JANUARY 1991
text and photographs by Ko Ito

古くから琵琶湖をかかえる近江の国は北陸道・東海道・中山道の集まる交通の要所だった。
長い旅の途上で静かに横たわる琵琶湖をみたとき、旅人はどんなに慰められたことだろう。
今、琵琶湖の周囲はそのころと比べて一変した。
その静かな湖面は、現代の旅人の心を同じようになごませているだろうか。

DATE OF LAKE BIWA
所在地滋賀県大津市・滋賀郡・伊香郡・東浅井郡・長浜市・彦根市・
神崎郡・近江八幡市・野洲郡・守山市・草津市他
面積670.5ku(県面積の約6分の1)
深度最大深度103.8m 平均深度41m
湖岸線235.2km
最大幅22.6km 最小幅1.35km
順路

雪の余呉湖1
琵琶湖の北、戦国時代を代表する合戦の場である賤ヶ岳の向こう側に周囲
約6キロの小さな湖がある。このあたりはかつては近江の国伊香郡(いかご
おり)とよばれていた。
「伊香の小江(このえ)」とよばれていた小さな湖はいまは”余呉湖”と呼ばれ
ている。

昭和35年まで湖畔を一周する道路ができるまで、浦々の交通はみな舟だった。

順路

余呉湖にこんな羽衣伝説が残っている。
養老の昔、この土地に伊香刀美という男がいて、あるとき湖のそばで水浴し
ている八羽の白鳥をみた。近づくと天女であり、彼はおどろきまたその一人
に恋をした。そしてひそかに天の羽衣を白い犬に盗ませる。姉7人は天に飛
びかえったが、その娘は刀美と夫婦となり、子どもを産んだ。ところがある
日、刀美がかくしていた羽衣をみつけた彼女はそれをきて天に帰ってしまう
・・・・・・・・

だれもいない湖畔で静かな湖を見ていると、残された刀美が向こうの岸で同
じ湖面を見ているような気がしてくる。


雪の余呉湖2
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暮れゆく夕日
近江長浜に城を築き、木下藤吉郎が一国一城の主となったのは、天正2年(1574年)。
はじめて天守閣から琵琶湖に沈む美しい夕日を見たとき、彼は何を想っただろう。



同じ真っ赤に沈むその年の日の入りを僕は長浜のホテルの露天風呂から眺めていた。
天下人でない平凡な僕は、
去りゆく年のいろいろな出来事と新しい年のことをぼんやり考えていた。

順路

近江を代表する武将に浅井長政がいる。
織田信長は岐阜からでて京都を押さえようとしたが、途中に長政の治める近
江がある。信長は浅井氏と通婚することにより安全を得ようとし、妹お市を
長政の嫁にした。ところがその後、信長が浅井氏とは古くから友好関係にあ
った越前の朝倉氏を攻めることより、情勢は一変し、長政は「朝倉氏をうら
ぎることはできない」と、織田に反旗を翻し、ついには滅んでしまう。

長政が決意を固めたときと同じ湖面に今日も風が吹いている。


近江長浜城
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昨年、僕の好きな作家の一人が天へ旅立った。
司馬遼太郎さんの長い旅 ”街道をゆく”は次のような文章ではじまっている。

「近江」
というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、こ
の国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固めら
れつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖ま
でが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。
「近江から始めましょう」・・・

参考文献
「司馬遼太郎の遺産 街道をゆく」(週間朝日別冊)
「街道をゆく 4」北国街道とその脇街道 (司馬遼太郎)


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