左側に、日付とタイトルのカラムが出てない人は、こちらを押してね。

おかげさまで、10,000アクセス達成です。今年もよろしくお願いします。
今年の始動は、来週あたり、かな。

番外編

朝比奈/NHK交響楽団 ベートーヴェン 交響曲 第9番のこと

 今年は聴きにいかなかったんだ。第九。
 って去年も一昨年も行ってないんだけど。

 その代わりといってはなんだけどね、ちょっと姿勢を正して聴いたよ。家でね。
 じいさんの第九。N響とやったやつ。

 じいさん亡くなってすぐは、ブルックナーばっかりがどんどん発掘されて発売されていたのだけれども、今年はやっと、ベートーヴェンにも陽が当たるようになって。N響とやった選集に引き続き、第九も発売された。
 なんで第九が選集にはいんなかったかはよく知らないけどね。正式なプログラムではなくてヴァンドの代役だったからなのか、それとも9番だけ年末近くに単品で売った方が全体として利益が上がるのか。どっちでもいいけどね、出してくれてありがとう。

 僕はじいさんが大好きだけれど、出るCD全部集めます、それに飽きたらず海賊版まであさります、というほどのコレクターじゃない。ブルックナーは全部欲しいけど、あとは買ったり買わなかったり。この9番も、発売日に飛んでいって、っていうわけではなかったんだけど。
 結局買ったんだけど。

 ちなみに僕は、第九のCDをじいさんで3種、他の人で3枚持っているけれど、隅から隅までよく知っている、っていうわけではない。
 なんでかっていうとね。

 なんでだろ。

 まあいいや。
 とにかく、普段よりちょっとだけ音量を上げて、最初から最後までソファーに座って聴いたじいさん/N響の第九。
 これが、凄いんだよ。

 第九を集中して聴くとね、いつも同じように思うんだけど、凄い曲だよね。一楽章。
 僕は、技法がどうだ、構造がどうだっていうのはよく分からないんだけど、これがとてつもない曲だ、っていうのはよく分かる。まだ未成年だった頃に聴いたフルトヴェングラーでも、20世紀最後の、生涯最後のじいさんの生でも(しかも二日とも)曲に圧倒された。
 今回もね、おんなじなんだけど。それに加えて、なんて威風堂々なんだろう、この演奏は。それはN響だからかも知れないし、じいさん若かりし頃(とはいえ70代)だからかも知れないし。もちろん録音のせいって事もたぶんにあるのかも知れないけれど。
 中身の詰まった弦の音から、フォルテで突っ張るラッパから、ソロ完璧なホルンから。何もかもが威風堂々。
 おまけに声楽。
 バリトンのソロも合唱も。合唱団うまい。N響合唱団ってプロだっけ?

 N響の演奏にこんなに心奪われるのしゃくだからね、これは録音のせいなんだ、オーディオのせいなんだ、って言い聞かせてたけど。
 実際、録音凄いよ。弦のザッていう音完璧だし、ソロも良く聞こえるし、合唱とのバランス完璧だし、何よりフォルテシモで飽和していない。この録音で、ブル5とか聴いてみたいな。

 聴き終わったとき、分かったよ。
 なんで第九、よく聴いてるのによく知らないのか。
 あまりに大きすぎる、っていうのもあるんだけどね。それよりも、あんまりに凄すぎて、入り込みすぎて、そして歓喜の唄ですべてを忘れてしまう。
 そして終わったときにはすっかりクリア。

 かくして同じ曲で何度も楽しめるんだね。ベートーヴェンって、ホント、偉大だね。っていうか、俺がバカ?

 でも、偉大なのはN響だからじゃないぞ、っていうわけで、今度聴くのは大フィルのやつにしよう。

 しばらくしてからね。

 

2004年12月10日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第383回定期演奏会
大植 英次:指揮
福井 敬:テノール サムソン
竹本節子:メゾソプラノ デリラ 他
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

サン=サーンス:歌劇 サムソンとデリラ 演奏会形式

 やっと寒くなってきたね。もう12月だもんね。12月といえば、オーケストラは第九の稼ぎ時なんだけど、今年の大フィルは12月に定期です。しかもオペラ。
 大阪にはオペラハウスがないから、普段オペラって見ないよね(俺がね)。だから、定期でオペラって嬉しい。前に見たのはフェスでの道化師だったっけ。

 今回のオペラは、えっと。トリスタンとイゾルテじゃなくって、ロミオとジュリエットでもなく、罪と罰、シダリースと牧羊神、みんな違う。なんだったっけ。
 なんか有名な曲があったな、バッカナール?そうだ、サムソンとデリラだった。
 なんか覚えにくい題名だよね。

 っていうように、まったく知らなかったんだ、このオペラについて。まあオペラの事なんてなんにも知らないんだけど、もともと。
 オペラのCD聞いて予習してもしょうがないし、でもなんにも知らなかったら楽しめないだろうし。って事で、前日にAOFさんのHPのプログラムノートであらすじだけ予習して。
 物語は旧約聖書に基づいていて、こんな感じ。

 大昔のエルサレム。ペリシテ人に征服されたヘブライ人。力持ちのサムソンはヘブライ人を先導してペリシテ人の支配から解き放つ。
 そのサムソンを夢中にしたペリシテの美女デリラ。彼女は自分の復讐のためにサムソンの力の源を探る。
 デリラの誘惑に屈したサムソンは、ペリシテ人に捉えられ、力を奪われ、目も潰される。
 ペリシテ人の侮辱に耐えたサムソンは、一瞬だけ力を取り戻し、神殿を破壊し、ペリシテ人とともに自らを葬る。

 平日だから、相変わらず駆け込みだったんだけどね。弾む息を押さえて、2階席からステージを見ると。
 あれ。
 普通じゃん。演奏会形式とは行っても、オペラだから、もう少しらしいのかと思ってた。らしいっていうのは、もう少しオケが控えめだったり、なんかちょっとでも大道具があったって事なんだけど。オケは結構大編成で、ソリスト用の椅子と譜面台が3個ほどオケより前に置いてあるだけ。
 いや、オケの後ろには200人規模の合唱がクワイア席までいっぱいで、ステージ両端には歌詞用だろうね、電光掲示板。十分オペラらしいね、そういえば。
 前回フェスの道化師では結構ちゃんとした舞台装置があったから、そういうイメージだったんだけどね。まあいいや。

 プログラムをパラパラ見ると。あ、サムソンとデリラって、サン=サーンスだったんだ。って事はフランス? フランスのオペラって聴いたことないな。バレエはいっぱいあるけれど。とはいえオペラなんてほとんど聴いたことないんだけどね。おまけにサン=サーンスもオルガン付きくらいしか知らない。つまり全くの白紙。

 さて、舞台に人もそろって。サムソン役の福井さんも出てきて。今日のコンマスはおぼっちゃまくん。
 オオウエエイジが入ってきて。曲が始まった。
 僕は、オペラっていつも序曲から始まるのかと思ってたんだけど、今日のオペラはそうじゃないらしい。いきなりファゴットのロングトーンで始まった曲はシリアスで、合唱によるヘブライ人の嘆きが始まった。
 そしてサムソンの扇動演説。
 ここが2階席のせいなのか、テノールにしては低音域なのか、フランス語が張りにくいのか、はたまた普段ピットに入っているオケが張り切りすぎなのかよく分からないけれど(個人的には最後の理由なんじゃないかと思うのだけれども)、サムソンのソロはちょっとオケに埋もれ気味。サムソンに限らずこのあとのどのソロもみんななんだけどね。まあ、字幕のおかげであんまり不都合はないのだけれども。
 第一幕はいろんなソリストが出てきて大忙し。サムソンも意気揚々。終わったところでの静寂。ああ楽しかった。
 
 休憩はさんで第2幕。サムソンは1幕の最後にであったデリラに夢中。デリラのアリアの裏でコンマスのおぼっちゃまくんのソロがとっても官能的。いつも腰振り系のソロを聴かせてくれる加瀬さんは今日はイングリッシュホルン。大きめの楽器でいつものようには踊ってないみたい。
 2幕は、サムソンを陥れようとするデリラの一大芝居。恋の手管を総動員してサムソンに迫るデリラ。聖書なのに、フランス特有のいやらしさがびんびん。とはいえジュテームしか聴きとれないのだけれども。
 ついにデリラの誘惑に屈したサムソン。そこからは台詞無しの音楽。演奏会形式だからここで人は動かないのだけれども、実際のオペラはあんな事やこんな事してるんだろうなあ、って想像だけが渦巻いて。
 挙げ句の果てにサムソンの「謀ったな」の叫びで終幕。
 休みなく第3幕。捕まって力を奪われたサムソン。一時だけの力の復活を神に祈り続ける。合唱は今度はペリシテ人。サムソンを貶め、ペリシテの神を歌いあげる。
 そして、雷が鳴り、サムソン最後の願いが聞き届けられた瞬間、また台詞がなくなり長い音楽。
 後から気が付いたんだけど、これは実際にはバレエ音楽なんだね。歌手かどうか知らないけれど、台詞無しで踊る場面。
 今日は演奏会形式だからね、踊っているのは、そう、オオウエエイジ。
 もう、見慣れたつもりだったんだけどね、オオウエエイジのオーバーアクションは。でも、今日のエイジはいつもにもまして凄かった。だいたい台詞のある間も、インドの蛇遣いみたいな旋律では蛇のまねしてみたり、打楽器の入りの指示を間違えたりと派手にしてたんだけどね。バレエの場面はホント、面白かったね。
 そして、ラスト。崩れ落ちる神殿。最後の音を抱きしめるオオウエエイジ。訪れる静寂。
 のはずだったんだけどね。
 1幕で拍手が送れたのを恥じるかのように待ってましたのフライング拍手。オオウエエイジは聞こえないふりをして音の余韻を抱きしめたまま。
 会場にはしるイヤな緊張。
 ホントにいやなんだけどね。そんなことどうでも良くなるような演奏。歌手の、オオウエエイジの笑顔。クラ、オーボエ、イングリッシュホルン、ファゴット、フルート、ラッパのソリスト。
 ああ、楽しかった。

 ちょっと長めのオペラだから、プログラムに終演時間は9時40分くらいになりますって断ってあった。それを知ってた隣のおじさんが、時計を見て、「なんだ、早く終わったじゃねえか」ってつぶやいたんだけど、そうじゃないよ、これからずっと、カーテンコールが続くんだから。ってカーテンはないんだけれど。

 たまにはいいよね、オペラって。
 今度は日本語のオペラ、ちゃんとしたセットで観たいな。

 

2004年11月12日
大阪シンフォニカー交響楽団 第96回定期演奏会
円光寺 雅彦:指揮
漆原 啓子:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール2階W列22番 A席

芥川也寸志:トリプティーク 弦楽のための3楽章
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲

ラフマニノフ:交響曲 第3番

 11月は大フィルがお休みだから、って言うわけではないんだけどね。今回は大阪シンフォニカーの演奏会です。
 
 ずっとね、探してたんだ。この演奏会。この曲目。ずっとってどれくらいかっていうと、初めてこの曲を知ったのが高校生の時だから、もうウン十年? まあいいか。
 その間ずっと、血眼になって探してたわけじゃないんだけれど、僕の目にとまった範囲では見逃したのは一回か二回。。って事はウン十年で三度目の正直?
 喜び勇んでチケット取ったのはいいんだけれどもね、取ってから気が付いた。ゲゲッ、この日横浜出張じゃん。しかも私がわがまま言ってこの日にしてもらった出張。しゅん。
 いや、あきらめるのはまだ早い。2時間できっちり仕事を終わらせて、タクに飛び乗って、食事は新幹線の中で済ませて。大阪からもタクに乗ったらぎりぎり間に合う時間の一本前に新幹線の指定席を決めて。
 いや、別に仕事無理矢理終わらせた訳じゃないけどね。ちゃんと指定席に間に合って、無事に15分前には会場入り。わーい。
 
 シンフォニカーって、初めてなのかしら。大阪本拠地なのに、ごめんなさいね。今回良かったら、たまには聴きに来るね。
 僕はクワイア席だったのだけれども、こっちから見る客席は、7分くらいの入りなのかな。でもクワイア席は最前列の7割くらいしかいなかったからなあ。
 開演前の音出しでは、ホルンの人とかもいたんだけれども、一曲目は弦楽合奏。管楽器の人はいつの間にかいなくなって。
 弦楽がどんどんステージに上がってきた。大フィルに比べると女のヒトが多いな。外人さんもパラパラといて。
 コンマス出てきて、チューニング。オーボエいないから、コンマスの音で。
 そう、一曲目は弦楽合奏。芥川也寸志の、トリプティーク。
 
 弦楽3章っていった方が、僕には通りがいいんだけれどね。
 僕が高校に入った年、僕の高校の吹奏楽部がコンクールの自由曲にしたのが、この曲。弦楽のこの曲を、OBの人が編曲してね。当時まだ生きていた芥川さんとも連絡とりながら作った譜面。
 僕はC年で、見習いバンドでモーツァルトとか演ってたんだけれども。先輩達の演奏するこの曲がね、ホントにかっこよくて。もちろん原曲なんて知らなかったんだけどね。
 大学はいって、この曲のCDひとつだけやっと手に入れたんだけど、そのころにはもう僕はジャズの人で、生演奏を探してさすらうほどではなかった。
 だからね、この一曲目、たぶんこの会場に来ている人の中で一番、特殊な感情をこの曲に持っているのは、僕だと思うんだ。だって、ウン十年も待ってたんだもん。
 
 もちろん僕の中にインプットされてるのは、吹奏楽に編曲された、それも二楽章、一楽章の順で演奏された弦楽三章。まあ、それはおいといてね、良い演奏聴かせてね。
 
 そうそう、音出しのときに、1stヴァイオリンが、三楽章のかっこいいテーマを練習しててね、それがちょっとぎこちなくって不安。譜読みはきちんとしてるんでしょうね、プロなんだから。
 
 指揮者出てきて、始まったトリプティーク。
 おおっ。
 めっちゃ心地いい。
 一楽章はブッ速なんだけど、僕のイメージよりちょっとだけ遅め。それが重厚さになってかっこいい。コンマスのソロもびしっと決まって。最後の6連符、そのあとのキメもびしっと決まって、全員で振り上げた弓、一本糸の切れてるコンマスの弓もかっこよかった。
 続く二楽章もね。この冒頭、吹奏楽版ではオーボエとホルンのユニゾンだったんだけれども。もちろん弦楽合奏ではホルンの高音域の緊張感なんてないんだけどね。でもかっこよかったよ。
 ただ、弦バスのピチカート。これはどうにかならなかったのかしら。アインザッツもピッチも、素人だってもう少し、、、っていうレベル。そのあとはザッツはともかくピッチは戻してたから魔が差したのかも知れないけれど、いやあ、びっくりしたなあ。
 まあでも、芥川節の、日本的泣かせ唄、堪能しました。
 三楽章はもう。楽しすぎ。
 音出しで練習してた1stヴァイオリンのテーマもびしっと決まって、あとはお祭り一直線。かっこいい!!
 初めての生原曲トリプティーク、堪能しました。
 
 最近知ったんだけれども、朝比奈のじいさんがベルリンフィル最初に振ったときに持ってった曲なんだってね、この曲。ジャパネスク浪漫全開っていうリクエストで。
 ナクソスの芥川集には入らなかったけれど、第二弾がもしあるのなら、この曲、全世界に紹介して欲しいなあ。
 
 この曲のためだけに横浜から駆けつけたからね、ちょっとお疲れモードなのだけれども、次の曲。ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。ハチャトゥリアンって、剣の枚くらいしか知らないな。どんな曲なんだろう。
 入ってきたヴァイオリンの漆原さん。後ろからの席だからほとんど見えないんだけれども、すてきな人だね。
 曲は、技巧にはしらないで、メロディと音色が楽しい、剣の枚みたいな曲。ソロは音量もあって、結構楽しめたんだけど。
 長いね。全然終わらない。協奏曲でそんなに語りたい事ってなんだろう、って考えてしまうくらいに長かった。楽しかったんだけど。
 
 休憩のあとの、ラフマニノフの交響曲。
 これも全然知らない曲だったんだけど。楽しかったんだけど。え、これって交響曲? 交響曲ってどんなものかって、よく分からないんだけれど、即物的な色彩の楽しさにあふれた三楽章の曲は、交響曲っていうよりも交響詩っぽいなあ。
 例えば2楽章(3楽章だったっけ?)のあたま。ホルンの甘美なメロディにハープが絡んで、そのムードのままヴァイオリン、クラリネット、フルートってソロが廻っていく。もちろんそれもあり、なんだけれど、少なくともブルックナーやベートーヴェンの作った交響曲、っていうものとは区別したいなあ。
 最終楽章なんて、手に汗握るくらい楽しかったんだけどね。
 
 若い、女性の多い、外国人も何人もいるオーケストラ。こういう大フィルでは聴けない曲に、いっぱいチャレンジして欲しいなあ。

 

2004年10月30日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第382回定期演奏会
井上 道義:指揮
小山 実稚恵:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

シチェドリン(ビゼー原曲):舞踊音楽「カルメン組曲」(抜粋)
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番
ドヴォルザーク:交響曲 第8番

 すっかり秋だね。って何回も言ってるけど。
 外に出るとちょっと冷たくて気持ちのいい風が吹いていて、月の輪郭がくっきりしていて、オリオン座がでっかく天頂に君臨していて。すっかり秋だね、ホント。
 
 大阪フィルの後半戦、第一弾は土曜日。マチネーじゃなくっていつもと同じ7時始まりだから、夕方暗くなってから家を出た。休みの夜にコンサートのために外出ってちょっと不思議な感じ。でもpopだったら普通か。
 
 今回のコンサートは、ウラディーミル・フェドセーエフさんていう人が振るはずだったのだけれども、急病でダウン。急遽井上道義さんに変更です。アナウンスしたのが演奏会の2,3日前だから、ホントに急遽、っていう感じだね。リハはともかく、曲の研究するヒマあったんでしょうか、ミッキー。
 
 土曜日ということもあってか、客席は結構カジュアルな雰囲気。私もジーンズだしね。お客さんは結構入ってるね。
 
 さて、一曲目。シチェドリン作曲のカルメン。ビゼーのカルメンを、シチェドリンがバレエ曲に編曲したっていう感じなのだろうけれど、編成がね。なんと弦楽プラス打楽器。管楽器無し。パーカッションにはチャイムにマリンバ、グロッケン、ビブラフォンにティンパニ6台、タムタムなどなど。もちろんカスタネットにギロみたいな小物満載。どんな音がするんだろう。
 ミッキー出てきて、振り下ろしたその音は。
 なんか不思議な音。って言うか、曲?
 カルメンって、めちゃくちゃ有名で覚えやすいメロディがいっぱいなんだけど、あんまり出てこないんだよね、直接的には。弦楽がコード進行して、チャイムが最初の音だけメロディをガイドして、カスタネットがリズムを刻む。もちろん有名なメロディだから、それだけで頭の中では曲が完成するんだけれどもね。
 そうやって唄っていくと、たまに出てきた弦のメロディは違うことやってたりして。
 そう、これはカラオケ。みんながメロディを知っていることを前提に、伴奏つけてるだけ。別にいいんだけれど、何がやりたかったんだろう。
 鍵盤系の打楽器が大活躍って、あんまりないから視覚的には楽しかったけどね。
 それとカスタネット。フラメンコのカスタって、4本の指でならすんだけど、そのリズムをクラッシックの叩き方で一生懸命叩いてた。トリプルタンギング指定のところをシングルタンギングで一生懸命切ってるみたいなもどかしさ。新鮮でいいんだけどね。
 
 とはいえ、実は僕のカルメンって言うのは、高校の時に見たカナディアンブラスのライブのカルメンだから、こっちも相当に偏ってるんだよね、だから原曲に比べてどうって言うのは分かりません。原曲聴いたことあるんだろか?ああ、楽しかった。
 
 次はショパン。ああショパン。
 僕は別にショパンが嫌いなわけでも、寝不足だったわけでもないのだけれど、あまりの心地よさにぐっすり寝てしまいました。だって気持ちいいんだもん。
 別にコンチェルト書かなくても、ピアノ曲だけでいいやん。そういう甘ったるいのは。
 寝てていうのもなんだけど、カーテンコールの回数は、演奏の内容を反映しようよ、皆さん。
 
 休憩終わって、ドヴォ8。あれ、この前も聴いた? そう、尼響が前座でやった曲が、今日のメイン。
 もちろん比べながら聴いた訳じゃないけどね。最初の一音からもう、貫禄勝ち。低弦の一音だけで、ああ大フィルだ、って。
 しかしこの曲、何回か聴いていて、CDだって持ってるのに、全然覚えないね。毎回ああいい曲だな、って、新鮮に聴こえる。
 今回のもうけものはね、2楽章だったっけ?クラリネット二人のソリ。音程完璧、アーティキュレーション完璧は当たり前としても。音色も唄い方も音の切り方も、全部が完璧、凄すぎます。
 4楽章のラッパのファンファーレ。アシ(かどうか知らないけれど)つけてたけれどこれも完璧。ホルンもいいし。
 そう、ソロも合奏も、みんないいんだよね。なんだけれども、贅沢になっちゃった僕の耳は、なんか一つ、もう一つ求めちゃうんだなあ。
 それはフェスでの革命みたいな破天荒なお祭り騒ぎでもいいし、血湧き肉躍るような泥臭さでもいいんだけれど。シンフォニーの二階席から見ると、とても綺麗にまとまっているのが俯瞰できちゃうんだなあ。つくづく、贅沢だなあ、って分かってるんだけどね。
 
 そうそう。ホントびっくりしたのが、ミッキーの拍手の受け方。めちゃくちゃ上手になってる。曲のあと、割れんばかりの拍手の中、まずは団員とご苦労様を分かち合い、満面の笑みで会場に向き合う。ソリストを讃え、ビオラにキスして(手にね)、オケを讃える。そして自分も拍手をうける。何度出てきてもその都度違うやり方で。しかも満面の笑み。
 
 いつか、ミッキーは拍手の受けかたがヘタって書いたけど、もう当てはまらないね、それは。
 でも、これが会心の出来、って言う満面の笑みだったらちょっと困るよ、ミッキー。大フィルって、こんなもんじゃないんだから

 

2004年9月20日
尼崎市民交響楽団 第19回定期演奏会
辻 敏治:指揮
アルカイックホール 自由席

ドヴォルザーク:交響曲 第8番
ベートーヴェン:交響曲 第3番 英雄
  en.ドヴォルザーク:弦楽のためのセレナーデ 第4楽章

 もはや秋の風物詩として定着した、年一回の尼響定期。
 しっかし、暑いね。秋の風物詩じゃないやん、ちっとも。去年は阪神尼崎を降りたら、優勝間近で(確かマジック1くらい?)、駅のロータリーにモニタ建てて場外応援場してたな。あれから1年しか経ってないのに、プロ野球はどうなっちゃうんでしょうね。
 って、別に野球ファンじゃないんだけどね。でも去年の大阪の騒ぎを見てると、おらが街のクラブチームって、絶対必要だよね。埼玉になんか何年かに一度しか帰らない僕でも、浦和レッズの活躍はとっても嬉しいしね。
 あ、尼響だったね。
 今年は定期券があるからってJR尼崎からいったんだよね。遠かった。。。 しかもなんかあるやろと思ってたら途中に食べるところほとんどなし。20分前にホールについて、2階のうどん屋さんで山かけうどん駆け込んで(めっちゃおいしかった)、さあホールへ。
 
 今年の尼響は、ドヴォ8と英雄。すっごいプログラムだよね。英雄をメインに据えて、あと1曲交響曲、って考えたときに、ベストの選曲じゃないかしら。
 もちろんベートーヴェンもう一曲っていうのがオーソドックスだけど、アマオケだからね、「はいトロンボン、今年の定期は降り番です」って訳にいかないし。同じ理由でモーツァルトなんかも却下。重くてムツカシイショスタコなんかも却下すると、ドヴォルザークかチャイコフスキー。それも8番か5番。新世界とか悲壮とかだと名曲コンサートになっちゃうからね。その中でチャイ5だと燃え尽きちゃうかも知れないから、やっぱりベストはドヴォ8。え、シベリウス? なにそれ?
 
 って訳で、ドヴォ8。
 とかいいつつ、あんまり曲知らないんだけど。
 ちょっとね、客席がばたばたしていて。演奏者には伝わらなかったらいいな、と思っていたのだけれども、僕自身もあんまり演奏に集中できる座席ではなくて。
 だから、目をつむって聴いていることが多かったのだけれども、よく響くね、アルカイックホールって。
 ドヴォ8って結構ギミックに満ちた曲で、低弦のsfzからブレイクってところが結構あるんだけど、そこの残った響きがね、めちゃくちゃ気持ちいい。え、弦だけでそんな響きがするはずないやん、って思って目をこらすとね、ティンパニがアクセントに添えている。それがね、絶妙。ホントに弓のギッていう鳴り初めと残った響きだけを助けていて、自分の音色を表に出さない。そんな叩き方もあるんだね。
 それからラッパ。よく響く弦に比べて、ブラス弱いかな、って思ってたんだけどね。4楽章あたまのファンファーレ。お見事。ああ気持ちいい。
 もっといろいろいいところあったんだけどね。あたま飽和しちゃったよ、ごめんなさい。
 
 なんであたまが飽和しちゃったかっていうと、、そう、次の英雄。
 休憩時間中に、席を移動したんだよね。演奏にもっと集中したいな、って。移った先は三列目、ど真ん中。生音がぐいぐい迫ってくるはずの席。だって、英雄だよ。
 2000年のじいさん以来の生英雄。葬送行進曲はじいさんを送る会で聴いたかな。とにかく僕の中ではものすごく大切な曲。どうか良い演奏でありますように。
 
 そして、始まった英雄。
 は、速い。
 じいさんの英雄は、もう、どこまで遅くできるか、って言う我慢比べみたいなところがあって。その緊張感にしびれた僕は、たぶん、あたまの中で英雄をどんどんどんどん遅くしていったんだよね。
 だから、奏でられる1楽章を、えらい速いなって感じたんだけど、すぐに気にならなくなった。
 この曲はね、ホルン。ドヴォルザークではペダルノートのソロが多くって苦労してたみたいだけれども、この英雄の1楽章、特に後半のソロは良かったよ。クラリネットも。
 そして、葬送行進曲。
 これも、そりゃあじいさんに比べれば速いのだけれども。しかも生音を聴くと鉄壁のアンサンブルとも言えないのだけれども。
 でも。
 そんなこととは関係なく。
 まったく関係なく、僕は吸い込まれたよ。
 もちろん、そのほとんどは、曲のせいであると思うのだけれども。でも、例えば、指揮者も演奏者も、すべての人がBGMに徹しようとしていたじいさんを送る会の演奏よりも、。この不器用な、リズムの不確かな、ビブラートの音程も不確かな演奏がどれだけ心に迫ってくるか。その演奏のオーラは、少なくとも前から3列目の僕にまでは、確実に届いたよ。
 
 そして、3楽章。
 ホルントリオのトリオ。完璧。特に後半。豊かな音量と朗々とした響きと、それにバランス。いいなあ、これ。
 
 やっぱり、ベートーヴェンって、いいなあ。もちろんブルックナーやマーラーだっていいのだけれど、なんていうか、オーケストラの持つ本来の響きみたいなモノを確認するために、ベートーヴェンやバッハ、モーツァルトみたいな基本って、やっぱり大切なんだなあ。
 そんなことを、アンコールの弦楽セレナーデを聴きながら考えてました。
 
 とはいえ、来年の幻想も、楽しみなのだけれどもね。特にこのオケのファゴットで聴く断頭台。いいだろうなあ。
 
 団員の皆様、いつもありがとう。おいしいお酒が飲める演奏会だったと思います。お疲れ様でした。

 

 

2004年9月10日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第381回定期演奏会
ヘンリク・シェーファー:指揮
黄 蒙拉:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

シベリウス:交響詩 ポヒョラの娘
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィッチ:交響曲 第10番

 さて。夏休みも終わって。
 久しぶりの大フィルさん。今回はシベリウスとショスタコ、どんな演奏を聴かせてくれるんでしょうか。
 やっぱり神戸から駆けつけるのは結構きつくてね、梅田からタクに乗って、コンビニのサンドイッチ頬ばって入場したら5分前。プログラムめくると、コンマス二人加入のニュース。ちょっと前にゲストで来てた人たちね。外からではよく分からないけれど、団員に信任されたんだから良い演奏したんでしょう。

 ということで、今回のコンマスは客演主席コンマスのお坊ちゃん。長原さん。前回は周りとあんまりあってなかったように見えたのだけれども、どうなんでしょうね、今回は。
 80年代生まれの長原さんにおつきあい、という訳ではないのだけれども、今回の指揮者は私と同い年。指揮の世界ではめちゃ若手。若手コンビの奏でるシベリウスとショスタコ。結構いい取り合わせ。

 と思ったんだけどね。シベリウスって、僕には退屈だなあ。ハーモニーの厚さとかそういうモノを求める作曲家ではなくて、どちらかといえばメロディのヒトなんだと思うのだけれども、それにしてもオーケストレーションがあまりに一本調子。
 最初の曲の、チェロのソロまではとっても面白かったんだけど(って冒頭やん)、それ以降はちょっとうとうとモード。これまたかわいい(って男だけど)ヴァイオリンの協奏曲も、そのままうとうとしてました。
 この曲、スワナイさんのアノCDにはいってたやつだよね? もう少しザクっていう響きがあったと思うんだけど。
 もちろん、演奏がとかそういうのでは全くなくてね、僕の好みの問題なんだけど。
 ヴァイオリンのお兄ちゃんは何度もステージに戻されるけれどアンコールはなし。

 休憩終わって、ショスタコ。10番。
 大フィルはショスタコ好きだね。行かなかった4番、ミッキーの5番、オオウエの7番って、毎年取り上げてる。もちろん僕も好きなのだけれど、10番ってなじみないね、って5番以外はなじみなんてないのだけれど。
 まあ、そんな不安は一瞬でね。始まってみたらもう、これがショスタコ。狂騒的なお祭り5番も、重苦しい7番もひっくるめた10番。演奏時間がコンパクトな分、なるほどこれが傑作。
 ショスタコは、至る所にちりばめられるソロが聴き所だよね。ファゴット、オーボエ、長いオーボエ(ってなんて楽器?)、クラリネットにホルン。おなじみの面子なんだけど、みんな気持ちいいんだ、ホントに。でも、どれか一つだけって言われたら、今回のメインはチェロとコントラバス。この2パートが裸になるところ、ゾクゾクしたよ。

 堂々とした一楽章、ブッ速の二楽章、やたらきれいな三楽章、そしてお祭りの四楽章。どれをとってもそれはそれはショスタコーヴィッチ。
 よく鳴るオケで聴く、よく鳴らす曲。その快感は十分に味わって、終わったときには大笑い状態だったのだけれども。一つだけ気になったのはね、これはシベリウスで顕著だったんだけれども、ラッパとトロンボンの音が丸いんだなあ。指揮台から「ちょい押さえ」の指示が出てるみたいな感じ。もちろんそれはそれで一つの方法論なんだけど、個人的にはイヤなバランスの取り方だな。
 それからもう一つだけ。
 チェロとコントラバス、これだけパートで立たせてあげたかったな、今日は。

 今回で、前期チケットはおしまいです。
 バッハで気をよくして後期も同じ席で聴くのだけれども、楽しい演奏会、期待しています。

 

2004年8月7日
朝の光のクラシック シリーズ第5回
辻本 玲 チェロ・リサイタル
辻本 玲 :チェロ
野田清隆 :ピアノ
中之島 大阪市中央公会堂

ヘンデル:クラヴィーア組曲 第5番
ベートーヴェン:チェロソナタ 第3番
ペトロヴィクス:ラプソディ
コーダイ:無伴奏チェロソナタより 第1,2楽章
ホッパー:妖精の踊り

 知り合いの知り合いのご子息の演奏会ということで、間接的にチケットをもらって。
 行って来ました、土曜の朝の中之島。

 大阪って、ご立派な文化のない場所だと思ってるでしょ? すべての大阪の文化には、庶民的、って言う形容詞が付くって。
 僕もそう思っていたんだけどね。

 この、御堂筋から眺める中之島って、好きだなあ。ここどこ? っていう感じ。
 新地から御堂筋を散歩すると、両端になにやら立派な洋館が見えてくる。旧日本銀行と市役所、それからその奥にあるのが図書館と今日の会場、公会堂。かっこいいんだ、こいつら。赤字の自治体がこんな立派な市庁舎でいいんか? って思う気持ちはおいといて。

 という訳で公会堂。中は洋風なダンスフロア張り。今は椅子固定のリサイタルホールだけどね。高い天井に二階席のバルコニー、豪華なシャンデリア。明治時代のカフェだね。

 何人はいるかよく分からないのだけれども、会場は結構な人。7、8割くらいの入りじゃないのかしら。土曜の朝から、皆さんご苦労様。

 演奏は、最初はピアノソロでヘンデル。そんなに広くないこの会場に、ピアノがよく響いて気持ちいい。
 一曲終わって、チェロが入ってベートーヴェン。会場が大きくないから、チェロが朗々と響き渡るかと思ったんだけど、そうでもないのかな。ピアノとかぶると負けてるところが多々あって。ただ、ベートーヴェン、いいね、曲。たぶん初めて聴くんだと思うけれど、好きだなあ、この曲。
 次はハンガリーモノのラプソディ。ベートーヴェンに比べるとリラックスしてるのかな。楽器もよく鳴って、いろんな技を繰り出した楽しい作品。
 一部のアンコール、曲目分からないのだけれども、ソロでジャズっぽい曲。これ楽しかった。ピチカートやらハーモニクスやらびしばし決めて、もうけもの。

 10分の休憩のあとは、ソロでコーダイのソナタ。とはいっても初聴きには変わらないのだけれども。
 休憩時間に、スタンド替えた? ベートーヴェンの時には確か譜面台がのる大きさだったのに、二部のやつはほぼ一人しかのれない大きさ。そのせいか、ピアノがないせいか、チェロの音がよく響く。そうだよ、こういう響きが聴きたかったんだよね。しかも、この曲楽しい。1,2楽章だけじゃなくって、全曲聴きたかったな。
 最後のホッパーも、一発芸炸裂の楽しい曲。
 アンコールは、有名なバラード2曲。曲名なんだっけ、テルミンでよくやるやつ。
 芸大3年生ということで、素人の演奏会かと思ったら、そうではなくて、きちんとしたプロフェッショナルの、すごく楽しい演奏会でした。失礼しました。

 辻本さんは、いずみホールで関西フィルとも競演するようですね。ちょっと興味あるかな。

 

2004年7月9日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第380回定期演奏会
大植 英次:指揮
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

ブルックナー:交響曲 第8番

 前回のバッハはね、結果的に特別な演奏会になったのだけれども。
 今回は、最初から特別な演奏会。じいさんの96回目の誕生日。オオウエエイジが大阪で初めて振るブルックナー。それも、8番。
 今までのオオウエは、自分の得意分野を僕たちにお披露目していたみたいなプログラムだったのだけれども、今回は、じいさんの楽団を受け継ぐ上で絶対に避けて通れない演奏会。満を持して、って言うところなのだろうけれど、お手並み拝見だね。

 前の週末から、カラヤン/ウィーンフィルの8番を流しで見て、ビクター版の全集についていた宇野とじいさんの対談で気合いを入れて。
 そうでなくてもハイティンクからこっち、8番が頭の中になっていて、歩くのが遅くなったよ。

 会場には、NHKのカメラが入っているらしく、ロビーでもお客さんに対するインタビューが行われていた。広場の、僕の隣に座っていたおじさんが質問を受けていたのだけれども。
「大フィルの演奏会にはよくいらっしゃるのですか?」
「それは朝比奈さんの時代からですか」
「今回のブルックナーは、朝比奈さんが得意にしてらした曲ですが」
 お姉ちゃんの質問はこういう感じなんだけれども、肝心の答えが、順番通りにはい、いいえ、そうですね。って感じだったから、ちっとも噛み合わなくっておもしろかった。
 NHKの求める「朝比奈さんの音を大切にした上で、新しい音を聴かせてもらいたいです」って言う模範解答から外れるから、当然カメラ撮りはなかったみたいだけどね。

 ステージには、もちろん前回とは比べモノにならないのだけれども、まあまあ標準的な数の椅子が並んでいて。って十分大編成なんだけれどもね。ホルン9、トロンボン3、弦バス8の、ブルックナー編成。
 マイクはいっぱいつり下がってた。NHKは、放送用だからってけちけちしないで、ちゃんとリリースしてよね、良い演奏だったらね。

 さて、バラバラと団員さんも入ってきて。コンマスは梅沢さん。チューニング終えて、着席。
 そして、オオウエエイジが入ってきた。

 拍手をもらって、暗譜の棒を振り下ろした。

 ホルンの、ちょっときつめのタンギングから、ブルックナーのトレモロ。ちょっと速いのかな。頭にこびりついている、94年の朝比奈盤に比べて。もちろんそれは全然気にならないのだけれども。

 10小節目の、ビオラとチェロ。十分艶っぽいのだけれども、もう少し、身悶えするような官能があったらよかったな。
 続くトゥッティも、大きな沼の、水面全体がせり上がってくるっていう感じではなくて、でっかい泡が下から上ってくるって言う感じ。

 要は、所々に顔を出す、ほんのちょっとの違和感。それがブレーキを掛けて、演奏にのめり込めない。
 音の処理とか、ちょっとざらつくところもいっぱいあるし。

 なんだろう。
 一つ一つはとても些細なことで、別に僕は虫眼鏡であら探しをしようなんて思っていないんだけれども、ハイティンクの時みたいには楽しめないや。

 オオウエエイジのブルックナーは、確かだよ。性能の良い大フィルをフルに鳴らして、テンションを保った心地よい張りと、明朗な響きが全編に行き渡っていて。

 ただ。

 ただね、オケはよく鳴っていて、心地よい響きなんだけど、僕はこの演奏では泣けないな。
 3楽章、はてしなく続くアダージョに、息を吸うのも忘れて酸欠にもならなければ、フィナーレのトゥッティでどうして良いか分からずに泣き叫びたくなるのを堪えることもない。
 ああ、オケよく鳴ってるな、って、感心はするんだけどね。感動はしない。コバケンのディスクみたいな演奏。

 もちろん、たとえば金聖響がこんな演奏をしたら、僕はもう大喜びで、一生ついて行きます宣言をしちゃうのかも知れないけれど。
 オオウエエイジが、じいさんの誕生日に、じいさんをずっと聴いてきた聴衆の前でするんだったら、もう少し謙虚な方がいいなあ。

 無い物ねだりだって、百も承知なんだけどね。確信に満ちた暗譜から振り下ろされるタクトよりも、ふるえる棒の先から出てくる音の方が、ブルックナーには向いてるのかな、って。
 ちょっと考えちゃったね。

 でも、場数だからね、大切なのは。これからも、どんどん取り上げてほしいなあ、ブルックナー。もし、一回でも奇蹟の瞬間が訪れるならば、何回でも聴きにいくよ、僕は。

 ビオラをかき分けて弦バスに抱きつきにいくオオウエエイジが。内ポケットに忍ばせたじいさんの写真をこれ見よがしに見せびらかすオオウエエイジが。僕はやっぱりとっても好きだからね。

 

2004年6月18日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第379回定期演奏会
ヘムルート・ヴィンシャーマン:指揮
野津 臣貴博:フルート
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

J.S.バッハ:管弦楽組曲 第4番、第2番、第1番、第3番

 今年の大フィルの定期は、豪華な大曲が並ぶプログラムなんだけど、その中で今回だけ、特別なんだよね。
 ヨハン・セバスチャン・バッハ。その、管弦楽組曲全曲。前にも受難曲のプログラムはあったけどね、管弦楽組曲って、何人で演奏するんだよ、って。

 大フィルって、もちろんじいさんとか、オオウエエイジとかが指導するオケっていう位置づけなんだけれども、それと同じくらい、あるいはそれよりももっと、関西で一番おっきなオケ、っていうのが大事なんだよね。僕にとって。
 何しろ、オーケストラはスペクタクルだからね。マーラーにブルックナーにR.シュトラウスにストラヴィンスキー。そういう大編成の豪華な曲がラインナップにずらりと並ぶ、さらにベートーヴェンやモーツァルトもずらっと並んだ編成で演奏する、そういう醍醐味を確実に味わえるオケ、って大フィルだけだもんね。
 そういう中で、今回のオール・バッハ。しかも当時十数人で演奏してた曲。それをいずみホールじゃなくってシンフォニーホールの定期で取り上げる。それはたぶん、ある程度勝算のある冒険だったのだろうけどね。
 だったのだろうけど、その勝算の最も重要なファクターである指揮者のボッセ氏がけがで、代理の指揮者がヴィンシャーマン。

 僕は、ボッセもヴィンシャーマンもまったく知らないから、どっちでもいいにはいいんだけれども、その企画を立案した、あるいは白紙の状態から引き受けたボッセ氏から、曲が固定した中でせっぱ詰まって引き受けたであろうヴィンシャーマンへの変更は、ちょっと不安が残るなあ。

 それより前に、僕自身はバッハで楽しめるんだろうか。

 おまけにちょっと職場が変わって、毎朝早く起きなくちゃいけなくて疲労のたまる金曜日。しかもチャイムダッシュしないと開演に間に合わない緊張感。
 そんなこんなで、結構不安でいっぱいだったんだよね、聴く前は。

 コンビニのサンドイッチとブラックコーヒーを外の公園で掻き込んで、なんとか開演10分ぐらい前に会場入り。結構客入ってるんだね。地味な曲だからもっと少ないかと思った。
 ステージは、やっぱりこぢんまり。椅子数えちゃったよ。全部で26人くらい。そりゃあ小さいな。
 あの鍵盤、なんていうんだろう。チェンバロのグランドピアノみたいなやつ。チェンバロでいいんだろうか? プログラムには通奏低音としか書いてないけれど。(この文章ではチェンバロって言います、この楽器。もしホントの名前は他にあって、知っている人が居たら教えてね)

 ステージにだんだん人が集まってきて。ラッパ3、木管はダブルリードのみ4、あとは弦とチェンバロ。コンマスは梅沢さん。
 入ってきたヴィンシャーマン、でか! (かったよね。日にちが経っちゃったので曖昧だけど) あと、どうでもいいけどチェンバロのおねーちゃんかわいい。

 で、曲。
 最初の曲はね、どうなんだろう。もちろん大人数で聴いた今までの定期とは違う響きなんだけれど。
 チェンバロの音ってね、スポンジみたいだね。弦楽器の響きを、チェンバロの通奏低音がすべて吸い取って、ふくよかな音にしてくれない。ラッパのタンギングはこれぞバロック、っていうタンギングなんだけど、ちょっと音が高くて緊張してるのか、単発で外すことも結構あって。
 だからといって決してつまらない訳ではなく。シンプルできれいで、しかもこの人数(っていう先入観)からは考えられない表情の豊かさ。ああ、バッハっていいんだ。
 途中でね、突然聴いたことのない響きがした。それまではチェンバロがすべての響きを吸い取っちゃっていて、ホールが音に満たされるっていう感じはしなかったのだけれども。いきなり、どっから音がしてるのか分からなくなった。
 えっ、と思って目をこらすと、音を出してるのはなんと、ダブルリードの4人だけ。オーボエ2、イングリッシュホルン1、ファゴット1のアンサンブルから、ホールを満たす不思議な響き。
 この瞬間からね、すっと中に入っていったんだろうね、僕は。そのあと弦とチェンバロが復帰してからもバランスなんて全然気にならなくって、もうバッハにくぎづけ。

 たぶんくぎ付けになったのは僕だけじゃなかったんだろうね。一曲終わっただけなのに、カーテンコールの嵐。

 2曲目は、さらに人数減って。しかもフルートのソリストが指揮者脇に立って。フルートのフィーチャリング。
 たぶん主要な動機は一つしかないんだよね。親しみやすい曲がどんどん変奏されていって。しかもくぎ付け状態はずっと続いて。
 どんな魔法なんだろう。フルートだって大してムツカシイことしてないのにとっても魅力的。大フィルの人だよね。おいしいソロもらったね。

 何度目かのカーテンコールのあと、アンコールは今やった組曲の、一番短い曲をもう一度。さっきより元気のよくなったフルート。もう一度、よかったね。

 休憩はさんで、編成はさっきよりちょっと大きくなったのかな。このころやっと気がついたんだけど、ラッパはピッコロトランペットなんだよね。そりゃああの音域だからね、最初に気がつくべきだった。ピッコロトランペットって、バロックの匂いがぷんぷんするよね。

 確か第3番はG線上のアリアのやつだよな、って聴いていても、三曲目にはいっこうにあのメロディが出てこない。さては飛ばされたのか? って思ったのだけれども、よく考えたら順番がずれてるだけなんだよね。予習CDを何回か聴いてたんだけどね、どれもこれも心地よくって曲覚えてないね、失礼しました。

 という訳で、アリアのある第3番は最後でした。今までの曲もそうなんだけど、ここでいきなり知ってるメロディが出てきたからね、それに身を任せてふと思ったんだけども、なんていう説得力なんだろう。18世紀にバッハが楽典を創って、以降の音楽はすべてがその影響下にあるのだけれども、技術的にはどんどん進化しているオーケストレーションの中に、これほどシンプルで説得力のある音って、どれだけあるんだろう。
 アリアのあとの、しわぶき一つない静寂の中で、そんなことを考えてたよ。

 アリアの時に限らずね。演奏中にふと、客席を見渡すと、みんな食い入るように見つめてるんだよね、ステージを。だれも眠ったりせずに、みんなホントに嬉しそう。こんなの見たことないよ。

 名残惜しいけど、最後の時がきた。最後の余韻もみんなで楽しんで、はてしなく続くカーテンコール。

 ヴィンシャーマンさんは、メンバーには懐に偲ばせた小さいカード(たぶんボッセさんの写真だと思うけど)を、そして客席にはバッハのスコアを提示して拍手を受けた。

 アンコールは、主よ、人の望みの喜びよ。バッハのコラールって、いいなあ。

 客電がついて、みんなが帰りはじめてもしばらくぼぉっとして。列の最後尾で階段を昇っていた時にね。
 客席に一人だけ残っていた女の人が、目を真っ赤にしてハンカチで涙をぬぐっていたよ。

 そうだよね。そういう演奏だったよね。

 そのまま飲み会に直行しなくちゃいけなかったから、必死に押さえていたけどね。その女の人を見たら、ちょっとだけ、目からこぼれてしまいました、泪。

 タテノリの定期のプログラムの中で、唯一のバラードが今回だったんだね。

 遅れていった飲み会で、どうだったって聞かれてね、こう云ったよ。
「ごめん、聞かないで。想い出したら泣く」
 

 

2004年5月27日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第378回定期演奏会
秋山 和慶:指揮
諏訪内 晶子:ヴァイオリン
ザ・シンフォニーホール 2階BB列11番 A席

アイヴズ:ニュー・イングランドの3つの場所
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲
en. バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番より ラルゴ
R・シュトラウス:交響詩 ツァラトゥストラはかく語りき

 ちょっと身の回りがばたばたしていてね。更新が遅いのもそうなんだけれども、それより前に演奏会にかける意気込みをね、かき集める時間がとれなかったんだ。
 とはいえ、スワナイさんだからね。思わずジャケ買いしてしまったあのアルバムの後、最初に聴くスワナイさん。あのジャケットを今回のポスターにしてたから、本人も気に入ってるんだね、きっと。
 ちょっと都合で、一日目に席を替わって貰って。同じ2階2列目の、今回は左側。さてさて、どんなことになりますやら。

 和慶さん久しぶり。っていうか2度目? そんなもんか。前回はマーラー。今回はシュトラウス、どうやって料理してくれるかな。

 華麗なスワナイさんとシュトラウスということで、会場は結構な入り。結構結構。

 一曲目、アイヴズ。なんじゃこれ、つまらん。没後50年っていうけど、別にこじつけて取り上げるほどの曲か? 久しぶりに出て行きたくなったけど、人の迷惑になるからね、我慢して寝てました。
 そして、藤色のドレスで出てきたスワナイさん。ストラヴィンスキーのコンチェルトって、どんなんだろ? っていう疑問とちょっとの不安は、すぐに解消。だってこれ、かっこいい。
 スワナイさんは、変幻自在。奥歯に倍音の挟まったような弾き方から、金属的な響きのする強奏。そしてストレートアヘッドなでかい音。プログラムによると、ハルサイのような民族音楽の時期ではなくて、古典音楽に傾倒していた時期のモノなのだそうだ。もちろんストラヴィンスキーの時代に純粋な古典音楽になるはずもなく、所々のテンションがまた気持ちいい。
 もうかなり前に鳴っちゃうから、細かいところは覚えてないけれど、コンチェルトってどことなく退屈、っていう先入観をみごとにふきとばしてくれました。アンコールのバッハも、いつぞやのいびつな曲ではなくて、唄ものを十分に聴かせてくれました。
 スワナイさんウツクシイ。いや、演奏もね。

 そして、ツァラトゥストラ。僕が初めて買ったクラッシックのレコードじゃないかしら。カラヤンの。中学か高校の頃。ついでにニーチェも少しだけ読んで、神は死んだ、とかいってみたりして。やな子供。
 もちろんそういう哲学に興味があった訳ではなく、理解できた訳でもなく、ただ2001年の有名な曲、ということだったんだよね。派手そうだし。
 でも、一曲目のクラッシック、それも家のせこいミニコンポで聴く音楽としてはそれはちょっとムツカシくて。以来ずっとちょっと難しめの曲、っていう位置づけだったんだよね。冷静に考えればR・シュトラウスやで、ってことに気がついてもよかったんだけどね。

 ということで、あの有名なファンファーレ。ラッパもティンパニもがんばりどころ。ばっちり決めてくれました。個人的にはね、僕はボントロ吹きだから、ファンファーレ最後のトロンボンのかっこよすぎる下降音階を十分に聴かせるためにもうちょっと遅い方が好みなんだけどね。
 しっかし、この曲ほどこのイントロだけが有名な曲もめずらしい。いわゆるクラッシックファンという人を覗いて、全曲聴いたことある人ってどのくらいいるのかしら。イントロ知らない人はいないだろうけれど。
 という訳で、どんなムツカシイ本編が待ちかまえているのかしらとちょっと緊張。
 ところが、ね。
 実はこの曲、単純? 全編を貫く主題は3個くらいしかなくって、構造はわかりやすい。しかも煌びやかな響きと楽しいソロ、怒濤の迫力に身を任せていればオッケーの初心者に優しい曲。標題音楽で、各章にはムツカシイ表題がついているから思わず勘違いしちゃうけれど、もう、楽しい。R・シュトラウスってみんなそうなんだけどね。

 ハイティンクもそうだったけど、性能のいいオケをフルで鳴らしきる快楽、ってあるよね。僕は他のオケをそんなに聴く訳じゃないけれど、大フィルの、特に低弦の迫力と木管ソリスト、そして何より全体のエッジの効いた音とトゥッティの迫力は、この快楽に身を浸してあまりあるよ。

 この、性能のいいオケを鳴らす快楽、しかも家のオーディオで気軽に楽しめる快楽、という意味で、このごろ(昔キライだった)カラヤンのいくつかのディスクがお気に入り。カラヤンのスタジオはやっぱり録音いいよね。
 なんだけれども、この前調子に乗って買ったベートーヴェン7番。なんじゃこりゃ。
 朝比奈がやると朴訥とした葬送行進曲も、カラヤンがやると華麗なメロドラマ。空やん節炸裂。
 思い入れのある曲は、やっぱり演奏で選んだ方が無難だね、ってことを思い知らされました。

 いえ、和慶さんには全然関係ないのだけれどもね。

 

2004年5月19日
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団「ドレスデン・シュターツカペレ」
ベルナルド・ハイティンク:指揮
ザ・シンフォニーホール 2階AA列20番 S席

ブルックナー:交響曲 第8番

 
シフクノオト シフクノトキ

 いやあ。
 生涯2番目の高額チケット。思い切りましたよ。別にハイティンクにもドレスデンにも思い入れがある訳じゃないんだけどね。っていうか、知らない。
 思い入れがあるのは、演目、ブルックナーの8番。シンフォニーホールで鳴るブル8、しかも外タレ。これは聴き逃す訳にはいかないよね。
 僕は現在、大阪フィルの定期会員なんだけれども、そのコンサート5回、半年分よりも高額な、この一曲のためのチケット。しかも大フィルの5回には、オオウエエイジも2回含まれてる。それだけの価値、あるんでしょうね。
 買っちゃってからしょうがないんだけど、最後までホントに懐疑的だったな。朝比奈の5,8,9番みんな合わせたよりも高いっていうのもあるし。

 まあでも、会場に入っちゃったらね、もうそんなことは関係なくて。どんなブル8が聴けるんだろう。ブルックナーの前にはいつものことだけど、祈るような気持ちだったよ。
 とりあえずプログラムを買って、席について。今回の来日演目は三種類。よかった、大阪はブルックナーで。オケはハープ2台とホルン9人が目をひくけど、普通の大編成。
 だらだらと席に着く国内オケとは違って、開演ベルがなってから整列して席に着くオケ。さすがドイツ。

 入ってきたハイティンクは、颯爽としてる。まだ若いのかな。ちょっと小柄。

 そして、ちょっと強めのホルンのタンギングで始まった音楽は。
 遅い。
 朝比奈のブルックナーも、たいがいゆっくりと思ってたんだけど、ハイティンクはそれどころじゃないね。チェリビダッケ並の遅さ。そして、その遅さの中から浮かび上がるビオラとチェロ(10小節目)。この艶っぽさ。もうね、ここで涙出てきました。
 それから、その後に出てくるチューバのテヌート。音価いっぱいまで張りつめた音。
 他の楽器はね、そんなにテヌート気味じゃないと思うんだけど、低音ががんばってるおかげで全体の印象が全然違う。
 そして、ラッパ。ハードなスケジュールの中で、mfくらいでも音は結構荒れ気味なんだけど、なんと信じられないことに、その音色のまま全然変わらないでfffまで持っていけるんだよね。ラッパが絡んだ時のトゥッティのクレッシェンドって、個人的にものすごく大きなアワが深いところから水面に浮上してくるイメージなんだけど、このイメージにぴったりなんだよね。いいなあ。

 つまりは、どこをどう切り取ってもブルックナー。

 評論家の宇野さんがね、朝比奈の8番を評して、スコアが透けて見えるような演奏っていってて、ああそうかと思ってたんだけどね。この、ゆっくり丁寧なブルックナーからは、僕の知らない音がいっぱい聞こえてくる。しかも。しかも信じられないことに、そのすべてがブルックナーで、まったく違和感がない。
 前に書いたと思うけど、僕のブルックナー演奏の評価基準は、違和感の無さ、だからね。要は朝比奈の演奏とどれだけ違っているか、っていうことだって思ってたんだけど。
 これは、朝比奈とは全然違うのに、しかも違和感がない。結構アクセントきつかったり音の処理荒かったりするんだけど、そんなことまったく気にならない柔らかさ。なんなんだろう。予習で一楽章だけ聴いたハイティンクのディスクは違和感ばりばりでどうしようかと思ってたんだけど。

 ブルックナーで違和感がないっていうのはね、これはもう、そのまんま音楽に浸りきり、ってことだからね。つまり音楽が「聴け」って迫ってくるんじゃなくって、気がついたらそこにある、会場が音楽で満たされている。その方向性の無さが、ああ、ブルックナーなんだ、って。
 しかもこのテンポ。ただでさえ長いブルックナーが、終わらない。三楽章なんて、ホントにしあわせな天上の音楽。
 このやさしい音の中から、どうやったらこんな緊張感が生まれるんだろう、っていうくらい見事なワグナーチューバで終わった三楽章から、フィナーレへ。

 終楽章は、ちょっとテンポを戻して朝比奈並、なのかな。
 ここで入ってくるトロンボン。もう、その音を聴いた途端にね、何がなんだか分からなくなった。だって、トロンボン4人しかいないのに、確かに舞台上で吹いてるのが見えているのに、その音がどっから聞こえてくるのか分からない、いや、僕を包むようにどの方角からでもきこえてくる。朝比奈5番の最後数小節で味わった、あの感覚。上下、左右が分からなくなる浮遊感。
 ブルックナーのトゥッティでのコラールを、僕は拡散波動砲って思ってるんだけどね。アンドロメダを旗艦とする宇宙防衛軍が一列に並んで撃つ拡散波動砲の一斉掃射(って分からない人ごめんなさい)。このイメージは、もちろん巨大なモノっていうイメージなんだけど、それは「前から」来るんだよね。でも、今回のこの音は、そういうんじゃなくってね、すべての方向に「ある」んだけど、「来る」ことすらしない。2001年宇宙の旅の、真っ白な光の中の胎児のイメージかな。やわらかくてやさしいモノに包まれる、そんな感覚。技術的には、トロンボンとホルンの音色が完全に溶けあっていて、反響音と直接音の区別がつかない、っていうことなんだろうね。
 そして、この力感をまったく損なわずに、音色も変えずにフィナーレまで持っていくこの演奏。
 それはもう、シフク
 シフクノオトに埋もれた、永い永い一瞬。
 そして、そのシフクは、たぶん会場の人みんなに乗り移ってたんだろうね。長い長い曲の最後に、ちゃんとブルックナー休止を聴かせてくれた。

 ありがとう。
 これでまた僕は、ブルックナーの演奏会を楽しみに通い続けられるよ。

 そして、再来月に同じ曲を振るオオウエエイジ。今日の観客の半分くらいがきっと足を運ぶと思うよ。覚悟決めて、いい演奏してね。

 余談だけど、その日、AVアンプをつけっぱなしで寝てしまった僕は、次の朝リビングで鳴るブルックナーで目が覚めた。夢枕に鳴るブルックナーを切れ切れに聴いて、ああ、昨日の夢を見ているのかな、と思ってたんだけど、それは衛星でやってたカラヤンのブル8をタイマーで録画してたんだ、って気がついた。なんかちょっといい気分。

 

2004年4月23日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第377回定期演奏会
大植 英次:指揮
ファジル・サイ:ピアノ
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

ラヴェル:ラ・ヴァルス
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番
ストラヴィンスキー:春の祭典

 なんだろう。
 めちゃくちゃ楽しみにしてたんだけどね。この演奏会。
 でも、ちっとも楽しめなかったよ。

 なんでだろう。
 僕はもう、オオウエエイジに飽きちゃったのかな。そうではない、って祈りたい気分だよ。

 オオウエエイジの2年目は、なんとファジル・サイのハルサイ。ではなくて、ファジル・サイとハルサイ。サイのソロピアノ(実際にはオーバーダブだけど)による春の祭典がすごくおもしろくて、クラッシックのピアニストなんてどれもこれも区別つかない僕にとってはアンドレ・ワッツと並ぶアイドル。とはいえこの一枚しか持っていないのだけれども。
 演奏の細かいところは分からないけれども、ソロでハルサイに挑む破天荒さとか、エネルギッシュでのりの良い演奏とか。僕の中ではサイはクラッシック界のミシェル・カミノ。ラテン系パラパラピアニスト。
 サイが人気なのか、春の祭典が人気なのかは知らないけれど、ずいぶん前からチケットは売り切れ。おめでとうさん。
 一週間ぶりのオオウエエイジ。どんな音を聴かせてくれるのかな。

 一曲目は、ラヴェル。しかもラ・ヴァルス。もちろんラヴェル管弦楽曲集とかにはもれなくついてくるんだけど、単独で聴くのは初めてかな。
 オオウエエイジの指揮するでっかいオケの奏でる、たゆたう大波。それはそれでいいんだけど、なんか僕のイメージのラヴェルとはちがう。低弦を中心に波が揺れるのはよく解るのだけれども、その上にはじける白い波頭が見えてこないんだなあ。
 点睛を欠くというか、なんか一つアクセントが物足りない。これがバレエ音楽だ、っていうのもあるのかも知れないけれど、あるべきモノが一つ足りない、っていう感じかな。色彩の変化に乏しい。もしかしてドビュッシーみたいなのを期待してるからなのかな、僕が。
 もう少し小さめの編成でかちっとやったら色気も出てくるのかな、って思ってしまいました。

 続くサイは、なんとベートーヴェン。
 最初にプログラム見た時には特に違和感もなかったのだけれども、先週のベートーヴェンを聴いちゃったからね。あのシリアスなアプローチに、なんでサイ? って思ってしまうよね。
 もちろん僕の耳にはホントの所は分からないし、サイがおちゃらけて弾いている訳でもないんだけど。はっきりしたタッチの演奏は好きだしね。
 だからイメージはともかく、曲は楽しめました。右手だけで弾きながら、左手を挙げてなにかを求めるサイ。それはテンポであったりもっと、もっとといっているようであったりしてどことなく艶っぽい。ここでもオオウエは、やっぱりシリアスな顔して振ってた様子。後ろからだとよくは解らないけれど、時折見せる横顔の頬のあたりがシャープでした。
 アンコールは、キラキラ星変奏曲。これモーツァルトなの? サイの即興にしては変奏が古くさいな、というかジャズ系じゃないなとは思っていたのだけれども、元ネタのある曲だったとは知りませんでした。選曲がサイらしいとは思うけど、もっとはじけて欲しかったな、それなら。

 さて、二部。
 ハルサイ。
 ちょっと隣のお客さんがね、なんかしらんけど演奏中に一生懸命メモを取っている。ここぞ、っていう時に必ずメモを取る動きをするから、気が散って全然集中できなくって。今回トーンダウンしてるのはそのせいもかなりあるんだ、ごめんなさいね。
 ハルサイは前に一度、京都市響だかどっかで聴いたことがあって、その時にはもう、大興奮。今回のオオウエではもちろんさらなる大興奮に連れて行ってくれるんだろう、って思ってたんだけどね。
 冒頭、ファゴット。
 もちろんこのファゴットのフラジオは難しい、らしい。僕も管楽器奏者の端くれだから、音階表にない音を出すのは至難だってことは分かってる。ただ、僕の持ってるCDだと、録音のせいもあって違和感なく聴けちゃうから、そのことを良く忘れるんだよね。
 今回のファゴット、そのことを思い出したよ。同時に初演時に客が笑い出した、ってことも。
 いや、演奏が悪いっていう訳ではないんだよ。ただ、苦労しているのがよく解って、リアル。
 そう、オオウエのハルサイは、とってもリアル。いろんなパーツやリズムやテンポを組み合わせて、演奏するのはとっても難しそうなんだけど、その難しさがリアルに伝わってくる。
 遅めにとったテンポが、それにのりの悪さまで加えてしまって。
 具体的にはソロとソロのテンポ感のつながりが悪い、トゥッティとソロのバランスのつながりが悪い。いろんなソロが出てきて進行する曲を、一つの流れとして捉えることが出来なかったんだよね、最後まで。
 もちろんイングリッシュホルンのソロは素晴らしいし、ティンパニは決まるし、トゥッティの迫力は相変わらずなんだけど、テンポが遅いからみんなこわごわにきこえちゃう。
 つまりは、リハーサル見せられてる、って感じ。

 もちろん会場は大盛り上がりで、オオウエエイジもしてやったりって顔してたから、たぶんいい演奏で、取り残されてるのは僕だけだったのだろうけれど。
 僕だって、隣のメモ氏がいなかったらもっと楽しめたのに、とは思うのだけれども。
 それでも、オオウエエイジならば無条件で僕らを楽しませ続けてくれる、と無邪気に信じることは、もう僕には出来ないな。

 もちろん、次のブルックナーでそれを思い知らされるよりは何百倍もよかったのだけれどもね。

 ところで冒頭のファゴット、一部分完全に落ちた? そういう譜面なのかな。スコア売っちゃったから確認できないんだけど、しばらくしたらCD聴いてみよ。

 

2004年4月17日
聖響/維納幻想派
金 聖響:指揮
赤坂達三:クラリネット
大阪センチュリー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階AA列36番 A席

モーツァルト:クラリネット協奏曲
ブルックナー:交響曲 第4番 ロマンティック

 さて、昨日に引き続きシンフォニーホール。

 金聖響って、人気なの? よく知らないのだけれども、4回の指揮者シリーズを何年も続けているところを見ると、人気なのだろうね。僕はCD屋さんの視聴コーナーでベト7の3楽章を聞いて、ちょっとがっくりしちゃった印象しかないのだけれども。
 だから今日のコンサートは、きゃー金さん、っていう訳ではなくって、若手の振るブルックナー、っていう位置づけ。大阪で鳴るプロのブルックナーは出来るかぎり行きたいなと思ってるからね。どんな演奏してくれるうだろう。わくわく。

 昨日はクワイア席で聴いたけど、今日はいつもの2階席ちょい右。個人的にはベストの位置だと思うのだけれども、昨日反対側から見たら、結構ステージから遠いんだね、ここ。やっぱり正統は一階席かなあ。今度試してみよ。
 土曜日だというのに、ちょっと野暮用があって早起きしなくちゃいけなくて、ホールに着いた時には既にお疲れモード。
 そのお疲れモードに、モーツァルトが心地いいんだ。少人数でかちっとアンサンブルをするオケと、あったか味はあるけれどクリアさと何より音量に欠けるクラリネットが奏でるのは、天真爛漫、なにひとつ裏表のないモーツァルト。めちゃめちゃ心地よくて、うとうとうとうとしてしまいました。目茶心地いいんだけど、モーツァルトの演奏って、その中に微かにある濁りとか、うねりとか、狂気の部分をちょっとだけ混ぜて貰いたいなあ、っていうのは贅沢なのかな。寝てたのにえらそうだけど。
 でも、オケのクラの方がいい音してるんちゃうん。

 モーツァルトの時には、ステージ真ん中にこぢんまりとした編成だったから、休み時間におっきくするのかな、と思ったら、逆にソリストいない分だけもっとこぢんまりとした並びにして。ブルックナーを奏でるのは、なんと56人のオーケストラ、思わず数えちゃったよ。10,8,8,6,4の弦と、ホルンは5人。ブルックナーだよ、大丈夫なの?

 チューニングがすんで、長身の金が登場。暗譜の指揮棒から、トレモロが奏でられた。
 そして、ホルン。
 ミスアタックを嫌ってか、一番最初だけ強いタンギングで出たホルンは、ものすごいよ。
 外国人のお姉さんなんだけれども、ミストーンの無さと、豊かな音量と、何よりその音色。4番は冒頭に限らずこの一本のホルンにすべてを任せる箇所がたくさんあるのだけれども、なにかの間違いじゃないかと思うくらい、その部分だけ響きが違う。一人で僕らを雄大なブルックナーの世界につれてってくれる。なんだこりゃ。
 ただ、惜しいことにというか致命的なことにというか、僕がイメージしているのよりもほんのちょっとだけ、フレーズの終わりが短いんだよね。音価いっぱいまで鳴らし切る朝比奈が特殊なのかも知れないけれど、違和感。

 ホルンもそうだけど、出てくる音は、これがたかだか60人足らずからでてくる音か、っていうくらいおっきい響き。両翼にヴァイオリンを持ってきて、左側にコントラバスとチェロを配した弦楽器や、ラッパとトロンボンにほとんど横を向かせて、直接音を客席に向けないようにした工夫で、トゥッティの響きなんか、会場全体の底から浮き上がってくる感じ(僕は拡散波動砲の一斉掃射って呼んでるんだけどね)がして、嬉しいなあ、これがブルックナーだよ。
 そして、金の指揮は、なんとほとんど違和感がない。あ、これ褒めてんだよ、大絶賛。僕の中での基準の演奏は、94年の朝比奈の4番なんだけれども、テンポの変化とか、音量の変化とか、あれって思うところがほとんどなくてすんなり聴けた。全体的なテンポはちょっとはやめだったけど。
 それからトゥッティのバランス。これもトロンボンを中心とした朝比奈型。ホルンをびんびんに響かせる人もいるんだけど、Trb奏者の僕にはこっちの方がしっくり来るんだなあ。
 あとは、チェロとビオラの色っぽさとか、オーボエのおねーチャンのソロとか。どこもかしこもうきうきわくわく。つまりこれがブルックナー。

 大阪の地でブルックナーを、しかも若手が振るのにはそれなりの覚悟が必要で、その覚悟は具体的にはなんか一つ変わったことをやってやろうっていう形で出てくるのかな、って勝手に思っていたのだけれども、そうではなくてこういうやり方もあったんだね。
 こういうやり方っていうのは、丁寧に丁寧にアンサンブルの精度を高めて、バランスに気を配って、なおかつ緊張感を途切れさせないで。つまりは王道を行く、っていうこと。実際休止とか楽章の間とか、音がなくなる時の緊張感って、ちょっとすごかったよ。
 百戦錬磨の手練れを、要所だけ締めて自在に操るのがじいさんだとしたら(あくまでイメージね)、初陣の二等兵を厳しい訓練で統率して、同じだけの成果を上げた金軍曹。見直しました。聴かず嫌いは良くないね。今度は7番とか聴いてみたいな。マーラーも行こうかな。

 曲の終わり、前半のモーツァルトで間髪入れずに入ったブラボーコーラスも、金軍曹の気迫に圧倒されて少しだけの静寂があった。よかったね。
 ただね。終わったあとの表情と拍手の受け方はまだまだだね。終わって振り向いた時、そのまま反省会に突入するんじゃないか、っていう表情はやめようよ。たぶん楽員に向かってはちょっとだけにやっとしたとは思うのだけれども。

 これだけいい演奏と、そして何よりブルックナーなのに、ちょっと空席があったのは残念だね。いい演奏会だったよ(って前半寝てたけど)。

 

2004年4月16日
第22回 日本ライトハウスチャリティーコンサート
大植英次:指揮
和波孝禧:ヴァイオリン
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階W列24番 一般席

ベートーヴェン:劇音楽 エグモント 序曲
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番

マーラー:交響曲 第1番 巨人

 めずらしいね。というか、初めてのオオウエの単発コンサート。曲はお気楽極楽系の巨人。と来ればそりゃあもうやることは決まってるでしょ。
 という訳で、ひさびさのクワイア席。サドの松とじいさんのチャイコ。それ以来。

 かなり心配だったんだよね。客の入り。チャリティーコンサートっていうことで、宣伝も手弁当らしく、大手のチケット会社で大宣伝、っていう訳に行かなかったみたいだからね。僕が買ったのも発売からかなり経ってたけど選び放題だったし。じいさんの南海コンサートのブル4の時もがらがらだったから、その記憶がずっと残ってた。
 でも、ホントびっくりしたんだけど、なんとほぼ満員。三階のバルコニーが空いてるくらい。しかも直前に関係者にばらまいた、みたいな客層ではなくって(見た感じはね)。

 そして、僕の席は、クワイア席の一番前。ちょっと乗り出して下を見ると、そこにはでっかいシンバルが鎮座してた。まあ音響はこの際おいといて、今日はオオウエの指揮をこっちから見ることだよね、やっぱり。
 さて、オケが入って、コンマスが入って。今日のコンマスは、外人さん。どっから連れてきたんだろう。まさか6月のハノーファの人がもう来てる、訳ないよね。ちなみにファゴットともう一人くらい外人さんがいたんだけど、どこだったっけ? コンマスの横だったっけ。
 このコンマスのチューニングは、オーボエから音を貰うことをしないで、最初は管にやらせといて、そのあと自分のチューニングをする、って感じ。まあどうでもいいんだけどね。

 さて、オオウエエイジがいつもの通りにこにこ、颯爽と登場。
 かと思ったんだけどね。そうじゃなかった。親知らずが痛むのかと思うくらい深刻な顔して入ってきて、そのまま振り下ろした棒から出てきた音は。

 なんと。
 今日のメインはもちろんマーラーで。その前のベートーヴェンの序曲とモーツァルト。そこはいわゆる名曲コンサートだろう、って勝手に思っていたのだけれども。
 こんな曲だったんだ。エグモント序曲。こんなに、おっきくて、ヘヴィーで。こんなに堂々として。どっからどう切り取ってもベートーヴェン。
 そして、オオウエは。ベートーヴェンを全然茶化さない。生真面目に、真摯に、がっぷり四つに組んで。
 僕から見てステージの彼方のコントラバスがうなりを上げる。オオウエは笑わない。僕は目がにじむ。
 テレビに映るオオウエエイジの指揮ぶりも、やっぱりにこにこだったからだまされたけど、もしかしていつもこんなにシリアスな顔で指揮してるんだろうか。僕らはイメージにだまされたんだろうか、って思わず思ったよ。
 もしかしたらオオウエエイジはベートーヴェンを軽視してるんじゃないか、って思ってた。だって2年間定期で取り上げないし。「指揮者たるモノ、自分の楽団を持ったら何はともあれベートーヴェン全曲」と言い切った指揮者の後任にしては非常に物足りなかったんだよね。

 今までは、ね。
 でも、分かったよ。たぶんオオウエは怖いんだね。ベートーヴェンが。大フィルでベートーヴェンを振るのが。いつか決心が付いたら、聴かせてね、オオウエのベートーヴェン。
 その前に名古屋にハノーファの英雄、聴きにいっちゃおうかな。
 そんなことを考えた、もうけもののベートーヴェン。これ一曲でメインになるよ。

 そのあとのヴァイオリンはね。これはしょうがないのだけれども、ソロの最初の一音がした時に初めて分かったよ。ヴァイオリンも前に音が飛んでいく楽器なんだ、って。つまり音が迫ってこなかったんだよね、背中から聴いてると。これはこの席を選んだ僕のせいで、和波さんのせいでは全くないのだけれどもね。
 アンコールのバッハ。これは諏訪内さんがやったのと同じ曲だけど、やっぱりテンポがばたばたするんだね。こういう曲なのかな。だったら気持ちよくないな。

 休憩のあと、私服に着替えた和波さんとオオウエエイジがマイクを持って現れた。視覚障碍者のためのアメリカでのボランティア活動を紹介したりした。

 そして、マーラー。
 もう、いいよね。今までのオオウエエイジの演奏を見てきた僕らがイメージするそのままの巨人。さっきのシリアスさはどこに行ったのかと思うほどの表情豊かなオオウエエイジ。「歌謡曲」といわれた唄いまくる交響曲。そしてスペクタクル。舞台裏のラッパ。木管のベルアップ。ホルンのスタンドアップ。そりゃあもう大騒ぎさ。

 その中で、おもしろいモノを見つけたよ。休憩時間、僕の目の前に置かれていた閉じたパート譜。よく見ると、右からTrb4、Trp5って書いてある。位置的には、普通の席からステージに向かって、後段左側にホルンの島があって、そこから右にラッパ、トロンボン、チューバと並ぶんだけど、そのホルンとラッパの間。
 休憩が終わって、オケが入っても、ラッパの2から4は空いたまま。空席3個を挟んで両端にラッパ。その外側にトロンボン。なんかヘン。
 3人のラッパは、袖での出番が終わってステージに来て演奏してるんだけど、Trb4、Trp5の二人はぴくりとも動かない。曲もかなり進んで、みんながパート譜をめくるのに忙しくなっても、その二人だけ表紙のまま。
 あれ、なんだろ、ってよく見てみるとね。1楽章、休み。2楽章、休み。3楽章、休み。って書いてある。しかも終楽章も最後のちょっとくらいしか譜面がない。
 巨人の終楽章なんてそりゃあもうお祭り騒ぎだから、ここで終わってもおかしくない、っていう場面がいっぱいあるんだけれども、あの二人が動いてないからまだ終わりじゃないぞ、って、だまされずにすんだよ。っていうか曲知ってろよ、俺。
 そうして、我慢に我慢を重ねてその二人が初めて音を出したのは、なんとホルンのスタンドの場面だったんだよね。それも一緒に立って。なるほど、ホルンにしては輪郭のくっきりした音は、こうやって作るのか。
 この二人は、カーテンコールでも立たせてもらえなかったんだけど、僕はちゃんと見てたよ。ご苦労様。

 さて、やっと間に合った。明日は同じくオオウエのハルサイ。めっちゃ楽しみ。わーい。

 

2004年3月11日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第376回定期演奏会
イルジ・ビエロフラーヴェク:指揮
リウェイ・チン:チェロ
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

スメタナ:交響詩 我が祖国 よりボヘミアの森と草原から
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
  en. バッハ:無伴奏チェロソナタ 第5番 サラバンド

  en. プロコフィエフ:三つのオレンジへの恋 マーチ
ヤナーチェク:シンフォニエッタ

 あったかくなったね。重いコートを脱ぎ捨てて、シンフォニーホールのクロークを使わなくってすむ季節。もう春だもんね。
 そう。2003-2004年シーズン、エイジオブエイジも今回でおしまい。オオウエエイジ就任シーズン最後の定期は、チェコ音楽。

 スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクって並べてみても、それぞれよく知らないし、ひとくくりに出来るのかもわらかないけれど、ドヴォルザークを中心にしたチェコ音楽っていうくくり方からは、土俗的メロディを中心にした親しみやすい音楽、っていうイメージがあるよね。同じ民族色が強くてもフィンランディアみたいに押しつけがましくない、っていうか他民族の参入を許すっていうか。
 ちなみに僕はスメタナは我が祖国しか知らないし、ヤナーチェクはシンフォニエッタとタラス・ブーリバしか知らない(しかもどれもよく知らない)ほどの知識しかないから、ホントにイメージだけで物をいっているのだけれども。

 まあ一般的にも似たような認知度だと思うんだけどね。客席はオオウエエイジやブルックナーのときのようにはいっぱいではなくて。ブラス隊向けにクワイア席あけてあるんだけれど、他のところにも空席がかなり。
 まあ知名度低いからね、しょうがないか。
 僕的には、シンフォニエッタ一曲だけでもかなり期待度高いんだけどね。

 さて、スメタナ。
 この前の、井上道義のローマの松のときに感じたんだよね。ホールを満たす圧倒的な存在感って、結局は人数によるところが大きいんじゃないか、って。まあ勿論、編成によってレパートリーが限られるのは本当だし、それが僕が大フィルを好んで聴く理由でもあるのだけれども。ミッキーの松があんまり迫ってこなかったのを聴くと、オオウエエイジの迫力は、両翼いっぱいに並んだ弦の人数が見せる幻なのかな、って。それはそれでもいいのだけれどもね。
 ところが、このスメタナで、そんなことが間違いであることが分かったんだ。嬉しかったな。勿論小編成ではないんだけどね、普通の大きさのオーケストラ。ホルンだって4人しか(!)いない。その4人のホルンがね、聴かせるハーモニーの厚さと来たら。
 この曲、きちんと聴くとヘンな曲だよね。ヘンっていうか、ギミックに満ちている。ブレイクなんて当たり前だし、突然はだかになるホルンとか。そのはだかになったホルンがね、いいんだよ。ブルックナーとかマーラとかが聴かせる8人のコラールとはまったく別で、きちんとしたメロディを奏でる4本のハーモニー。その響きがシンフォニーホールに響き渡ってね。ああ、人数だけじゃないんだって。よかった。
 ホルンだけじゃないんだけどね、この曲。ちょっと日数が経っちゃったから詳しいことは忘れ気味なんだけど、オーボエを中心として木管の重ね方がすごい。なんでこんな音が出るのか、結局分からない組み合わせもあったりして、不思議な響きを堪能しました、ってチェコ・フィルで聴いた時も同じようなこといってるね。

 お次は、ドヴォコン。チェロって、いいよね。サントリーホールで聴いた朝比奈/新日フィルのブラームスダブルコンチェルトから、僕は朗々と響くチェロの音色が大好きなのだけれども。地につけた脚を伝って床から壁をふるわせる響きが、ね。
 今日のソリストは若いお兄ちゃん。女性のヴァイオリニストとはちがって若いことが武器にならないこの楽器(あくまでイメージ)でソロで喰ってるしたたかさ、見せておくれ。
 僕がチェロを好きなのはあくまで会場をふるわす空気だから、家でCDで聴こうとかはまったく思わないんだよね。だから有名なこの曲もディスクは持ってない。でも聞き覚えあるから、どっかで聴いたんだろうけど。
 そう、ドヴォルザークのメロディは耳に残るんだよね。そういう意味では僕のこのごろひいきにしているチャイコフスキーと同じ、エンターティメント系クラッシック。
 長い前奏があって、さて、チェロ。
 ところがね、このチェロが、あんまり迫ってこないんだな。会場を震わさない。特にパッセージが速いわけでも弾きにくそうなわけでもないのに。ソロ用の特設ひな壇のせいで響きが伝わらないのかな。しゅん。
 曲は好きなんだけど、肝心なソロがこれだと、辛いね。カーテンコールは何回もされて、アンコールも2回。唄物のバッハは中低音が多くってそこそこ響いてたし、プロコフィエフは愉快なリズムで楽しそうに弾いていたけれど、2回もアンコール求める演奏じゃないでしょ。

 休憩終わって、ヤナーチェク。9本のトランペットを含むブラスバンド、って他はなんなんだ? って思ってたのだけれども、クワイア席の両端と真ん中(オルガン前)に3本ずつ並んだラッパと、ステージ後列に4人並んだトラのブラスがそうらしい。
 シンフォニエッタの1楽章(っていうんだろうか?)は、このブラス隊とティンパニのファンファーレなんだけど、これがもう、かっこいいのなんのって。最初の中低音は、なんとチューバではなくってユーフォニウム。何年ぶりだろ、ユーフォの生音なんて。僕が昔3年間吹いていた楽器。こんなところで活躍してるんだ。ステージにいるブラス隊は、2本のユーフォニウムと、あと2本はなんだろ。コルネットでもフリューゲルホルンでもない。直管のアルトホルンみたいな感じ。1本はピストンでもう1本はロータリー。ラッパだけだととげとげしく聴こえるファンファーレを、この2本が下支えをしてやわらかく聴かせる。ローマの松のバンダとはひと味違った立体感。いいなあ。
 それから、目立ちまくりのトロンボーンのsoli。2ndがメロディのところはきちんと決まったのだけれども、1stのソロはパッセージが細かすぎて吹き切れてなかったな。っていうか無理っぽい譜面なのだけれど、チェコ・フィルはどうやってるんだろ。
 っていう感想しか湧いてこないように、ブラス主体のこの曲、大好き。かっこいい。おもしろかった。

 さて、今回でオオウエエイジ1年目が終わったのですが、2年目のジンクスとなる4月春の祭典、なんと売り切れだそうです。おめでとう。楽しみにしてます。
 7月の朝比奈記念ブル8、こちらも売り切れ間近らしいから、迷っている人は急ぎましょうね。僕も1日目も行こうか迷ってます。

 

2003年2月22日
ザ・シンフォニー特選コンサートVol.7 井上道義/ローマの松
井上 道義:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階AA列35番 A席

R.シュトラウス:交響詩 ドン=ファン
R.シュトラウス:歌劇サロメより 7つのヴェールの踊り
ビゼー:歌劇 カルメン より 井上道義セレクション 
     第1幕前奏曲〜第4幕間奏曲〜ジプシーの踊り〜第3幕間奏曲〜闘牛士の歌
レスピーギ:ローマの松

 井上道義よ、おまえもか

 さてさて、頭を戻して、またクラッシック。とはいえ井上道義、ローマの松。これは純然たるエンターティメント系。
 ローマの松は、僕の大好きな曲でね。家でCDそんなにかけるわけではないけれど、実演だったらどこまでも飛んでいきたい。しかも音量のある大フィルならばなおさら。ってことで、サドの松以来の松。サドの時は、クワイア席で視覚のスペクタクルだったけど、今回は定番2階席で楽しむ聴くスペクタクル。楽しみだね。

 日曜の午後3時っていう時間が、観客動員にどう影響するのかは知らないけれども、会場は結構入っていて。二階の端っこと横席の後ろの方以外はほぼ満員。ミッキー相変わらずの人気だね。僕はフェスの革命以来かな。

 今にも降り出しそうな雨をにらみつつ、ご飯を食べつつホールへ。予約したチケットがあったモノだから、裏のチケットセンターへ行ってみたのだけれども長い行列であえなくあきらめて、いざ入場。
 プログラムもらって気がついたのだけれども、ザ・シンフォニーホール特選コンサートもVol.7。ぺらぺらのこのプログラム見覚えがあるからたぶん来たことあるのだけれど、誰のコンサートだっけ? まあいいや。

 さて、松以外のプログラム知らなかったからね、確認すると。あれ、シュトラウスってちょっと前聴いたな。7つのヴェールの踊り。まいっか。ドンファンは初めてかな。
 ステージは、ハープ2台と空き椅子がたくさん。相変わらず大編成で押すのね、楽しみ。コンマス席はピアノ椅子。またつんつん兄ちゃんなのかな。
 だんだんに埋まったステージを見ると、ホルン横の空き椅子の塊は最初の曲では使わないのね。まあいいけど。
 さて、コンマスの入場。今日のコンマスはつんつん兄ちゃんではなくて、茶髪ロン毛系。若いことにはかわりがないが。岡田さんの後釜探しかな。いいけどここぞという時には梅沢さんにしてよね。

 さてミッキー。相変わらず急ぎ足で入ってきて、でもきちんと指揮台の上で拍手をもらう。進歩したね、と思った途端、振り向きざまに指揮棒を持たないてを振り下ろす。
 緊張感を保つためなのかどうか知らないけれど、始まる前の静寂って、必要だと思うのだけれどもどうなのかな。

 とはいえ始まったシュトラウス。
 これがね。
 なんかスカッとしないんだよね、迫力がない。ラッパもさらりとしてるし、全体的に軽い。まあそれも味なのだろうけど、と思って聴いてると、ビオラが聴こえないんだよね。ヴァイオリンが煌びやかって訳でもないし。そう思って聞いちゃうと、もしかして弦が少ない? 1stヴァイオリン12、チェロ10、バス8って、そういえばレニングラードに比べればスカスカ? どうなんだろ。
 とかいろいろ考えちゃって、いまいち曲に入り込めないままなのだけれども、ドンファンの聴き所は、これはもうオーボエ。加瀬さんのソロは何とも官能的で良かったよ。官能的と言えば、コンマスのソロも艶っぽくていいなあ。コンマスと言えば、曲の真ん中辺、ボウイングが他のヴァイオリンと微妙に違うんだよね、なんだそりゃ、ちゃんとリハしろよとか思ったんだけど、ずっとソロパートだったのね、失礼しました。

 サロメもそんな調子でね。加瀬さんのソロ、今度は豊かな音量にちょっとびっくり。
 でもやっぱり、全体的なパンチはないんだなあ。前ならこれでも満足なのかも知れないけれど、オオウエエイジだけならともかく尾高さんのブルックナーでもあれだけのフルブロウ聴いちゃうと、ちょっと欲求不満。まあ二日前にpopのコンサートで耳鳴りがんがんていうのもあるのかもね。

 休憩に外出してチケットセンターへ。
 その後のカルメンは、組曲からの抜粋ってどういうことだろ。有名な曲ばっかりだけれども、一曲ずつは短くて、すぐに終わっちゃった。組曲全部やったら長いのかな。

 でもとにかく前座は終わって、舞台上にはハープ、ピアノ、チェンバロ。パイプオルガンに灯がともり、クワイア席の端には譜面台。そう、松。
 初めて指揮棒を持ったミッキー。これもまた慌ただしく始めた曲は。
 やっぱりなんかパンチ不足。やっぱり弦楽足りないんじゃないの?
 パンチない分、ソロに耳がいって。加瀬さんの短いソロを皮切りに、この曲のベストはイングリッシュホルンだね。あとクラリネット。袖のラッパは、サドの時の方が色っぽかったなあ。
 アッピア街道では、バンダが登場。このバンダのね、向かって右側のラッパの2ndのおネエちゃん。この人の音がいいんだ。すごくやわらかくって、そのくせ音量もあって。一気にファンになりました。
 もちろんバンダ入るころには、弦の人数なんて考えてる暇もなく、ブラスを中心とした大フィル節が炸裂したのだけれども。
 最後の決めはすごく格好良いし、ミッキーも拍手貰うのうまくなったんだけれどもね。

 なんでだろ。あんまりうきうきしなかったんだよね。よく解らないや。

 近頃の大フィルって、この程度じゃないんだよ、ホント。

 

2004年2月13日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第375回定期演奏会
大植英次:指揮
長原幸太:客演コンサートマスター
ザ・シンフォニーホール 2階BB列31番 A席

ショスタコーヴィッチ:交響曲 第7番 レニングラード

 ひさびさに、その日のうちに書くよ。

 オオウエエイジ就任一年目、10回の定期演奏会のうち4回をオオウエエイジが振ったのだけれども、今回がその4回目。そして日曜日以来、5日ぶりのオオウエエイジ。
 日曜はファミリーコンサートだったから、ちまちました曲をたくさん演奏したのだけれども、今回はひさびさ、大曲一曲勝負。聴く方も気合いが入るよね。
 僕の持っているショスタコは、バルシャイの交響曲全集。ショスタコの場合は交響曲と言っても伝統的なフォーマットに乗っていないことが多くって、比較的伝統的な4番から9番くらいをBGMに連続演奏することがあるくらいかな。今回の7番も、この2週間くらいで何回かBGMにした程度。派手な曲だな、っていうくらいのイメージを抱いて、2週間ぶりのシンフォニーホール。

 前回は1日目に変わってもらったから、ひさびさの通し席。別に思い入れはないのだけれども。
 ぎりぎり近くに入ったホール。ステージではラッパの音だしが金切り声を上げていて。
 プログラムにざっと目を通してたらもうコンマス入場。
 プログラムしまってステージ見ると。ちょっとびっくり。
 この前もおっきい編成でなんて書いたけど、それとは桁違いな編成。ホルン7は驚かないけれども、ラッパ6、トロンボンは、チューバを挟んで3、3の6。変な並び方やなあ、アシやろか。パーカッションも7。ハープ2にピアノ。木管もコントラファゴットからバスクラから、もうずらり。
 レニングラードやからね。いけいけ好戦交響曲なんやろか。

 驚いているうちに入ってきたコンマスは、日曜に引き続き若いあんちゃん。ゲストコンマスってプログラムにも載ってた。梅沢さんが隣にいるから一安心。にいちゃんコンマスは緊張してるのか、どことなくぎこちなくチューニングを済ませて。

 9割以上埋まったホールに、オオウエエイジが入ってきた。
 いつもの通り、さわやかな笑顔を振りまいて、レニングラードが始まった。

 僕は、この曲を好きかと言われたら、迷うよ。

 うなりを上げる弦楽器で始まったこの曲は、なんていうんだろう、気持ちよくない。もちろん総勢20人のブラスは吼えるし、ティンパニも強烈なんだけど、爽快じゃない。
 全音符で突っ張る不協和音。急に弦楽だけのアンサンブルになり、ビートを失う頼りなさ。そして推定ピアノ36個級のピアニッシモでボレロのようにリズムを刻むスネアドラム。
 どれもこれもが、不安と不快をかき立てて、夢見心地にはしてくれない。
 でも、耳をふさげない、目を逸らせない。息も出来ない緊張感に引きずり込まれていく。
 圧巻はスネアドラム。最初、袖でたたいてるのかと思った。7人並んだパーカッション、誰も動いてないんだもん。誰が叩いてるんだろう、って目は探すけれども、誰も動かない。カーテン3枚の向こう側で叩いてるくらいの、微かな音量、でもクリアな音。
 延々と続くスネアドラム。観客に身じろぎを許さない緊張感。
 じりじりと、ホントにじりじりとクレッシェンドして行くうちに、ティンパニの隣のヒトが叩いてるんだって分かったけれども、それでもまだまだピアニッシモ。
 金縛り状態にからだが耐え切れなくって、背中を濡らす脂汗。訪れることが分かってるクライマックスは、待てども待てども近くならない生殺し。
 ほとんど拷問に近いのに、この場に居合わせた喜びをかみしめていて、目頭がツンと熱くなっていく。
 ってマゾか? 俺。
 ついにティンパニまで入ってクライマックスの後は、オーボエや、クラリネット、バスクラにファゴット。加瀬さんの二つ右にいた長いダブルリードはなんていうんだろう?(誰か知ってたら教えてください)華麗なソロの応酬で。だけど合間のホルンの不協和音でイかせてくれなかったりするんだよね。
 あと、ラッパのミュートがとっても効果的で、目も耳も楽しみました。

 って長々書いてきたけど、まだ1楽章なんだよね。
 でも、これが好戦交響曲って、嘘だよね。戦争の描写だとしても、開戦前のキナ臭い、不安に満ちた様子。これ聴いて戦場行こう、って気にはならないでしょ、普通。
 他の指揮者は知らないけれど、家のCDを普通に聴いてる分には、こういう不安な気分にはならないね。これがオオウエマジックだったらそれはそれは、ものすごい。

 2楽章、3楽章は一息つけるくらいは普通で、もう後一押しで嗚咽必至の生殺し状態からも立て直すことが出来た。
 とはいえどこから4楽章なのか良くわかなかったんだけど、誰かのアラームが鳴っちゃったころ?

 4楽章もまた不安なんだけど、スネアの仕掛けがない分安心して盛り上がれる。弦楽アンサンブルになるブレークのところは気持ちよかったな。でも今度はハープの不協和音が。
 弦楽アンサンブルいいんだけど、若いコンマスは疾るはしる。唄うの疾りたがって、次のフレーズの「ガッ」って言う入りが一人だけ速いことが何回もあったよ。っていうかコンマスなんだからみんながついて行けよ。ソロは危なげなかったけど。って唄うソロじゃなかったけどね。

 そしてフィナーレはもう、センプレ大盛り上がり。大音響で頭が朦朧としてくるね。トランス状態。
 驚いたことに、チューバを挟んで左右のトロンボンは、譜面が違うんだね。なんと6th Trbまであるってこと? ってことはラッパも? え、ホルンも? 良くわかんないや。
 もうトランスで酸欠で口ぱくぱくしてるのに、ホントのコーダはさらに一段階突き抜けて。

 いやあ、楽しかったな。
 プログラムにも載ってたけど、このごろみんなフライングの拍手にすごい神経質なんだけど、そんなことどうでもいいじゃない、っていうくらい楽しかった。今日はフライング、ってほどじゃなかったしね。
 僕は、しばらくぼおっとして拍手も出来なかったけどね。

 オオウエエイジが拍手を受ける。どうだ、ざまあみろっていう顔で拍手を受ける。どうだ、いいオケだろうっていう顔で拍手を受ける。単純なことなんだけど、オオウエエイジが誇りに思うオケを俺たちは持ってるんだぞって、すごい嬉しい瞬間。

 カーテンコール。
 オオウエエイジがファゴットを立たせる。フルートを立たせる。オーボエを立たせる。
 そして、オオウエエイジがスネアドラムを立たせる。わき起こるブラボー。曲に対してとおんなじくらいのブラボー。当たり前だよね。ヒーローだもん。
 それからもソリスト、パートを丁寧に立たせて、最後にコンマスを立たせた。僕はここだけは拍手できなかったけど。
 全員を立たせて、真ん中で満足げなオオウエエイジ。
 カーテンコールはその後もなかなかやまなくって。1楽章での脂汗が、心地よい汗になるまで拍手を続けたよ。

 そうそう、来場時にホールの隣にフォンテックのバンが停まってた。ステージにはラジオ用にしては豪華なマイクが並んでいたから、録音してるのかな。オオウエ/大フィルはエクストンじゃないのかな。
 それはいいけど、録音で聴くかな、レニングラード。

 

2004年2月7日
シティホールフェスティバル
大植 英次:指揮
大阪フィル
大阪市役所玄関ホール 自由席

モーツァルト:交響曲 第41番 ジュピター
バーンスタイン:キャンディード 序曲
チャイコフスキー:幻想序曲 ロメオとジュリエット 抜粋
マスネ:タイスの瞑想曲
ビゼー:アルルの女 より ファランドール
en ロッシーニ:ウィリアムテル 序曲

 シティホールフェスティバルって、聞かない名前だよね。オオウエエイジも、この前いずみホール満員にして、来週レニングラードだけど、今週って何? っていう人も多いのかと思うんだけど。
 これは、大阪市役所のホールでやったコンサートなんだ。土曜日曜で、土曜日は咲くやこの花賞って言う、大阪の芸能新人賞みたいなやつの表彰式もあったらしいんだけど、僕が行ったのは日曜日だから、ホントにただのコンサート。
 どっかのホームページで募集しててね、応募して当たったら当日千円払って入ってください、っていうコンサート。

 大阪市役所って、立派なんだよ。このごろ仕事で淀屋橋から梅田まで、御堂筋を歩くことがあって初めて見たんだけど、なんだこりゃ。政令指定都市とは言え、たかが市役所か、これっていうくらい立派。
 僕も住んでる大阪市の財政を考えると複雑だけど(だいたい区役所あるのに市役所って何?)、まあ中に入れてくれるっていうんなら入ってみましょう話題までに。
 ってことで行って来ました。

 ちょっとはやく、会場の少し前についたんだけど、お客さんははやくも長蛇の列。自由席だからしょうがないけど、市役所のホールなんてどこで聴いたっておんなじだって、っておれも早く来てるのか。
 並んでるお客さんを横目に、楽器を担いだ楽団員さんもゾクゾクご来場。まったくリハする気はないのね。まあ昨日とおんなじプロだしね。
 市役所玄関ホールって言うのは、なんと玄関ロビーとは別なんだよ。普段何に使ってるのか知らないけれど、高い天井にはシャンデリアが輝き、二階のバルコニー席などもあったりしてダンスフロア風。そこで、昼間の公演だからスーツにネクタイの団員さんが音出ししてた。あれ、どこで着替えたんだろう。

 会場は超満員なんだけど、定期よりも平均年齢高いね。エルダークラブとかそういうところにチケットばらまいたんだね、きっと。普段縁がないヒトに聴いてもらうには絶好の機会だもんね。

 狭いステージに、ちゃんとした人数並んだオケ。そして出てくるオオウエエイジ。曲を始める前に、客席を向いてしゃべるオオウエエイジ。
「この曲は、4つの楽章で出来ています。はやいの、遅いの、少し速いの、とっても速いの。4つで一つの曲です。では、聞いてください」
 と言って始まったモーツァルトは、2日前にいずみホールでもやったやつ。僕は聴いていないのだけれども、満員音連おめでとう。オオウエエイジのモーツァルトはさぞかし楽しいんだろうと思いきや、これがあんまり楽しくないんだよね。何がなんなのかよく解らないんだけど、たぶんヴァイオリンがよく聞こえないせいで艶がないのかな。ホールのせいだと思うけど。
 そうそう、ヴァイオリンと言えば、なんと今回レンタルバンマス。しかも若い、20代。つんつん頭の青年でした。彼は後でソロも聴かせてくれるのだけれども、それはその時に。

 そうそうモーツァルト。たぶん音響のせいであんまり乗れないところに、長いんだよね、ジュピター。しかも客席正面にはでっかい時計があって、いやでも曲の長さに目がいく。おんなじモーツァルトでももうちょっと客層を考えて、短くて華やかなやつもあったのでは、と思ってしまいました。みんなこくりこくりしてたしね。
 オオウエエイジの指揮は相変わらずなんだけど、客層を意識してサービス満点。半身をそらせて客席にまで目を向けるし、4楽章始める時にはちゃんと指で4だよって教えてくれる。こういう情操教育にはもってこいのヒトだね。

 休憩の後は、さらにステージ上は大混雑。弦はさすがに少ないけれど、バーンスタインとチャイコで管は普通にあったね。明日から定期のリハなのにご苦労様。
 後半はマイクを準備したオオウエエイジ。愛をテーマに曲を集めました。と言いつつキャンディード。たのしー。
 でもラッパが少し弱い。ひな壇ないし、ホールのせいなんだろうけどね。ホルンとビオラは良く響いてたから、音域によって変わるのかな。
 お次はチャイコのロミジュリ。ロミジュリと言えばプロコフィエフという私は、たぶん初めて聴くんだけど、これいいね。チャイコの、どの曲もおんなじな盛り上がり方と、辟易するようなロマンティシズムがロミオとジュリエットに良くあっていて、めちゃめちゃ面白かった。
 それから、若いコンマス君のソロでタイスの瞑想曲。さんざんヴァイオリンは聴こえないホールだといいながら心苦しいけど、音量小さいよ。もっと自信持ってぶんぶん弾かなくっちゃ。あくまでも私見だけど。
 そして、
「オペラってなんか難しそうなんですけど、基本的には2種類しかないんです。結婚して幸せに終わるやつと、みんな死んで不幸に終わるやつと」と言う名解説で始まったファランドール。もうファミリーコンサートの王道、って感じで大満足でした。
 アンコールはウィリアムテル。

 オオウエエイジの小品集って、そんなにたくさん見られるモノじゃないからね。すごく得したコンサートでした。
 でも、こういうコンサートは、若い人たちに見せてあげて欲しいなあ。中高のブラバンに案内配るとか。
 それから、せめて来週の定期のチラシ入れて、チケットもそこで売ったら良かったのに。でもお役所だから出来ないのかな。

 シティホール、これからも有効に使ってね。

 

2004年1月30日
大阪フィルハーモニー交響楽団 第374回定期演奏会
尾高 忠明:指揮
タスミン・リトル:Vn.
ザ・シンフォニーホール 2階BB列38番 A席

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第4番
  en. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番より ジーク 
ブルックナー:交響曲 第9番

 さて。じいさんがいなくなってからもう、2年以上が過ぎて。喪中状態の大フィルもオオウエエイジという音楽監督がやってきて、やっと前を向き始めた。
 もちろんいつまでもじいさんの想い出に引きずられるわけにはいかないのだけれども、でもやっぱり、じいさんへのレスペクトは持ち続けて欲しいなあ、っていうわがままな僕たちみたいな聴衆には、待ってましたの演奏会。
 2002年7月、若杉の3番以来の、大フィルのブルックナー。

 じいさんが生きていたころはね、大阪が日本のブルックナーの聖地だ、なんておだてられていたけれども。じいさんがいなくなったとたん、そんなことは大嘘だったっていうことが露わになって。在阪オケはほとんど演奏しない。海外オケもやってこないと言う状況で僕らはずっとブルックナーに飢えていた。
 不安もあったんだよね。僕が飢えているのは、ブルックナーなのか、それともじいさんのブルックナーなのか。じいさんの最後の9番以来、僕は4回ほどブルックナーを聞いているのだけれども、今回は3番だから、学生だから、フェスだからって、真正面からの評価を避けてきた。
 もう逃げられない。
 ザ・シンフォニーの特等席で、大阪フィルが奏でる、9番。オオウエエイジではないにせよ、ブルックナーには意欲的な尾高さん。
 これがこけたら、、

 これがこけてもまだ、じいさんと共有した「あの瞬間」を求めて、通うんだろうけどね。

 70分ほどのブル9一曲だけで演奏会をするのは、やっぱりじいさん以外のヒトには無理な話で。今回の前座はモーツァルトの協奏曲。
 外人さんのきれいどころのおねーチャンのヴァイオリン。ソロヴァイオリンの善し悪しなんてわからないんだけど、舞台栄えする美人はとくやね。とはいいつつ2階席からは私の視力でも顔はよく解らないのだけれども。
 それはいいのだけれど、尾高さんのモーツァルト。いいよ。ブルックナー用にセッティングされた椅子は半分くらいしか埋まっていないのだけれども、良くリハーサルしました、っていうくらいぴったり。ソロも入ったトゥッティでの急激なリタルダンドもびしっと決めて。決して不快な和音の入らないモーツァルトをきれいに響かせた。
 あ、モーツァルトっていいな、って思ったのは、いつ以来だろうな。
 アンコールは、バッハの無伴奏。とはいえいつものやつではなくて、もっともっと唄うやつ。もちろん技巧がない人ではないんだろうけれど、こういう唄ってくれる曲、いいんだよね。

 さて、休憩。
 ちょっとチケットブースをなめにいったら、お、いい席あるやん。と言うことで所望してしまいました。金聖響のブルックナー。ミーハーやね。

 と言うわけで、9番。
 いいセン行ってたと思うよ。常任じゃないからって編成小さくなるわけでもなく(あれフル編成だったよね?)、フィナーレ楽章のない交響曲は、一楽章からとばすとばす。ついこの間出た親日との英雄。これもブラス良く鳴ってたけどあんな上辺だけの狂躁的な鳴り方じゃなくってね。二階席で耳がハウリング起こしそうに鳴ってるのに、全然きつそうな音じゃない。すごいね。
 細かくいえば、一楽章で裸になるチェロが、全然官能的じゃないとか、いろいろあるんだけどね。
 そんなことどうでも良くなるくらい、ひたすら良く鳴るオケ。その音の洪水の真ん中に佇む尾高さん。その姿を見た途端にね。

 僕には分かっちゃったんだ。
 この演奏の延長線上には、じいさんはいないって、ね。

 僕が一回だけ聴いた、じいさんの9番。それはじいさん最後のブルックナーで。技術的にはそんなに褒められたモノではない演奏だっていうのは、今はよく解るけれども。それでもそんなこととは無関係に、ぶつかってくるモノがあった。胸を、目頭を、体中を満たすモノがあった。
 今日のこの演奏は、すごいよ。オケの鳴り方も、息のあいかたも半端じゃない。でも音の洪水の真ん中で、ラジオ体操みたいに健康的に棒降ってる尾高さんを見るとね、萎えちゃうんだよね。

 ああ、そうなんだ。
 ブルックナーだからって、僕をいい気持ちにさせてくれる訳じゃないんだ。
 やっぱり。

 アダージョの終わり、ワグナーチューバのロングトーンが消えていって、ホールを静寂が埋めた時には、それでもやっぱりブルックナーって、いいな、って思ったんだけどね。

 この演奏会を最後に、退職されるコンマスの岡田さん。ご苦労様でした。オオウエエイジの代になってから、岡田さんがコンマス席に座るのをよく見たような気がします。どうもありがとうございました。

 それから、いつもは2日目の公演に通し券で行っているのだけれども、日程の都合で一日目に変更してもらいました。こころよくわがままを聞いてくださり、ほとんど同じ席を用意してくれたチケットセンターのかた、ありがとうございました。