホールに近くなると、コンコースのうちから床は木。ホールの建物は正面前面ガラス張り。建物にはいるとだだっ広いロビー。進んでいくとスーベニアショップやチケット引換所。小さい写真展示室があって、地元の学校を回ったサドユタカの写真と生徒の寄せ書き。開館記念の花束には山下洋輔の名前も。
 いろんなところを探検すると、ガラス張りの屋外を見ながら食事が出来るカフェも発見。
 極めつけは、正面玄関からのエントランス。駅から来ると、デッキを通ってくるから2階にはいるのだけれども、きちんと1階からはいると、冗談みたいな大きさのエントランス。生け花ならぬ生け樹も生けてあったり、全面木のおっきな階段。みんな、せせこましいエスカレーターなんか乗ってる場合じゃないよ。
 ロビーはチケット要らないから、ここに来るだけでもしばらくわくわくしちゃうね。

 おっと、演奏会だね。
 その前に、ホール。
 これだけエントリやロビーが豪華だから、どんなに豪華なホールかと思いきや。
 えっらいシンプル。
 コンサート専用の、緞帳のないステージ。壁から天井まで板張り。なんだけど、なんかシンプルなんだよね。4階席まである高い天井なんだけれど、シンフォニーホールのような不思議な形の反射板があるわけでもなく、市民会館のような(フェスティバルホールのような)ふつうの天井、ふつうの壁。まあいいんだけどね。音さえよければ。
 客席の椅子。これはいいね。ちょっと堅めなんだけれど、がっしりしている。となりで大きなヒトがどすんと座ってもびくともしなさそう。シンフォニーホールの椅子は、隣の振動が伝わって来ちゃうからね。

 ステージは。
 クワイア席(ステージ後方の客席)がないから、合唱団はみんなステージにのって。その前にいるオケは、左右の弦もひな壇にのるすり鉢状のセッティング。なんか新鮮。

 オケは、兵庫芸術文化センター管弦楽団。ホール専属のオケ、当然新規結成されたところ。平均27歳、35歳以下、3年限定のメンバー構成。要は若手養成オケってことかな。
 管を中心に外人さんが多いね。全部で半分くらいなんだろうか。
 まあいいや。

 オケが、合唱が入場して、佐渡。
 暗譜の指揮棒を、振り下ろして。出てくる音は。

 なんだろう。
 めちゃめちゃデッドなのかな、このホール。音が響かない。っていうか届かない。各パートがなにやってるのか、手に取るように分かる。分解能の高い、音。
 各パートのフレーズは、ほっとくと失速して落ちてしまいそうで。佐渡がぐいぐい引っぱるのだけれども、なかなか自分では動き出さない。
 小編成のオケはティンパニの一撃に簡単に力負け。っていうか、ホールがティンパニの音で飽和しちゃってるのかな。音のハレーションで、他の音が聴こえない。
 これが、若いオケ、なのかな。

 もちろん、僕の中のスタンダードの第九はじいさんの、大フィルの第九で。50年以上もじいさんが引っぱってきた大フィルの演奏と、新結成の、こけら落としのオケと比べるのはいけないのは分かってるんだけれどもね。
 この世のものとは思えない、奇蹟の1,2楽章を堪能するかわりに、オケのスリリングさを堪能しちゃったよ。
 
 ただね、そのかわりといってはなんだけれども。
 4楽章。合唱。
 合唱すごいよ。音量もバランスも。
 初っぱなのバリトンが、後ろに引っぱって唄うヒトで、合唱と合わなくてどうしようかと思ったのだけれども、そんなのはすぐに吹っ飛んで。
 ソプラノ、アルト、男声がほぼ同じ人数なんだけれども、それぞれのパートがみんな自己主張して。それでいてバラバラでなく溶けあって。ティンパニで飽和してしまうホールは、合唱をとてもよく響かせて。

 ああ、やっぱり第九って、いいなあ。

 年の瀬じゃない第九は、どこなく罪悪感と優越感を感じたけれども、ホールの、そしてオケのこけら落としっていうお祝いにはとてもよくマッチしていて。
 アンコールは、ハッピーバースディ。途中ラッパとクラとトロンボンでデキシーになったりして。楽しませよう、っていう姿勢が心地いいね。

 何回ものカーテンコールの後、オケが撤収してるところに、突然巻き起こった拍手。佐渡が現れたかな、と思ってステージを見やるとね。
 合唱団の退場。
 整列して退場する合唱団の、最後の一人がいなくなるまで、あったかい拍手は続いたよ。

 いいお客さんを持ったね。おめでとう。
 お客さんと一緒に、オケも、ホールも、育っていくといいね。

 来年4月からの定期のお知らせが入ってたんだけれどね。ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスといった嬉しくなっちゃうようなベーシックなプログラムに混じって。
 マーラー6番。悲劇的。
 楽しいオケになりそうだね。時々は定期も覗こう、っと。

2005年9月19日
尼崎市民交響楽団 第20回記念定期演奏会
アルカイックホール

ロッシーニ:歌劇 セリビアの理髪師 序曲
シューベルト:交響曲 第7番 未完成
ベルリオーズ:幻想交響曲

 ゲージツの秋、三週連続コンサートの最終回(こんなんばっかりやね)。
 今回は、毎年おなじみの秋の風物詩、尼響のコンサート。そういえば尼崎駅のロータリーにオーロラビジョンおいて盛り上がってたのは一昨年だっけ? 今年も阪神強いね。
 今年もやってたのかな、オーロラビジョン。今回はクルマだったから、駅前の様子は分からなかったよ、残念。

 道路が空いてたおかげでね、会場少し前に着いたのだけれども。すごい列。僕は並ばないで、遅めのお昼ご飯を食べに行ったんだけどね。並んで入るコンサートってしばらくないなあ。新鮮。

 ちょっとお断りなんだけれども、先週、先々週と大フィルを聴いていて、先週はそんなにインプレッシブではなかったんだけれども、プロのオケの響きが身体に残ってます。だから、それと比べてちょっと辛口になってしまうと思うけれど、勘弁してくださいね。

 今回は20回目の記念っていうことでね。幻想交響曲。がんばったね。幻想って、僕の中での第一次クラッシックブームの時に大好きだった曲。デュトワ/モントリオールの演奏が好きでね。初めてスコア買ったのもこの曲だったな。どんな演奏聴かせてくれるんだろうね、楽しみ。

 去年の経験からね、アマオケのコンサートは前の方に座ろうって思って、前半座ったのは4列目くらいのヴァイオリン側。
 きちんと整列して入場するオケ。そして、ロッシーニ。へぇ、この序曲って、他のオペラからの再使用なんだ? 本編のいいとこ取りをするヴェルディとはえらい違いだね。
 この曲はね、なんていうか。
 僕の中で、テンポがつかめないまま終わっちゃったな。打楽器がはしったのか弦が重かったのか。よく分からないけれど、曲に入るきっかけをつかみ損なったまま最後まで行っちゃった感じ。残念だな。

 そして、未完成。
 僕はね、交響曲といえばベートーヴェンとブルックナーっていうがちがちのじいさん教信者なんだけれども。なぜかシューベルトって好きなんだよね。とはいえグレイトと未完成しか知らないんだけれど。特にこの未完成。そりゃあ、この2楽章で完結してるやろう、っていう重厚さ。シューベルトって、結構昔のヒトだよねえ。こんな長い曲(っていうか未完成だから短いんだけど)、よう書いたよね。
 そんな未完成。冒頭は堂々たるものだったんだけれどもね。そこかしこにのぞく自信のなさそうな音。ちょっとずつ乱れるピッチ。
 ああ、幻想にリハの時間とられたのかな、と思って聴いていたんだけれども、どうだったんでしょうね。

 休憩中に、座席を今度は右の方に移動してね。さあ、幻想。
 最初の一音でね、耳を疑ったよ。
 あれ、さっきと同じオケの音?

 スコア持ってるくせに、読み方知らないからね、このまえオオウエの幻想聴いて知ったんだけれども。1楽章のあたまって、面白い音の作り方してるよね。ブロックごとにフレーズがあって、それをいろんなブロックに受け渡していく。演奏する方はやりにくいのかな、と思ってたんだけれどもね。
 なんて、自信に満ちた響き。
 音が厚いっていうのもあるんだろうけど、ね。幻想のすべてを貫いたのは、この自信に満ちた響き。

 僕が幻想を聴くときの、チェックポイントがいくつかあってね。冒頭の音造りの次は、ワルツの終わり方。リタルダンドとフェルマータ、なのかな。あんまりわざとらしくなく、だけどふわっと終わるのが好きなんだけれど、今回の終わり方はもう、完璧。そうそう、これこれ。
 楽章ごとに拍手来るのはご愛敬。演奏はやりにくかったかも知れないね。

 それから、3楽章。コールアングレと、オーボエ。コールアングレ、惚れました。かっこいい。
 そして、断頭台からワルプルギス。
 ここはね、ファゴット。淡々と正確なリズムを刻むファゴットが、かっこよかったな。
 あとはね、トロンボンのペダルB♭。僕はトロンボン吹きだからね、このペダルはバランスなんか考えずに吹きまくる、っていうのが夢。でも指揮者に止められるよね。やっぱり。
 そして、チャイムとチューバからはもう、アマオケだとか、そういうことは忘れてました。汗かきべそかき大運動会。お疲れ様でした。

 大学に入ったら、ジャズをやろうかオケに入ろうか、ほんのちょっとだけまよったときに、「管楽器が活躍する曲は、弦が難しすぎて大学のオケじゃできないから、やめといた方がいいよ」っていわれたことがあって。
 その理屈でいえば、幻想なんて難曲中の難曲だよね。しかも未完成なんて、堂々たる曲と組み合わせて。
 記念演奏会とはいえ、よく頑張ったね。ホント、いい記念になったと思います。おめでとう。

 アンコール、2週間前にオオウエで聴いた曲。今回やっと、すんなりとメロディが入ってきて浸れたよ。
 ありがとう。
 いい打ち上げができたことと思います。ご苦労様でした。

2005年9月9日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第391回定期演奏会
大植 英次:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

マーラー:交響曲 第3番

 芸術の秋スペシャル、週刊オオウエエイジ第2弾、にして最終回。
 いやあ、先週は楽しかったよね。今回、バイロイトおかえり定期は、オオウエの十八番、マーラー。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。

 って、すごく楽しみにしてたんだ。
 けどね。

(この演奏会にカンドーしたとか、オオウエさん大好き、っていう人は、もしかしたらこのあと読まない方がいいかも知れません。
あと読んでもそれは「自己責任」ってことでお願いしますね)

 まあ、僕の体調も今ひとつだったし、大阪駅が夕立で、やっとつかまえたタクシーも渋滞に巻き込まれて間一髪、間に合ったけれど心の準備がまだだったっていうのもあるんだろうけれど。
 けどね。

 舞台を埋めつくす楽器。埋もれるように出てきたオオウエエイジ。
 振り下ろした棒から出てきた、ホルン8本のファンファーレ。
 これが、全然響かなくってね。僕の心に、だけじゃなくって物理的に。
 いや、音量は出てるんだと思うよ。なんなんだろう。フレーズの最低音を全然気張らないからかな? 音価が短いからかな?
 そのあとの弦も、全然響かない。
 三階席から聞いた先週だって、もっと響いてたのに。

 なんでか分からないんだけどね。
 音の響かないマーラーは、満員電車で他人が聴いているイヤホンから漏れ出てくる音楽のようで。
 ちっとも心に入ってこない。

 ソロはね、良かったよ。袖で吹いたラッパ(なんだよね? ロータリーでちょっと丸っこい楽器)や、トロンボン。クラやオーボエ、でっかいオーボエ。どれもこれも魅力的なんだけれど。
 けどね。

 全然心に入らない、まるで人ごと(しかも長い)の音楽を聴きながら、考え込んじゃったよ。
 オオウエエイジのあたりのコンサートって、いくつあったんだろう、って。
 当時の評価はおいといてね、今考える、あたりのコンサートって、復活とレニングラード。それにオペラか。あとは? 他のマーラーは? ベートーヴェンは? ブルックナーは? チャイコフスキーは? 
 実は、オオウエエイジの勝率って、めちゃくちゃ低いんじゃないだろうか。

 わかんないや。

 終楽章は大運動会系でね。二人のティンパニが先導して息も切れ切れのトゥッティ。
 そして、フライング拍手。

 その、フライング拍手を背中で拒絶するオオウエエイジ。5,6人の拍手はやがて収まって。そして間髪入れずおっきな拍手。

 僕が驚いたのはね、フライングが起こったことではなくって。その拍手が熱狂的だったこと。言葉にならないブラボーの叫び声が、その興奮を物語っていて。

 えっ、そんな演奏?
 ホントに、驚いた。

 フライングはね、そりゃあ起こるよ。
 フライングを封じ込めるための、音の密度とか存在感とか、なんもないんだもん。
 でも、あんなに喜んでくれるんなら、それは良かったんじゃないの。

 今日のオオウエエイジには、僕は拍手を贈れないな。ソリストには惜しみない拍手を送るけどね。

 次回から始まる後半戦。
 もし、ブルックナーでこうならば。
 僕は、迷うことなくオオウエエイジを、見限るよ。

 ごめんね、じいさん。

2005年9月2日
「青少年のためのコンサート」 情熱の響き
大植英次:指揮
大阪フィル
ザ・シンフォニーホール 3階LLA列10番

バーンスタイン:ミュージカル キャンディード 序曲
サン=サーンス:歌劇 サムソンとデリラ より バッカナール
ラヴェル:ボレロ
マスカーニ:歌劇 カヴァレリア・ルスティカーナ より 前奏曲
レスピーギ:交響詩 ローマの松

 おかえりなさい、オオウエエイジ。

 さて。コンサートシーズンの夏休みも終わって。僕の復帰第一弾は、オオウエエイジの復帰第一弾。
 そう、バイロイトから、帰ってきたんだよ。

 青少年のためのコンサートだからね。ロートルは隅っこの方でひっそりと。って言うわけではないんだけどね。座席はホントに隅っこで。発売の週にとったのに、三階席のホントの端っこ。なんでだろう、って思ってたんだけどね。会場に来て納得。予想通りの嬉しい理由。
 そう、1,2階席は、中高生の団体さんでいっぱいなのでした。もちろん青少年のためのコンサートだものね、当然。
 というわけで、曲目もブラス少年少女だったらおなじみの曲を取りそろえて。どんなコンサートになるんだろうね。

 ちょっと早めに着いて、誰か知ってる人いないかなあ、ってきょろきょろして。誰もいないんだけどね。
 ロビーは制服姿の中高生でごった返してるけれど、3階席には子供連れが目立ってた。
 そうか、三階席って、パイプオルガンのパイプよりも上にあるんだ。天上の方が近いんだ。前に乗り出さないと、指揮台も見えないんだ。でもいいの、今回は。ロートルだからね。いさせてもらうだけでありがたい。

 さて、ステージの上にもわらわらと人が集まってきて。コンマスのおぼっちゃま君入って(って入ったの見えないんだけど)、チューニング。
 オオウエエイジの入場。

「バイロイトおめでとう」「おかえり」
 オッサンの野次に、曲のあたまの緊張感から一転、破顔して振り向いて、「ありがとう」って。
 そして、暗譜のタクトを振り下ろした。
 キャンディード。
 三階席は、完全に横向いてるからね。1階席後ろの壁に跳ね返った音が良く聞こえる。まあ、ここでバランスのはなししてもしょうがないんだけどね。身を乗り出して、普段より一回り、振りの大きいオオウエエイジの表情を見てた。
 キャンディードって、このプログラムの中では一番吹奏楽ぽいんだけど、演奏したことないんだよね、俺。佐渡も好きで取り上げたから知ってるけれど。
 同じ吹奏楽向けのアーティキュレーションなんだけど、大栗みたいな嫌らしさがないのはなんでなんだろう、とか思ったりして。

 曲の合間にはNHKアナの濱中さんとオオウエエイジのMCが入るんだけどね。オオウエのしゃべりは楽しいんだけど、濱中さんのMCはちょっとなあ。例えばこのコンサートをテレビで見てたら、それはいいんだろうけどね。生で見る、って言うのは、もろに伝わってくる、って言うことだからね。うるさいしゃべりとか、要らないんだよね。まあ、そんなに長くないからいいけれど。

 次、バッカナール。
 定期で聴いたんだけどね。踊りまくるオオウエエイジ。指揮台の上で蛇使いになったり象使いになったりして大忙し。オーボエの加瀬さんお休みだったけれど、楽しい演奏でした。
 ボレロの前にね、パーカッション出てきて、客席交えてちょっとした合奏。僕はすごく不安だったんだよね。イマドキの中高生って、そういうの楽しまないんじゃないだろうか、って。でもそういう心配はまったく不要でね。みんなで手を叩いたり、足を踏みならしたりする制服姿の子達は、ホントに楽しそう。オオウエエイジの楽しさが伝わってるんだね。よかった。

 そして、ボレロ。
 ボレロに関して、僕の許容範囲は本当に狭いからね、この演奏も、例えばテンポが速いとか、トゥッティのバランスが違うとか、そういうこと言い出したらきりがないんだけれど。でもやっぱり楽しいよね。関西一のオケの、腕自慢のソリストが腕を競い合う。やっぱりトロンボンがいいなあ。
 ところで吹奏楽でボレロって、一般的なんだろうか? うちの高校は、僕が入る1年前のコンクール、ボレロだったけれど。

 休憩はさんで、マスカーニ。これはよく分からないや。きれいだけれど。
 ただ、あまりにも短くて、これで終わり? って言うこともあったんだろうけれど、曲の終わりの緊張感と静寂。コンサートに来慣れてない子供達の方がそういうものを楽しむ術を知ってるんだね。

 さて、最後の曲間は、客席からの質問コーナー。マイクを持って客席を駆け回るオオウエエイジ。
 どんな練習をすればいい指揮者になれますか、とか、いつから指揮者になろうと思いましたか、とかのベタな質問に混じって。
「ずっと気になっててんけどな、あの黒い柱みたいの、なに?」 いいなあ、大阪。ちなみに答えはチャイムだったんだけれども。
 あと、オオウエエイジに、今一番したいことはなんですか? 
 大阪に家を買いたいです。
 買って買って。ずっといて。

 市長や助役も来ていて、オケのすばらしさと援助の必要性をずっと訴え続けるオオウエエイジ。音楽監督は楽じゃないね。

 というわけで。
 ローマの松。
 僕の前の席の、小学校低学年くらいの子供は、かわいくないことにキャンディードを一緒に口ずさんだりしていたのだけれど。
 ギロ(じゃないのかな?)とか水笛とか、ふつうのオケにない楽器が出てくるたびにはっとしたようにきょろきょろ。すごいね。
 もちろんオオウエのローマの松だからね。オオウエのローマの松、っていうイメージそのものなんだけれども。僕が大好きなトロンボンのソリが、よく見えて聴こえて大満足。

 そして。圧巻は、バンダ。
 ふつうはステージの後ろ側に出てくるんだと思うけど、今回のバンダは、客席の後ろに出てきた。それが鳴り始めたらね。今まで反射音ばっかり聴いていた僕の右耳が、初めて直接音を拾ってね。
 方向感覚が分からなくなって。
 そして、僕は音に包まれた。

 アンコールのトースト。バーンスタインの弟子だって言う誇りを保ちつつ最後までエンターティナーしたオオウエエイジ。
 ありがとう。そして、お帰り。

 今日、聴いた子供達の中から、クラッシックのファンや、そして楽団員さんがうまれるといいね。

2005年7月8日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第390回定期演奏会
クリスチャン・ヤルヴィ:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

ペルト:交響曲 第1番 ポリフォニック
トゥール:交響曲 第3番
ストラヴィンスキー:舞踊音楽 火の鳥 1910年原典版

 やばいよなあ。
 なにがやばいかって、別にそんなにやばくもないんだけれど。
 このごろ、大フィルに対する採点が、甘くなってきてるよな、俺。
 冷静に考えたらさ、どうかしてるよね、大フィルのプログラム。ダフクロ、シェエラザードときて、今回火の鳥でしょ。いいよ、青少年コンサートのシリーズものだったら。でも、関西を代表するオケの、定期のプログラムだからね。それは、やっぱりどうかしてる。

 どうかしてるんだけど。
 それが、とてつもなく楽しいんだよね。オオウエのベートーヴェンなんかより、どれもこれも楽しい。
 こんなんでいいんか? 大フィル。
 いや、こんなんでいいんか、おれ。

 もちろん、こんなんでいいんだけど。

 というわけで、今回の定期は、ヤルヴィ。じいさんの生前に、唯一定期でブルックナーを振ったパーヴォ・ヤルヴィの弟の、クリスチャン。
 この人、でっかい。手足がひょろっと長くって。パーマの長髪振り乱して、こっちを振り向くと。あ、トラボルタ。そっくり。

 どうでもいいんだけどね。
 なんで、前置きが長いかっていうとね、感想が短いからなんだよね。
 だって、ひとことで済んじゃうんだもん、前半。
 ああ、つまらなかった、って。

 ポリフォニック、っていう名前からして、やな感じだったんだよね。現代物。もう、最初の一音で、ホントに出て行きたくなったんだけど、我慢して寝てた。2曲目の途中からどうにも寝苦しくてね。寝ようにも寝られない。
 別に、演奏がへたっていうんじゃないんだけどね。若いヤルヴィは、しっかりとリハーサルをしたようできちんとオケも鳴ってるし。だから、これは100%曲のせいだと思うんだけどね。まあ、喜んでるお客さんもいたからいいんじゃない。

 もちろん、メインは次の火の鳥だからね、前座はどうでもいいんだけど。
 しかし、すごいヒト。ステージはぎっしり。ラッパとかチューバとか、学生さんでしょ、って思うくらい若い人がいっぱい、なれない表情でステージに並んだ。

 ヤルヴィ出てきて、一音目。
 弦バスのソリ。弓を使った音型と、同じフレーズを一人だけピッチカートで弾いて。ああ、そうやって出す音なんだ、これ。
 って思った瞬間にね、すっと中に入っちゃった。
 火の鳥って、たぶん組曲をよく聴くんだけど、全曲版ってどうなのかしら、と思ってたんだけど。どうやら知らないメロディはなかったから、なんかで持ってるのかな。
 どこだか忘れちゃったけれど、ホルンのソロ。よかったな。
 どこもかしこも楽しくて、どんな組み合わせでこういう音が出るんだろう、っていうところがいっぱいあって。2階席で聴いてたら、視覚的にも楽しめただろうね。
 トロンボンはもう少しならしてくれてもよかったけれど。

 終盤。学生さんらしきトラもみんなで大運動会。ムーティ率いるフィラデルフィアは息切れて、一音一音ブレスがきこえそうなくらいだったんだけど。ヤルヴィ率いる大フィルはもうちょっとタフで、もうちょっと余裕あるよ、っていいつつシンフォニーホールを大音量で埋め尽くした。

 僕は大満足なんだけどね。
 退屈だった前半と違うのは、もしかしたら僕が曲を知ってたかどうか、それだけなんじゃないか、と思うとちょっと、複雑だね。

2005年6月10日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第389回定期演奏会
現田 茂夫:指揮
ダヴィド・ゲリンガス:チェロ
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

リャードフ:交響詩 キキモラ
プロコフィエフ:交響的協奏曲
リムスキー=コルサコフ:交響組曲 シェエラザード
  en, ヴァスクス:チェロのための本 より

 いやあ、蒸し暑いね。梅雨だもんね。
 確かこれを聞いた時には、まだまだ爽やかな気候だったんだけどね。季節の移り変わりは速いね。
 というわけで、一週間前の演奏会なのだけれども。ああ、驚いた。
 あんなに印象的だったのに、あんまり覚えてないや。というか綺麗さっぱり、、状態。
 いけないね、こんなことでは。
 このごろ詰め込みすぎで余裕のないあたまを一度落ち着けて、記憶に残るあのシーンやあのシーンから、全体を引っ張り出して。

 ああ、何となく思い出してきたぞ。

 若い、指揮者さんなんだよね。しかも前半は知らないプログラムが並んでいて。正直、休憩プログラムだと思ってたんだよね。
 一音目が鳴るまでは。

 一曲目に、チェロやバスクラが鳴り響いた瞬間、なんだか分からなかったよ。
 シンフォニーホールって、音が響くホールなんだけど、聴こえてきた低音は、なんていうんだろう。ものすごく響いているんだけれどもホールに音が拡散するんじゃなくって、その場でまあるく留まる、みたいな。ちょっと毛羽だった堅めのマレットで叩いたティンパニみたいな、とっても立体感のある、不思議な響き。イングリッシュホルンも同じ響きがするんだよね。
 ぼくは、ソリストに拍手する時に、僕好みの演奏家どうかで、両手をあげての万歳型拍手から、全くなしまで、5段階くらいの格差をつけてるんだけどね、このイングリッシュホルンはやられたね。星5個半。もう立ち上がりそうな拍手。曲全体にもそうだけどね。ただ、あんまり気持ちよすぎて、少し目をつぶろうとうとうとした瞬間に終わっちゃったよ。短すぎ。

 既に大満足なんだけど。次のチェロ。
 チェロ協奏曲って、たぶん何回か聴いたと思うんだけどね、なんかいまいちなんだよね。その楽器のイメージから想像するほどの音量と存在感があんまり聞こえてこない、っていうことが多いよね。
 今回のソロは、片手で軽々チェロを持ってくるおっきなお兄さん。
 これがね。
 ああ、なんか悔しくなってきたな。隅から隅まで、覚えておきたい演奏だったのに。
 音の存在感がね、今まで聴いてきたソリストとはまるで違う。僕のイメージにぴったり。おっきくて、上から下まで浪々と鳴って、ホール全体から音が包み込んでくる。速いパッセージもお手の物でね。
 そして、何楽章だったっけな? ストリングスの五重奏になるところ。オケの1st奏者のアンサンブルだから、結構離れたところにいるんだけれども、これがもう、響きとしてひとかたまりにきこえてきてね、めちゃくちゃかっこいい。儲けた儲けた。
 最後は、ハーモニクスのカデンツァ、ばっちり決まったね。
 僕だけじゃなくって、会場中を魅了したチェロは、何度も何度もカーテンコールを受けて。
 そして、アンコール。
 知らなかったよ。
 一本の楽器に、あんなことが出来るなんて。
 宇宙人との交信、みたいな効果音っぽいミュートからはじまった現代曲なんだけど、バッハの無伴奏と比べられるくらい、どうしようもなく「唄」で。そして、自分の身体を楽器に密着させて、声で歌いながらのチェロの弾き語り。身体と共振したチェロと、チェロと共振した声。僕の目の前の、この一人の人間から奏でられている音楽なんて、とても信じられなくて。目が潤んだよ。
 もちろん、それは僕だけじゃなくって。本編でもなかったブラボーコール。アンコールで出てきたよ。
 もちろん僕も、星6つ。

 このごろソリストがおまけしてくれないことが多かった大フィルの定期。自信あるソリストはどんどんやってよね。お願いね。

 もう既に、ホントに大満足なんだけどね。休憩はさんで、本日のメイン。シェエラザード。
 リムスキー=コルサコフの煌びやかな曲は、あんまり大フィルのイメージじゃないんだけど、前回のラベルも聴かせてくれたからね、どんなもんか楽しみだね。

 最初はね、ちょっと遅めだったのかな。おぼっちゃまくんのヴァイオリンソロが各エピソードをつないでいくんだけど、その最初のソロは、あんまり色気ないんだよね。遅めのテンポと相まって、外さないように一生懸命がんばってます、みたいな感じでね。
 あと、トロンボン。有名なソリなんだけど、あれって譜割りが他と違うのかな?3連符じゃないのかな? なんかもたれるリズムなんだよね。終始一貫それだったから、たぶん譜割りの問題なんだけど、レコードで聴いてもあんまり気にならないんだけどな、なんだろう。要確認。
 そんな感じで、やっぱり大フィル、ていう出だしだったんだけどね。
 そういう時はこの人だね。腰をくねらすリズム感ではホントに聴かせてくれる、オーボエ。ここらへんから波に乗ってね。
 凄かったのが、おぼっちゃまくんのソロ。何回もあるんだけど、どんどん艶っぽくなっていって、あまりのエキサイトぶりに弦が切れて。バケツリレーで2列目のヒトが一生懸命直してる前で、隣のおっチャンの楽器を奪って演奏を続けるおぼっちゃまくん。後のヒトの楽器を弾いてた隣のおっチャンは弾きにくそうだったな。そういえばこのおっチャン、弾ききった時に弓をあげる癖があってね、最初、一人だけボウリングが違うのかな、って思っちゃったよ。見た目よくないから考えてね。
 そして、楽器が戻ってきて最後のおぼっちゃまくんのソロ。
 圧巻。
 豪快でそれでいて艶っぽくって。ああ、これが千一夜物語。
 前回に引き続き大運動会状態なんだけどね、これもまあ、いいジャン、楽しいから。

 現田さんて、大フィル定期初めてなんだね。初めてでここまでブン廻すなんて、いいね。ちょっとファンになっちゃったよ。

2005年5月20日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第388回定期演奏会
井上 道義:指揮
菊池 洋子:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

ラヴェル
  スペイン狂詩曲
  左手のためのピアノ協奏曲
  組曲「クープランの墓」
  亡き王女のためのパヴァーヌ
  「ダフニスとクロエ」第二組曲

 このごろ、辛口コメントが多くなって、心なしかアクセスも減ってるような。行ってるコンサートが減ってるだけなのかも知れないけれど。
 僕はプロの聴き手じゃないし、熱心なファンでもないから、コンサートを聴くのに絶対的な基準なんてないんだ。だから、いいだの悪いだの勝手に云ってるのは、それは僕の中の期待の大きさに対して、なんだよね。
 オオウエエイジに辛口になるのは、僕の中のオオウエエイジがとっても凄い指揮者だから、ってコト。あんまりお気を悪くされないようにお願いしますね。

 さて、新年度2回目の大フィル。前回は後半しか聴くことが出来なくて残念だったけれど、今回は余裕の5分前入り。えっと、曲目何だったっけ?

 あ、そうそう。
 今夜は何と、オールラヴェルプロ。しかもミッキー。
 実は僕、ラヴェルの大ファンなんです。今まで忘れてたけれど。まあ、高校でブラバンやってた人たちはかなりの部分、ラヴェルとかドビュッシーとかのフランス物が好きなんだと思うけど。
 とはいえ、ボレロ以外はあんまり持ってないんだよね、CD。デュトワ/モントリオールの4枚組以外は。もうこのCDでお腹いっぱい、って感じでね、ブルックナーやハルサイみたいにいろんな演奏あさりまくるって言う気がしないんだよね。
 モントリオールの、これぞフランス、っていう音、好きだなあ。

 という目で見ると。ミッキーと大フィルって、これほどラヴェルから遠い組み合わせって、他に想像つかないよね。朝比奈/大フィル? 確かに。 さて、どんな音がするんだろうね。

 ひさびさ梅沢さんのコンマスで、一曲目、スペイン狂詩曲。
 そうそう、想像したとおりのミッキーの音。この曲って、波間にたゆたう薄衣っていう感じの曲だと思ってたんだけれども、漂白剤入りの洗剤で洗ったシーツが風にばたばた揺れている感じ。指揮台で踊るミッキーもゼンマイ仕掛けのよう。
 これはもう、期待通りの演奏。何か安心しちゃうな。やっぱりこれが大フィルさんだ、って。
 続くピアノ協奏曲。菊池さん綺麗。
 一階席で聴くからか、左手一本のピアノが良く映える。ゴンゴン系。オケはまだ堅いけれど、僕は好きだな。このピアノ。

 ぎりぎりに飛び込んだからね、休憩時間にコンビニに行ってサンドイッチ食べて。
 そしてやっぱり開演直前にホールに戻って。あ、次の曲なんだったっけ。
 はじまったのは組曲。クープランの墓。そして、前半は姿が見えなかったオーボエの加瀬さん。いやあ、やられちゃったね。なんだろう、音色と音量とリズム感。それって全部じゃない、っていうほど他の人と違うんだよね、加瀬さんのソロ。特にフランス物にはぴったり。
 ミッキーの指揮もね、4曲目くらいからはなんかかちかちしたところがとれていい感じ。
 次の曲、パヴァーヌ。
 ホルン。
 これが唄だよ。鳥肌たった。
 苦しそうだったり、音外しそうだったり、息続かなさそうだったり。そういうことをいう人もいるかも知れないけれど。そういうことみんな認めた上で、これが音楽だよ。これっていうのは曲なのか演奏なのかわからないけれど、自分の息する音すら聴きたくなくて、ずっと息を止めたまま聴いちゃったよ。幸せだな。
 ここまででたぶん、僕はミッキーの罠にはまっていたんだね。

 そして、最後は。
 ダフクロ。
 この曲にはうるさいよ、俺。何てったって最高の演奏、聴いてるからね。

 忘れもしない、86年の吹奏楽コンクール。埼玉県選考会。埼玉栄高校。ちょうどその年に著作権が切れたラヴェルを、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団用の譜面を使って演奏した栄。鍵盤楽器が多い異様な編成の中、出てきた音は。
 僕は、確かに聴いたよ。
 いるはずのない、合唱団の声が響くのを。
 あれ以来、僕は吹奏楽に魅力を感じなくなったんだ。だって、あれよりも良い演奏に、出会えるわけないもん。
 もし機会があったら、CD探して聴いてごらん。全国大会でブラボーコールが出た演奏、まだ売ってるはずだから。

 あ、ミッキーだったね。
 というわけで、僕はこの曲が大好きで。
 しかも、この演奏も大好き。だって、楽しいんだもん。
 ひさびさに聴くこの曲、もっとなんていうか、シリアスな曲だと思ってたんだけどね。いやあ。鳴りまくるオケを縦横無尽に駆使して駆け回る、ミッキーの大運動会。革命の終楽章かっていうくらいの、飛び散る汗。
 全員の踊りなんて、たぶん、顔面崩壊してたよ、俺。にたにたして。もう、飛び上がってはしゃぎ回りたいくらいの大興奮。

 曲が終わって。
 このごろいつも思うけれど、拍手の受け方がめちゃ上手い、ミッキー。オケに敬意を表して、ソロに敬意を表して、そして誇らしげに辺りを見回して。何度となく続くカーテンコールに、いつも違った演出で拍手を受けるミッキー。ホントに久しぶりに、シンフォニーホールで手が痛くなるくらい、拍手を続けたよ。ありがとう、ミッキー。
 
 そうそう、どうでもいいけれど、2ndオーボエの女のヒト、橋本奈月さん? 客演?
 めちゃくちゃカワイイ。加瀬さんとのソロの掛け合いも面白かったし。またきてね。

2005年4月22日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第387回定期演奏会
大植 英次:指揮
ザ・シンフォニーホール 1階J席30番 A席

ベートーヴェン:交響曲 第7番

イミテーション・ゴールド?

 本当は、ベルリオーズとか、バーンスタインもやってたみたいなんだけれどもね、東の方に出張で、なんとか戻ってきてベートーヴェンだけ聴けました。

 年度が替わって、オオウエエイジ3年目。
 そして、初のベートーヴェン。いずみホールでやった4番聴けなかったからね、僕にとっての初、っていう意味だけれど。しかも7番。
 ベートーヴェンの中で、どれが傑作か、っていわれたらそりゃあ9番とか3番とかが来るんだろうけれど、どれが好き、っていわれると断然、7番なんだよね。じいさんの、「あの」7番聴いて以来。
 というわけで、オオウエエイジ、この7番をどう料理する? っていう緊張感で臨んだんだけれど。そうそう、今回からちょっと席が変わって1階席の通路後。こんなに近いんだ、1階って。

 タクを降りてホールに入ったら、1部の途中でね。もう入るタイミングがないからモニタで見ててください、って。曲の途中から、モニタで見てもしょうがないので、ホワイエでコーヒーとケーキ食べてね。プログラム読んでた。
 大フィル定期のプログラムには、前回定期のお客さんのコメントが載ってるんだけど、フライング拍手に関するコメントが多かった。もちろん取捨選択は大フィル側がやってるんらだから、これはフライング拍手するなっていう大フィルのメッセージなんだけれども。
 そんなん、演奏で押さえ込みなさいって。だらだらした演奏しといて、客のモラルのせいにするなんてイカンでしょ。

 1部が終わって、出てくるお客さんと入れ代わりで客席に。ステージを見ると、あれ、弦バスが左にある。今回はヴァイオリンが左右に張り出した両翼型、っていうんだっけ?。どんな響きがするんだろう、わくわく。

 ステージに団員さんが入ってきて。コンマスのおぼっちゃまくんまではいってスタンバイ。袖のステマネの合図でチューニングして。
 オオウエエイジがやってきた。

 前に、ベートーヴェンの序曲を振った時とは打って変わってにこやかなオオウエエイジ。暗譜の棒を派手に振り下ろした。

 

 そりゃあ、ね。ベートーヴェンの7番だから、ね。1階席で聴く音って、迫力あるよ、ね。両翼に広がったヴァイオリンのステレオ効果って、面白い。ね。
 でも、思ったよりも、っていうか期待したほどには、こないね。セカンドヴァイオリンの音、1stに比べるとちっちゃいし(向きが向きだからしょうがないんだろうけれど)、チェロの音、もこもこしちゃってるし(向こういっちゃったからかなあ)。フルートのソロ、無理に装飾音入れてるみたいでかさかさした音だし。
 1楽章はひたすらの上昇音型が楽器をとっかえひっかえしながら続くんだけれども、その楽器の変わり目が、なんか目立つんだよね。なんでだろ。
 あざといほどにテンポを揺らすオオウエエイジの指揮もあって、ちょっとおいて行かれちゃったな。
 もちろん、僕の期待の閾値が、じいさんの7番にあるのがすべての原因なんだけどね。

 1楽章終わって、指揮棒を降ろさずにはじめた葬送行進曲。ここでも。なんか湿っぽくない。たぶん、低弦の音価が短いんだよね。楽典的にとかいうんじゃなくって、僕のイメージに比べて。歯切れがいい。別に悪いことじゃないけどね。

 3楽章。ラッパのロングトーン。バランスは完全に僕好み。なんだけどね。音量豊かなトランペットは余裕綽々で吹いていて、悲壮感がないんだよね。スケルツォなんだから、当たり前かも知れないんだけれども。これは僕の完全なわがまま。

 そして、3楽章から休みなしで走った4楽章。
 ここはもう、何にもいうことありません。ワーグナーが絶賛した大運動会。走れ、飛べ、跳べ!! 汗びっしょりのベートーヴェン。
 大盛り上がりのままフィナーレへ。フライング拍手がどうとかそんなしょうもない議論なんて吹っ飛ぶほどの拍手の嵐。ブラボーの嵐。何人かのスタンディング・オベーション。

 4楽章だけで辻褄逢わせたって、だまされないぞ。
 って思ってた僕は、おっきな拍手を送りながらも、ちょっとだけ醒めていた。

 なんかね。
 じいさんの時の大フィルって、ブルックナーのトゥッティみたいなブ厚いところでは信じられない様な凄い音を出すんだけれど、どっか垢抜けない野暮ったい感じってあったと思うんだよね。
 オオウエエイジになってから、その垢抜けなさが一皮むけて、煌びやかな音を出すようになった。

 あくまで僕のイメージだけどね。

 でもね。その器用さ、煌びやかさの裏側で、丁寧さがどっかいっちゃったんじゃないのかな。
 1から3楽章まで、丁寧に演奏しなくちゃいけないところに必ず感じた違和感。それを違和感と感じさせていたじいさんの魂が、大盛り上がりの4楽章で、抜けていっちゃったみたいに感じた。
  そのやり方で通すんなら、俺はもういらないな、って。
 3年目だからね。もちろんそれはそれでいいんだろうけれども。

 でもなんか、寂しいよね。それって。

2005年3月18日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第386回定期演奏会
大植 英次:指揮
ザ・シンフォニーホール 2階BB席31番 A席

マーラー:交響曲 第6番「悲劇的」

 オオウエエイジのアタリとハズレ

 年度末だね。普段はあんまりそういうことを意識しないんだけれども。5枚綴りのチケットの、最後の一片ををもぎると、ああ、年度末なんだ、って。
 オオウエエイジが来て、2年目のシーズンの終わりの演奏会なんだ、今日は。1シーズン4回と、巨人とこの前の悲愴で、つまりシンフォニーホールでの10回目のオオウエエイジってことなのかな。

 まだはっきり覚えてるよ。最初のオオウエ体験。マーラー復活の、冒頭のチェロと弦バス。これだけで僕はオオウエエイジのとりこになった。そして、今日は10回目。またマーラー。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。

 僕はマーラーの熱心な聴き手ではないからね。6番といわれてもよく分からないんだけれども。まあ、2番の時だって同じだったから、全然心配もしていなかったんだけれどもね。前の週末に一回、バーンスタインの6番を聴いて予習して。

 軽くお腹をふくらます暇もなく、5分くらい前に席について。今日は仰々しいカメラとマイクがいっぱい。それにもまして、椅子がいっぱい。5,9,4,1の金管、コントラファゴット入れてファゴット5本、ダブルリード計10人? フルート5,ハープ2、パーカッション7、おまけにでっかい木槌?? まあよくステージに乗ったね。

 お坊ちゃまくんとガイジンさんのダブルコンマスのチューニングのあと、入ってきた暗譜のオオウエエイジ。

 そして、曲が始まった。

 あれ、って。最初の一音で思ったんだよね。なんだこれ? 緊張感も、音の密度もない弦。おっかなびっくりでフレーズの始めと終わりの分からないラッパとトロンボンのソロ。
 2階席まで全然とんでこない音。

 ちょっと待ってよ。この間の悲愴の音は、緊張感はどこに行っちゃったのよ。これじゃあまるで、、

これじゃあまるで、前回の定期みたいじゃないか。

 もちろん、マーラーの曲は視覚的にも聴覚的にも楽しいんだけれどもね。今回はなんか、ちっとも楽しめなかったな。ステージ脇からちょこちょこ出入りして左右の袖で叩く打楽器も、普段見慣れない呼び鈴のお化けみたいな鈴も、音楽と分離した単なる効果音、っていう感じだし、ハープのピチカートはチェロと完全にずれてるし。ラッパのミュートもなんか煮え切らないし。
 複雑なスコアは、その複雑さを消化してその中からなにかが浮かび上がってきた時に初めて意味を持つと思うんだけれども、なんかバラバラにいろんなことをやってる、としか思えなかった。
 コンマスのソロとかね、イングリッシュホルンやバスクラとか。それから一カ所落ちちゃったけれどホルンのソロとかもよかったんだけどね。

 ちょうど花粉に直撃されてて、鼻水とまんなかったりあたまぼおっとしてたりしてたこともあって、ちょっとうとうと気味だった。聴いてて面白くないし。

 3楽章の、一瞬のホルンのソリで目が覚めて、これからラストに向かって突っ走るぞ、と思ったんだけどね。4楽章になってもあんまり。
 仰々しいハンマーも、出てくる音は別に響き渡る訳じゃないし。

 要は、僕はマーラーの6番に音楽を感じられなかったんだな、結局。じゃあオケの機能を目一杯鳴らし切るスペクタクルとして面白かったかっていうと全然だし。
 面白くないのが曲のせいなのか演奏のせいなのか知らないけどね。バーンスタインの聴いて思った印象とはかなり違ったね。

 ラスト、っっっジャン、っていって終わるんだけど、最後の音と同時に威勢のいいフライング拍手。オオウエエイジの背中の緊張感に押されて追随者のない拍手はすぐに途切れて。改めての静寂のあとの割れんばかりの拍手。

 居心地悪かったな。僕はこの演奏には拍手できなかったから。幾人かのソリストにはおっきな拍手をしたけどね。
 たぶんフライング拍手を恨んでるヒトいっぱいいるんだろうけれど、それを押さえきれない程度の演奏だったんでしょう。

 この曲を持って、この連休にオオウエエイジと大フィルは、東京とつくばに行くんだよね。来日オケのよくやるこの曲、東京じゃあそんなに珍しくないよ。受け入れられるんですかね。
 まあ僕の心配することじゃないんだけれど。

 あらかじめいっておくよ、東京で初めて聴くヒトに。

 オオウエエイジって、こんなもんじゃないんだよ。
 アタリが出たら、ね。

2005年2月24日
スマトラ沖大地震 チャリティコンサート
大植 英次:指揮
ヒラリー・ハーン:ヴァイオリン
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階BB列37番 A席

ワーグナー:楽劇 トリスタンとイゾルテ より 前奏曲と愛の死
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番
  en; バッハ ソナタ第3番より ラルゴ
     ストラヴィンスキー:ロシアの娘の唄 w/大植英次
     バッハ:シチリアーノ
チャイコフスキー:交響曲 第6番 悲愴
  en; エルガー:エニグマ変奏曲 より

スマトラ沖大地震で亡くなった、十数万人の方に、合掌。

 悪夢の大惨事。その復興へのささやかな援助として開催されたチャリティコンサート。まずは急な開催に尽力したであろうスタッフの方と、楽団員の方と、そして大植英次に、ご苦労様。

 その趣旨に従って、入り口ロビーにおいてある募金箱にまず、お参りをして。
 そして二階席へ。いつもよりもちょっと右寄り。あれ、このアングル、見覚えが。そうか、僕が3回聴いたじいさんのブルックナー、一つ隣の席だったっけな。

 本日の出し物は、まずワーグナー。バイロイトでワーグナーを振るオオウエのトリスタン。トリスタンとイゾルテってたぶん僕が一番最初に買ったクラッシックのレコードの中に入ってた。バーンスタイン/ニューヨークのワーグナー作品集。今となればワーグナーの1stチョイスでは買わない演奏者だって思うんだけどね。このレコードの中に入ってた前奏曲と愛の死。一番好きだったな。
 ワーグナーって、地獄の黙示録に使われたワルキューレのイメージで、ブラスばりばりを期待してたんだけど(トロンボン吹きだったからね、当時)、トリスタンだけは弦が主で。でもなんだか分からないうちに持ってかれちゃう、っていう。
 ああ、オオウエエイジのワーグナーだったね。
 今回はおぼっちゃまくんを隣に従えてガイジンさんのコンマスで。この人特有のうだうだしたチューニングのあと、オオウエエイジが入ってきた。いつものようににこにこ、溌剌というわけではなく、ちょっと重たい雰囲気。
 そして、出てきた音は。

 はじめ、何が起こってるのか、よく分からなかったよ。いつもの定期もだいたい同じような距離で聴いているのだけれども、このごろはあんまり満たされる感覚を味わうことがなかったんだ。じいさんのブルックナーや、オオウエの復活みたいな、身の置き所もなく音に満たされるっていう感覚、忘れかけてた。
 それがね、この曲。とてつもない緊張感を背中に纏ったオオウエエイジ。振り下ろすタクトから出てきた音は、10人のセロ弾きが奏でる極限のピアニシモ。咳払いさえも拒絶するオオウエの背中。耳を澄まさないと聴こえない音量なのに、それでもホール全体を満たす響き。
 もう、ね。
 スギ花粉のせいで緩くなった涙腺は、最初の10小節で崩壊。そうだよ、これがオオウエエイジだよ。
 ばりばり活躍する訳じゃないんだけどね、ブルックナーならホルンが担当する様なトロンボンのロングトーン。その音の移り変わりの柔らかさ。ファゴットのソロ。最後ちかくの、弓を大きく振り回しながら雄大なメロディを奏でるヴァイオリン。
 そして、ラスト。
 音の余韻が消えるまで、頑なに拍手を拒むオオウエエイジの背中。
 その迫力に聴衆の勢いがせき止められて、長い長い静寂の後、一気にはじけ飛んだ。
 カーテンコールでオオウエエイジが一番に立たせたのは、もちろんチェロ。僕も最大限の拍手を送りました。

 ワーグナーの余韻がさめやらない中、出てきたのはヴァイオリンのお姉さん。ヒラリー・ハーン。遠目にも分かる麗しさ。
 口に人差し指をあてて会場を静かにさせてから、メモを片手に英語と日本語でメッセージ。「助け合うことが、大切なことです。今日はチャリティーコンサートにきてくれて、ありがとう」
 そして、プロコフィエフ。
 いやあ。
 びっくりしました。脱帽。なにって、音がでかい。でかいっていうか、オケの中に埋没しない。めちゃくちゃ激しい自己主張。たぶん結構技巧的にムツカシイ曲なんだろうけれど、普通に聴こえる。こんなカワイイ姿形からこんな剛胆な音が出てきていいんでしょうか、っていうくらい。
 カーテンコールのあとのアンコール。
 無伴奏ソナタのラルゴ。僕は、初めて聴いたよ。この曲がこんなに唄われているのを。ゆっくりとしたテンポが、通奏低音とメロディを同時に奏でる不自然さを消して、唄うバッハ。ああ、これなんだ。僕が聴きたかったバッハ。花粉で陥落寸前の涙腺が、またゆるんできたよ。
 さらに幾度かのカーテンコールのあとは、オオウエエイジがピアノを弾いて、舞台の端でストラヴィンスキー、もう一曲バッハ。オオウエのピアノはまあご愛敬って程度だけれども、ピアノと一緒に唄うヴァイオリン、端っこで弾いているから姿を見ることの出来ない2階席のお客さんを気にする愛くるしさ。いやはや、グラミー賞は伊達じゃないね。
 最後のアンコールの前に、休憩時間にサイン会するよ、っていってたから、一階ロビーは長蛇の列。サインをしているヒラリーちゃんを見に行ったんだけど、めっちゃかわいい。
 でもみんな、サインもらったら募金もしようよ。誰も募金箱には見向きもしなかったから、たまりかねてサインしている机のすぐそばに箱移動したら、って係の人に言ったんだけどね、どれくらい効果あったのかな。まあ大阪だからな。

 休憩終わって、チャイコフスキー。
 6番て、悲愴っていうタイトルにだまされるけれど、派手な曲だよね。
 オオウエの悲愴は、そりゃあもう、速い速い。力強く弾かなきゃいけない弦のフレーズがもたるほど、ベルトーンが崩壊するも何もベルトーンとして成り立たないほどに飛ばす飛ばす。
 その速さのせいなのか、それともワーグナーやコンチェルトで耳がピアノに慣れているのか、フォルテのトゥッティは迫ってこないんだよね。なんか一枚、薄皮をかぶっている感じ。耳がハウリング起こしてるのかな、そういう訳でもないみたいなんだけど。
 もちろん威勢のいいことにはかわりがなくて、しかもチャイコフスキーだからね、3楽章なんてもう手に汗握って大興奮だったんだけど。前の席の女のヒトなんか、3楽章の終わりに、もう飛び上がって手を叩かんばかりだったもんね。直前に気がついて思いとどまったけど。僕も同調したかったな、その拍手に。
 その大盛り上がりのお祭りのあと、終楽章は打って変わって、これぞ悲愴。
 肺腑を抉るトロンボーンの悲痛な叫び。そして静かなフィナーレ。
 拍手を拒否するオオウエエイジの背中、強張ったままの全身。オオウエエイジが弛緩する直前に巻き起こった、嵐のような拍手。
 いつもなら得意満面に客席を見渡すオオウエエイジ。今日は楽団員を讃えるとそそくさと立ち去った、目のあたりを手のひらで隠しながら。
 何度も呼び戻されるオオウエエイジ。ひたすらにパートを立たせるオオウエエイジ。時々額に手をやるオオウエエイジ。コンマスによじ登るようにして抱き合うオオウエエイジ。
 フィナーレがもっと続いていれば良かったのにと、僕はぼおっとしていたのだけれども。長い長いカーテンコールが、それを余韻に変えていったよ。
 そして、指揮台に上って客席を向いて。
「ヒラリー・ハーン上手かったでしょ? 三週間前に決まったチャリティーコンサートにこんなに集まって頂いて本当にありがとう」
 の後に演奏したエルガー。

 ありがとうはこっちの台詞だよ、オオウエエイジ。ばたばたしたであろうチャリティーコンサートで、こんなにも凄い演奏をしてくれて。

 楽団員さんの持っている募金箱に再びお参りをして、帰りました。
 もう一度、合掌。

2005年2月17日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第385回定期演奏会
阪 哲朗:指揮
アリソン・エルドリッジ:チェロ
ザ・シンフォニーホール 1階S列11番 A席

シャブリエ:歌劇 グヴァンドリーヌ 序曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲 第1番
フランク:交響曲

 ちょっと書くのが後先になっちゃったけれど。
 
 今回の定期は、日程の関係で一日目に変更してもらって。ひさびさに一階席で聴くシンフォニーホール。
 客席についてステージを見るとね、あれ? 圧倒的な違和感。一階と二階でこんなに違うんだろうか、って一瞬思ったんだけど、そうじゃないんだね。1stと2ndのヴァイオリンが両翼を占めて、弦バスが左に、ハープが右にいるその違和感。さて、どんな音が出てくるんだろうね。
 
 と言いつつね。ほとんど印象に残ってないんだよね。
 オールフランスプロでそれはそれはドビュッシーとかラベルとか、ピエルネのような響きを聴かせてくれるのかと思ったんだけどね。
 そうではなくって、シャブリエでは泡のはじけるシャンパンではなく、泡の消えたビールのような。なんていうかフランス物に良くある音の装飾ばりばりではなく中低音でしっかり音を作って、みたいな。ちょっと土着の雰囲気のする音。
 サン=サーンスで出てきたチェロのお姉ちゃん。ポスターでみるとおきゃん(死語(爆))でお転婆なお姉ちゃんなんだけど、ちょっとイメージ違ってしずしず系。僕の中でのチェロって言うのは、たった一本でホールを満たしてしまうような恐るべき楽器なんだけれど、残念ながらそういう場面には出会わなかったな。
 
 休憩終わってのフランク。これ、朝比奈さんのCDあったね、そういえば。曲は知ってた。
 ただ、フランス物かって言われるとね。結構ブ厚い系のドイツの匂い。端々にフランスのそこはかとない匂いもするんだけどね。
 でも、ごめん。
 ほとんど印象に残ってないんだ。それは、オオウエのワーグナーをこの後に聴いちゃったからとか、ハーンのヴァイオリンを聴いちゃったからとか、いろいろあるんだけどね。
 
 関西で有力若手らしい阪哲朗。レパートリーの奇抜さじゃなくって演奏で勝負できる曲が聴きたかったな、大フィルデビューなら。
 
 という訳で、ちょっと中途半端な定期でした。
 って、そのあと夜行バスで東京に向かった僕の心理状態にかなり負ってるんだけどね。

2005年1月28日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第384回定期演奏会
若杉 弘:指揮
北野タダオ&アロージャズオーケストラ
ザ・シンフォニーホール 2階BB席31番 A席

グルック(ワーグナー編曲):歌劇 アウリスのイフィゲニア 序曲
リーバーマン:ジャズバンドと交響管弦楽のための協奏曲
  en1:セントルイス・ブルース・マーチ(前田憲男編曲)
  en2:A列車で行こう
チャイコフスキー:交響曲 第4番

かまぼこ大フィルの、異種格闘技

 さてさて、1月の大フィルさん。
 これはねー、クラッシックのページに載っけちゃっていい物なのかしら、ってちょっと迷ったんだよね、だって。。
 今回大フィルと競演するのは、なんと、ビッグバンド。リーバーマンっていうヒトの、ジャズバンド・コンチェルト。はてさて、どんな音楽が飛び出すのでしょうか。

 一曲目はね、グルックの序曲。とはいえ全然知らないんだけれどもね、グルック。プログラムを読むと、モーツァルトと同じ時代のヒトらしい。それにしては、オケの編成、でかくない?
 普通管楽器がのっかってるひな壇に、バンドさんのハコ譜と椅子がスタンバイしてるから、オケはみんな下に降りていて。だからよけいに密度が高く見えるんだろうけれど。でも弦バス8って、この前のブルックナーより大きいよね?

 ひさびさコンマスの梅沢さんのチューニングのあと、入ってきた若杉さん。そして、出てきた音は。
 ちょっとびっくり。
 この序曲、たぶん曲とか音の作り方って凄くシンプル。各パートの役割と音型がはっきりしていて、わかりやすい。
 それにしても。あたまのヴァイオリンのフレーズとか、それに続くチェロとビオラのユニゾンとか。信じられないほどの存在感と音色のクリアさ。ブル3を裏から聴いたから、耳がそっちに慣れちゃったのかな、とも思ったんだけれども、それにしてもこんなの聴いたことがない。
 たぶん、モーツァルトの時代の脳天気な音楽を、作曲した時に想定した3倍もの人数で丁寧に演奏するとこういう効果が出てくるんだね。めちゃくちゃいい気分で、楽しく聴きました。
 このクリアな音色、っていうのが、今回の演奏会のミソなんだけれども。

 次に出てきた、ビッグバンド。バスドラ、スネア、タムとハイハットにシンバル1っていうスウィング時代のタイコ。3リズム5,4,4のフルバンド。
 曲はね、ビッグバンドを一つの楽器に見立てたコンチェルト。もちろんオケの部分もそれなりにジャズっぽいのだけれどもね。
 見所はね、なんといっても、バンドのパートでタイコが4ビート刻んでる時に、一生懸命クラッシックの棒振りをする若杉さん。
 4ビートっていうのは、まあジャズの基本のリズムで、ちーーっきちーーっき(1文字三連符1個分)っていうやつなんだけれども、これはッキのにアクセントがあるんです。小節でいえば2,4拍目が強い。一方、若杉さんの振るクラッシックの四拍子っていうのは、弱って、1,3拍が強い。あのタイコを聴きながら普通の4拍子に振れる若杉さん、なかなかミスマッチで面白かったです。
 バンドさんは、スタンドプレイあり、ソロも満載で楽しそうだったんだけれどもね。ただ一点。若杉さんが振るのをやめた、ホントのオープンのソロが一カ所、あったんだけどね。テナーサックスとトランペットの掛け合いで。そこのテナーがヘタ。たぶん他のところは書き譜のソロで、そこだけがアドリブなんだと思うけど、クラッシックのお客さんに、ジャズマンの凄さをみせてやるんだ、っていう気概に満ちたソロとは、いえなかったなあ、どう聴いても。もちょっとがんばって欲しかったな。
 あ、オープンっていうのは、ソロの長さが決まってないで好きなだけソロ吹く、っていうことです。

 しっかし、この曲。大受け。お客さん大喜び。若杉さんの何度かのカーテンコールのあと、恰幅のいい白髪のオッサンが出てきて、それまでバンドでピアノを弾いていた若いおねーちゃんと替わった。そう、この人がバンマスの北野タダオさんなのでした。
 そしてアンコール。セントルイス・ブルース・マーチ。演奏し慣れない曲を譜面見ながら一生懸命やっていた今までとはちがって、やり慣れたブルース。そりゃあ生き生きしてるよね。

 ずっと目はひな壇の上のバンドだけにくぎ付けだったのだけれども、ふと周りを見回したら、ちょっと見られない、面白い光景があったよ。
 それは、ひな壇で演奏するバンドを見守るオケの人たち。当然オケの後ろにバンドがあるわけだから、オケの人たちは身をよじって後ろを向いてるんだけれども。黒い服を着たヒトがみんな背中を向けて一心不乱に一方向を向いている様子がね、ブルースブラザースの最後、ビル中を埋め尽くしたヒトに銃を向けられるジェイクとエルウッドの場面にそっくりで、一人で大笑いしてしまいました。

 アンコールのあと、バンドさんはステージを降りて。それでも鳴りやまない拍手。
 バンドさんもう一度ステージに帰ってきて、整列して一礼、退場。それでも鳴りやまない拍手。
 とうとうバンドさん、もう一度帰ってきて演奏。A列車で行こう。さっきのソロ不調だったテナーは曲始まってからあわてて戻ってきた。いち早くビールで乾杯してたのか、体調不良でトイレに立てこもってたのかは知らないけどね。まあいいや。

 一応ここは、関西で一番立派なオケの定期演奏会だからね。「こんなのクラッシックじゃない」って眉をひそめる人が多いのかと思っていたら、全然そんなことなく、みんなノリノリでした。
 忘れてたね、ここが大阪だってこと。

 アンコール引っ張りすぎて、もう演奏会終わった気分になってるけれど、そういえばまだ残ってるんだ、チャイ4。
 僕の中でのチャイコフスキーってね、ロマンティックな大騒ぎ。
 そう想って聴くとね、いいんだ、今日のこのオケの音。はきはきしてクリア。
 なんでこういう音色なんだろう、って思ったんだけどね、アンコール嬉しそうに聴く楽団員さんを見てて分かったような気がするよ。バンドさんの影響だね。いや、憶測だけど。

 アマチュアがジャズの曲を練習する時に、かまぼこみたいな音を出せ、っていわれるんだ。かまぼこの切り身みたいな、音の出はじめと終わりがビッタリ途切れるような音。ジャズはビートの音楽だからね、管楽器の音でもビートを表現する。そのためのかまぼこ音型。
 一方クラッシックは、音の始まりと終わりって、フェードイン・アウトだよね、基本的に。音の立ち上がりの遅い弦楽器に、かまぼこ音型を出せっていっても無理だし。
 このフェードイン・アウトのオケの人たちが、バンドさんとリハすることによってかまぼこに引っ張られたんじゃないか。だから、グルックもチャイコもクリアな響きがするんじゃないか、って。憶測だけどね。悪くないよね。

 チャイコは、1楽章の終わりで拍手が来た。ってことは、普段クラッシックを聴かないアロージャズオーケストラのお客さんも来てたってことだね(バンドのメンバーだっていう可能性もあるのか?)。
 どう、楽しかったでしょ? クラッシックも。

 今日の大受けの仕方からすると、お客さんの何人かは、アロージャズのライブにも行ってみよう、って思うんじゃないかなあ。僕もその一人だけれど。
 そういう異文化との交流って、大事だよね。

 まあ、楽しければなんでもいいのだけれど。

2005年1月12日
大阪シンフォニカー交響楽団 第97回定期演奏会
児玉 宏:指揮
木野雅之:ヴァイオリン(日フィルコンマス)
ザ・シンフォニーホール 2階W列23番 A席

 
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ブルックナー:交響曲 第3番 ノヴァーク版第2稿
 

 あけましておめでとうございます。
 ちょっとだけ模様替えをしました。今年も相変わらずの内容になると思いますが、よろしくお願いいたします。

 というわけで、年初の一発目は、前回に引き続き大阪シンフォニカー、のクワイア席。だって安いんだもん。あ、安いのは、NPOがやっているまちねたっていうチケット紹介サイトで買ってるからね。
 この演奏会も、限定30席でクワイア席売ってたけど、たぶん買ったのは僕を入れて3人。。他にも割引チケットあるから、興味のある人はまちねたまで行ってみてね。(もちろん僕には何の得にもならないんだけど、誰も使わなくって無くなっちゃったら寂しいからね)

 余談はさておき。
 シンフォニカーだけどブルックナーだから、結構お客さん入ってるのかな、と思ったのだけれども、ちょっとマイナーな3番のせいか、結構目立ち目の空席。クワイア席には3人だけ、だから正面から見てる人はもっと思っただろうね、空席だらけ、って。

 一曲目は、男の人の弾くメンデルスゾーン。これは初めてやな、きっと。とか思ってステージを見下ろすと、あれ? 弦楽器しかいない。メンデルスゾーンって、こんな編成だったっけ?
 もちろんそれは違うんだけどね。
 指揮の児玉さんが入ってきて、客席を向いて(僕には背中を向けて)しゃべり出す。昨年襲った台風、地震、大津波に戦争。そしてあれから10年目、これから60年目の区切りに、音楽での追悼。
 曲名はわかんないけどね、フルの弦楽合奏での追悼曲。
 もちろんプログラムにはない追悼曲だから、あれこれいうつもりはないんだけれど、これを聴いているうちに思っちゃったんだ、あ、このオケ、上手くないんだ、って。
 それは、後ろから聴いているから、っていうのが大きいのだろうけれど、響きががさついてるんだよね。ふつうの客席から見ると、譜面台って黒いでしょ。クワイア席から見るともちろん、譜面台に乗っかってるパート譜が見えてね。その紙が共振してるんじゃないか、っていう様なぺらぺらした響きがするんだよね。
 追悼曲だから、もちろんそれなりにしんみりした雰囲気にはなって。曲が終わって、パラパラした拍手。もちろん指揮者は応えずに下がっていって。そして協奏曲のために管が入り、弦が減って。
 そして、メンデルスゾーン。
 これね、結構びっくりした。びっくりしたのは、その無造作さ。
 たぶん聴いたらみんな知っている、この曲の出だし。これぞロマンティック・ヴァイオリンっていう官能的なメロディ。それをね、なんとまあ無造作に。
 これまで聴いたお姉さんがたのメンデルスゾーンが、今時滅亡した恋に恋する乙女の初体験のようにもったいぶっていたとしたら、木野さんのメンデルスゾーンは、不倫に燃える渡辺淳一の小説のおじさんが、奥さんと寝る時みたいに(あくまで想像上)ぶっきらぼう、無造作。
 その構えないぶっきらぼうさがね、新鮮でちょっといい。
 いいんだけど、長いよね。この曲。
 むやみに色気を絞り出さない心地よいソロで、うとうとしてしまいました。

 休憩終わって、ブルックナー。もちろん僕はこれを聴きに来たんだけどね。
 大フィルに比べたら、それはそれは小さい編成。弦バス6,ホルン5。もちろん出てくる音だけが大事なんだけどね。

 しっかし。
 クワイア席から、ラッパやホルンのパート譜が見える位置から、ほぼ演奏者の視点、聴点から聴いたんだけれども。
 やっと分かったよ、じいさんがこの曲、怖い曲だって云ってたのが。
 めちゃめちゃ怖いね、この曲。

 ラッパやホルンのパート譜見てると、リズム打ちか上昇、下降音型しかない。メロディーらしいメロディなんてありゃしない。
 しかも各フレーズはブロックごとに独立していて。それが寸分の狂いもなく組み立てられたとき「だけ」天上の音楽が湧いてくる。
 それは、ベニヤ板で出来た樹や草むらを組み合わせて、ファインダーで覗いた時だけ意味をなすTVのセットみたいな感じで。ほんのちょっとだけ視線がずれたり、セットの配置がずれただけでめちゃくちゃチープになってしまう。
 じいさんの3度目の全集でも、怖がってスタジオ録音にしたのは、マイクっていう特定の視点だけを意識して作りたかったんだね、曲を。

 そういう曲を、プレイヤー側の視線で見るとね、めちゃくちゃやりにくい。
 自分の出している音が、ステージで鳴っている曲が、客席にどう伝わってるのかが分かりにくい。普段生音で練習しているビックバンドが、本番のホールでモニタから返ってくる音に慣れるまえに本番終わっちゃたみたいな妙にふわふわした感触。
 もちろん演奏しているのはプロの人たちだから、確信を持って演っているんだろうけれどもね。
 クワイア席から聴く3番は、なんかTVのセットを後ろ側から見ちゃったような、そんな居心地の悪さを覚えていたのだけれども。

でもね。

 フィナーレのコーダのラッパ。それまでは特に1stに思い切りの悪さを感じたりしてたんだけれども。このコーダで踏ん張るラッパを聴いてると、なんか、なんかこみ上げてきた。
 ああ、これは若い音楽なんだ、って。
 「必死」っていう言葉がぴったりなフィナーレで、分かったような気がしたよ。
 ああ、ブルックナーって、一つじゃないんだ、って。

 ああ、楽しかった。
 でも、次からはやっぱり前から聴こう、っと。